特殊清掃「戦う男たち」

自殺・孤独死・事故死・殺人・焼死・溺死・ 飛び込み・・・遺体処置から特殊清掃・撤去・遺品処理・整理まで施行する男たち

備えあれば

2012-03-16 08:39:07 | 遺言書 遺書
大震災から一年が過ぎた・・・
何をどう書いても書ききれず、何をどう書いても軽くなる・・・
これを歴史に片付けるには、まだ相当の時間がかかりそう・・・
しかし、時に後退はない。
個人的にも社会的にも、明るい話題を集めて憂鬱な世相を払拭したいところだ。

今年は、四年に一度のうるう年。
オリンピックイヤー。
夏にはロンドンオリンピックが開催される。
日本にも世界にも、これを楽しみにしている人は多いだろう。

ただ、私の場合、オリンピックにはほとんど興味がない。
これは、昔から。
国家的イベントなのだから、一国民として興味をもってもよさそうなものだけど、そもそもスポーツというものに興味がない。
そうはいっても、日本選手の健闘活躍を願う気持ちはある。
一つでも多くのメダルを持って帰って欲しいと思う
今の日本は、明るいニュースに飢えているから。

ホント、私はスポーツに縁がない。
幼少期から通じて、スポーツを熱中してやったことがない。
部活も“帰宅部”、引っ込み思案で目立たない少年だった。
精神と肉体を酷使する人生が待っていることがわかっていれば、少しは鍛錬を積んでおいたかもしれないのに・・・
イヤ、その前に、それがわかった時点で違う道に進むことを考えるべきだな。

オリンピックといえば、東京も再び招致に名乗りを上げている。
実現すれば2020年、8年後の話。
「オリンピックに興味はない」といっても、東京開催となると話は別。
賛否両論あるみたいだけど、私は賛成派。
難しいことはよくわからないけど、お祭りがやってくるみたいで明るい気持ちになれるから。
ただ、残念ながら、これには地震の可能性が大きく影響するのではないかと思う。

地震といえば、再び大地震がくる可能性が「4年以内70%」と発表された。
「“70%”という数値は“100%”と言っているのと同じこと」と評している人も多い。
「4年なんて長い」「もっとはやく起こる」と言ってる学者もいるそうだ。
とにもかくにも、これは衝撃的な数値。
「4年以内」ということは、今日も明日もその範囲内・・・つまり、「今起こってもおかしくない」ということであり、のん気に酒ばかり飲んでる場合じゃないかもしれない。

実際、日本全国を見渡すと、あちらこちらで毎日のように地震が起きている。
あまりに頻繁に揺れるものだから、もう慣れてしまっている。
震度4くらいでは驚かず、模様眺め。
揺れが大きくなる可能性は充分にあるのに、避難する体勢もとらず他人事みたいにのん気に構えている。
これじゃ、イザというとき逃げ遅れてしまうだろう。

しかし、こうして憂いてばかりでは何にもならない。
情報はしっかり押さえておきつつ冷静さを保つことが必要。
こちらの感情に関係なく、くるものはくるのだから。
ただ、どうせなら、できるだけ先にしてほしい。
立ち直ろうとしているときに追い討ちをかけないでほしい。
そして、できるだけ小さくきてほしい。
ただでさえ経済が冷え込んでいるのに、このうえ大きく被災すると日本がどんでもないことになりそうだから。

とにもかくにも、備えが肝心。
イザというとき、一人一人の小さな備えが大きな力を発揮すると思うし、それが、人を救い、ひいては国を支えることにつながるかもしれないから。
私の場合は、車であちこちの街に出向くことが多いので、出先で被災することも想定している。
だから、車には、わずかながら防災用品を積んでいる。
イザというとき役に立ちそうなものを、役に立つようなことが起こらないことを願いながら備えている。
あと、物資の備蓄だけではなく、知識の習得や情報の共有も大切。
そのとき自分はどこにいるか、自分の生活パターンの一つ一つに地震を重ねてシュミレーションし、とるべき行動を頭に準備しておく。
また、周囲の人達とも、連絡方法や集合場所、むやみに探しあわないこと等の約束事をしておいた方がいいと思う。

縁起でもないことをいうようだけど、地震への備えと同時に、死への備えが必要かもしれない。
これは、私が言うまでもないことで、先の大震災が実証済み。
ことが起これば、街は一変する。平穏と冷静さを失う。
多くの家屋が倒壊するかもしれないし、火災が多発するかもしれない。
残念ながら、多くのケガ人がでることも容易に想像できる。
そしてまた、多くの人が亡くなることも。
その一人に自分が含まれる可能性は充分にあるのだから。

死の準備の代表格は遺言書。
手軽なのは書面。
音声や映像で残しておくのも一手。
ただ、あまり凝ったところに隠しておかないほうがいい。
「遺言書があるみたいなんですけど、見つからなくて・・・」
遺品処理をする中で、そんな相談を受けることがままある。
残された人に見てもらえなければ意味がないわけで、置いておく場所には一工夫いると思う。
ただ、大地震の場合は、家屋倒壊・火災・津波などで遺言書が消失してしまう可能性も大きい。
もう、これは避けようがない。
そうなる可能性もあることを覚悟したうえで備えるか、あとは、あらかじめ口頭で伝えておくしかないだろう。

遺言書って、書いてみると面白いことがわかる。
軽い価値観が沈み、重い価値観が浮かび上がってくる。
漠然としていた物事の優先順位が具体的になる。
そして、向かうべき方向がクリアになる。
死後のための指針が生きるための指針となって反射してくるのである。

ただ・・・
「この世を生きることだけで充分に大変なのだから、死後のことについて考える余裕なんてない」
「歳も若いし身体も健康だから、考える気がしない」
・・・多くの現実がこれか。
「なるようになる、なるようにしかならない・・・備えても仕方がない」
「悪あがきしてるようで見苦しい」
・・・こんな意見もある。
一理あると思う。
そのときに慌てなければそれでいいと思う。
人に迷惑をかけなければそれでいいと思う。
後悔しなければそれでもいいと思う。

私は、事が起こったらうろたえるタイプ。
イザとなったらみっともないくらいに慌てるはず。
「人はいつ死ぬかわからない、いつ死んでもおかしくない」と、常日頃、悟ったような態度をとっているけど、ただ、これは、頭がその理屈を知っているだけのこと。
リアルに受け止めて、覚悟をきめているわけではない。
だから、仮に今、余命宣告でも受けようものなら、ヒドク動揺するし、ヒドく落ち込むと思う。
だから、備えないわけにはいかない。

先の大地震では多くの人が亡くなった。
この冬の大雪でも何人もの人が亡くなっている。
病死、事故死、自殺・・・毎日毎日、多くの人が死んでいる。
うちの会社だけでも、毎日、何人もの人の葬送にたずさわっているわけで、故に、身近なところを死が通り過ぎている。
同時に、自分の番が刻一刻と近づいてきていることも否応なく意識させられている。
だから、備えることを考える。
少しでも死をやわらかく受けとめるために。


母の肺癌は小康状態を保っている。
先走った治療はせず、このまま経過観察を続ける方針。
今のところ、余命宣告は受けていない。
「死ぬのはこわくない」「生きることに執着はない」
悟ったようなことを言ってはいるが、憂鬱に支配された心情は隠しきれていない。
感情の起伏が激しく、周囲を振り回す。
「誰も心配してくれない」「誰もわかってくれない」
口から出る言葉には不平不満が多く、わがまま放題。
まるで、駄々をこねる子供のよう。
親に対して抱くべき感情ではないが、その様は見苦しい。
「もっと穏やかに過ごせないものか、もっと人に優しくなれないものか・・・死を身近に感じてるなら尚のこと」
・・・そう腹立たしく思う。
ただ、そんな母を、一方的に批難することはできない。
その醜態に、近い将来の自分が重なって見えるから。
それが悔しく、寂しく、恐ろしく・・・これまでに自分が培ってきたものを虚しくさせるから。


人は弱い・・・
生きることに対しても、死ぬことに対しても。
進化した医療技術を駆使しても、肉体の老化を止めることはできないし、定められた寿命を延ばすこともできない。
発達した科学を駆使しても、過去を変えることはできないし、先を見定めることもできない。
時間をコントロールする力なんて、到底、持ち得ない。
しかし、時に対して備えることはできる。

死に備えるには、まず、これから先を見てみることが必要。
今の延長線上にある先と自分が死んだ後を見れば、その是非も見えてくる。
自分は、何を大切にし、何を成し、何を残したいか・・・
それらが浮き彫りになれば、生き方を考えることになる。
生き方を考えれば、生き方が変わる。
自分が「正しい」と考える方向、自分が「良い」と考えるかたちに今の生き方を変えることができれば、自ずと、死に対する備えも整ってくるのではないかと思う。

大地震を意識しながら生活するなんて、何とも落ち着かなくて窮屈。
死を意識しながら生きることも、同じように思えるかもしれない。
そんなこと気にしないで気楽に愉快に過ごせば、人生はそれなりに充実したものになるだろう。
しかし、死を意識すれば、時間の密度や濃度は更に上がる。
その有限性と希少性によって特別に取り上げられた人生には、真の充実感、楽しさや喜びの実感、多くの幸が湧き出るのではないだろうか。


“備え”は“憂い”によってもたらされる・・・
憂鬱は、精神を冷たい暗闇で覆う。
それ自体は、温かくも明るくもない。
ただ、それは、ストーブのための灯油のようなもの、懐中電灯のための電池のようなもの。
その精神を温めるきっかけになることがあり、未来を照らす手助けをしてくれることがある。
そしてまた、人生の中のひとつの時間でもある。

幸か不幸か、私には、抱えきれないほどの憂鬱が与えられている。
まずは、そんな備えのチャンスが与えられていることに感謝することから始めたいと思う今日この頃である。




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