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なおしのお薦め本(59)『さもなくば喪服を』

 クリエイト速読スクール文演第1期生の小川なおしさんから、お薦め本が届いています。

 

 『さもなくば喪服を

  ラリー・コリンズドミニク・ラピエール共著 志摩隆訳

 

  「闘牛士エル・コルドベスの肖像」という副題がついています。

  闘牛という題材、そしてノンフィクションの翻訳物であること、さらに500頁を超す分量。そんな、この本に対する私個人のマイナス条件を拭い去ったのは、この本が当時のスペインの空気感をじつによく伝えているからだと思います。

  スペインの若者が闘牛士になるということは、「黒人のスラム街の子供が拳一つで白人の世界に飛び込んでいこうとする」ことや「アンデス山脈の中のインディオの鉱夫の息子が、その魔法のような足で満場のサッカー場の大観衆をわかせる」ことと同じく、「貧しき者が唯一つ成り上がる方策」でした。

  1964年5月20日。この日のエル・コルドベスのマドリード初登場を、スペイン全国民が待ち焦がれていました。この本の40頁あたりに、その日のマドリードの喧騒の様子が描写されています。ここを読んで、私は最後まで読もうという気になりました。すこし長めに引用します。

 「法律に規定された二千三百枚の切符を売りつくすのに一時間とかからなかった。売り終わると、ビクトリア街はたちまち闇市と化した。ダフ屋たちは群集の中から客と私服刑事を鋭く区別しながら、一夜の徹夜の報酬をできるだけ高く売りつけようと、声を殺し、目は油断なくあたりを見回しながら小路のへりをうろついていた。値段はやがて額面の十五倍まで上がった。日陰のリング・サイド席は、二百五十ドルから三百ドル、スペイン人の年収よりも高い額になった。陽のあたる側の最上段席のような悪い場所をとるためにも、工場労働者たちは時計を質におくありさまだった。銀行の事務員たちは、日陰のあまり良くない席を手に入れるために、三ヶ月分のサラリーをふいにした。

 ダフ屋たちが商品を売り歩いている一方、生涯を闘牛に捧げた熱心でしかつめらしい顔の人々で小路はいっぱいになった。これは闘牛よりも神聖だと信じている議論を唯一の慰めとしている専門の闘牛ファンたちだ。季節にかかわりなくつねに上衣とネクタイをつけ、通りに沈みゆく太陽の熱い陽ざしをさえぎるためにひさしを深くおろしたパナマ帽といういでたちで、彼らは聞く耳をもつ人を求めて酒場から酒場へと、まるでアイルランドの政治家の通夜に集まった会葬者のように、重々しい表情で逍遥するのであった。

 彼らの集まる場所は、サンタ・アナ広場のドイツ・ビア・ホール、《アレマナ》だった。黒ずんだくるみの羽目板が涼しげな殿堂である。ここにエビの桃色の肉や、赤みがかった褐色の塩干しマグロなどに囲まれて、闘牛ファンの貴族階級が集まるのだ。引退した闘牛士や、裕福な牛の飼育者たち、興業主や、著名な闘牛評論家たちが、ゆっくりとビールを味わいながら、これまでの何十年間をすごしてきたのと同じように、過去の闘牛士たちをほめ、現在の闘牛士たちをけなし、未来の闘牛士たちに絶望するのであった。

 牡牛の形にさえ変化を好まない彼らは、アンダルシア出身の粗野な若造の成功などには目もくれなかった。この男は、彼らの神聖視する技術の規範を無視していたために、軽蔑されていた。彼は優美さに代えるに山師的やり方をもってし、技巧に代えるに恐れを知らぬ蛮勇をもってし、神聖さに代えるに卑俗な媚をもってした、と彼らはいう。この男は一時的に世に出た道化者であり、十年に一度かそこら現れるはかないただの珍種にすぎないのだと、彼をしりぞけた。彼らは意地の悪い几帳面さで、この男はつい最近出てきたばかりのもとの無名の世界に急速に戻っていくであろうと予言した。《アレマナ》に集まる威厳のある慎重な態度の人々にとってエル・コルドベスは彼らの非とする闘牛技術を使う闘牛士でしかなかったのである。ばさばさの髪、人を馬鹿にしたような高笑い、闘牛場のかたくるしい儀式を軽視することなどは、彼らが理解も容赦もすることのできない現在のスペイン国民や青年の気風をそっくりもち込んだものと思われた。彼のひき起す興奮は、闘牛の技術を知りもしない大衆の中から生じたものと確信していた。大衆というものは、芸術家の身振りよりもアイドルの媚に反応するものである。彼はスペイン人の生活に急速にくいこんできている生活風潮、すなわち彼らがあれほど長いあいだ守ってきたスペイン社会の優美で厳格な規範を保つ物見櫓を脅かすような俗悪さ、凡庸さ━━そしてデモクラシー━━の象徴であるように思われた。しかしながら、彼らはそれほど軽蔑しながらも、この五月の朝、彼らがその技術を笑いぐさにした青年の闘牛を見るために切符をふりかざすのを止めることはなかった」

 翻訳物に特有のとっつきにくさは確かにあります。でも、ここまで読んで大丈夫そうでしたら、ぜひ手にとってみてください。闘牛に興味がなくても、スペインという国に興味があれば楽しめると思います。

  ついでに申し上げますと、BGMにマイルス・デイヴィスアランフェス協奏曲を流しておくとピッタリはまります。オススメします。     なおし

 

             ■参考記事

      ※もりぞう爺さんの話(上)

コメント ( 1 ) | Trackback ( 0 )
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コメント
 
 
 
翻訳物に特有のとっつきにくさ (空猫)
2015-01-30 03:36:11
意外と、本文の方は引っ掛かりのない文章でした。
でも内容は難しいというか、厳めしい印象ですね!

冒頭の「貧しき者が唯一つ成り上がる方策」部分の例えが外国っぽいですね~

以前、「雄牛を虚勢しにいく気分」などという例えを聞いて、さっぱり想像できないどころかドン引きしてしまったことがありましたが。
やはりその辺の感覚の違いはあるみたいですね

「スペインの空気感」よく伝わってきます。
ノンフィクション、これから読んでいきたいと思います!
 
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