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クリエイト速読スクールブログ
なおしのお薦め本(35)『橋本治という行き方』
クリエイト速読スクール文演第1期生の小川なおしさんから、お薦め本が届いています。
橋本 治著
これは、「一冊の本」という雑誌に2001年から2005年までに連載されていたエッセイを集めたものです。
この中に、橋本治の読書論とも言える文章があります。作家というのは、本を読むことぐらい楽にやっているのだろう、と思っていました。しかしながら、どうやらそうではないようです。引用します。
「『本』というものは、『他人の世界観を目の前にして、それを理解するために自身の世界観を修正する』というような、とんでもなくめんどくさいものでもある。『学ぼう』という意志、『自分はこれを学ばなければならない』と思う謙虚さがなければ、『本を読む』ということは可能にならない。『本を読む』には、そういう厄介さが中心にある。
だから私は、『読書の楽しみ』などと言われると、引いてしまう。私にとって『本を読む』は、『自分の知らない世界観につきあう』で、『それを学ぶ』だから、とんでもなくしんどい。『学ぶしかないか』とあきらめて、それが可能になるような態勢作りをするのに、とんでもない時間がかかる。『楽しみ』などというものがあるのだったら、その苦労を覚悟した先のことだ。
本を読む人間の数が減ってしまったから、『読書の楽しみ』をアピールしようとするが、読書がそう簡単に楽しいはずがない。『楽しいから本を読もう』とか『おもしろいから本を読もう』とアピールする前に必要なのは、『楽しむにしろなんにしろ、人生はまず学ぶことを必要とする』というアピールだ。
本を読むことがもっぱらに『楽しみ』である人達は、読むことが苦にならないものばかりをもっぱらに読む。そして、『本を読むことは勉強だ』と思う人の多くは、『本を読んで勉強していた過去』ばかりを頭に置く。『私は過去において本を読んで、もう出来上がってしまっているので、今さら本は読まない』という大人は、いくらでもいる。『本』というものは、『異質な世界観と出喰わす衝撃』でもある。その『衝撃』を、『学んで意味のあること』と位置付けないと、本なんか読んでも、なんの意味もない。『本なんか読まなくても大丈夫』と思う人達は、自分の中の『出来上がってしまった世界観』だけで、なんとかやっていける人達なのだ。そして、現代ではそこから問題が生まれる。なにしろ、イラク戦争は、『異質な世界観のぶつかり合い』でしかないからだ。
私は、現在の問題の多くが、『異質な他人に対する想像力の欠如』を原因にしているとしか思えない。そういう意味で、『他人というテクストを読む』が出来にくくなっているのだが、それはつまり、『本をちゃんと読めない』と同じなのだ。だからこそ、『本は要る』のだ」
これは、「『本』というもの」と題されたエッセイの一部です。本は「めんどくさい」「厄介」なもの、という指摘に頷いている間に、橋本ワールドに引き込まれてしまいました。イラク戦争の話が突然出てくるので戸惑いますが、これが書かれたのが2004年。特定の人物を攻撃することなく自己主張する。こういうこともできるんだ、と感心もしました。 なおし
■小川なおしさん参考記事
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とはいえ、ここまで考えながら読む人はなかなかいないですね
特に《『本なんか読まなくても大丈夫』と思う人達は、自分の中の『出来上がってしまった世界観』だけで、なんとかやっていける人達なのだ。》という文章。
格言みたいです。ちょっと長いけど。
何度読んでも衝撃的ですね。
そしてタイトルが「生き方」ではなく「行き方」だったのにようやく気付きました。
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