秋はむらさきなのかしら
それとも目が紫を探してしまうのかしら?
今回の師匠の言葉は
紫でお稽古は
固有が持っている尺度が最優先
というお話
新曲「カヴァレリア・ルスティカーナ」にしても
半年以上弾き続けている「デボラのテーマ」にしても
アコーディオンで今まで弾いて来た曲も全部に当てはまるお話
絵は描き手が見たように描くから漠然と(鑑賞する側も)解る
目が暗く見ていたら絵もそういう絵を描くかもしれない
例えば、モネは、ああいうふうに見えて点描画になったのかもしれない
見え方は見た表現になるように
聞こえ方っていうのは、聞こえた演奏になりうるってことよ♪
なので
直そう、という行為はあまり効果がない
何かに類似て弾こう、と思っても
結局自分の耳でそう聞こえないものを模倣するのは、どう腕を動かしているかというひたすら指の工業的な問題。
人の音は良く聞こえてるのよ♪
自分で弾くとなるとダメになる
自分の音として入って来るから。
音楽をする上で最も大切なのは
指ではないんだよね♪
運動神経でもない
耳なのよ
耳ってのは固有のもので
どう聞こえてるかっていうのは
自分の音しか、多分、聞こえかたはわからない
あなたが、どう聞こえているかって状況は全く想像できない
もしかして(数人いれば)
同じ音でも違ってるふうに聞こえているかもしれないし
あるいは
私はその程度だとこれくらいにしか聞こえない、とかね
自分にはこう聞こえる、とかね
どうしても
固有がもってる尺度が最優先
なんだってさ(師匠もどなたかに聞いたらしい)
でも反対に
自分の否を善にかえることは出来るワケよ♪
選択肢を間違え無いようにすることですね
何を弾くかってことです♪
もちろん
好きなものはいくらでも弾いていいです
それが多少おかしくても問題ないです
でも外で弾くときは、、
というお話
服にも家着とおしゃれ着があるように
自分で弾く曲にも当てはまるお話で
そんなこと今まで考えたことなかったなー。
好きな曲=弾きたい曲=外で弾く曲
でしょう?ふつう
何が自分に合っているか、合わないのか
サイズは合っているか
という捉え方
お似合いの曲があることは事実♪
ただ、うがった見方で裏をかえせば
「自分で聞こえる音は真っ直ぐだ」
という認識が必要
by 師匠
自分で弾いているときは
音の大小も少しはついてるんじゃないかなー、なんて思ってたんですけど
録音を聞くと
たしかに。
仰るとおり
マッスグ
もうちょっとなんとかならないのかね、と弾くと
弾いてるときは波があるように聞こえてる(恐ろしい)
でもその録音は
そうでもない、、。
これの繰り返し、繰り返しで
折れ線グラフのように
右肩上がりになればいいんだけどねー😅
次は来月