MKママと親爺の『四季つれづれ』

古希を迎た田舎おやじがMKママ(家内)と孫とワンコで綴る気まぐれ日記。

茗荷の新芽。

2016-04-19 23:32:40 | 日記
田舎親爺の庭に茗荷の新芽を見つけた。ニョキニョキと今年はたくさんの新芽が顔を出してくれた。茗荷筍にすれば美味しいよと教えてくれる知人。隣にいた誰かが、食べ過ぎると物忘れがひどくなるよ、これ以上物忘れが酷くなったら大変だと脅かしにかかる・・・

茗荷に、いつもついてまわる話。田舎親爺もそうなのかなあ~~~なんて疑心暗鬼に陥ったことも。
茗荷好きの食べすぎを戒める話なのでしょうか。

俗説の由来のお話、少し長くなりますが宜しかったらお付き合いください。





茗荷といえば、たくさん食べると物忘れをする。と昔からいわれてきた。この俗説の由来は、ある非常に物覚えの悪いお坊さんが亡くなり、その墓から茗荷が生えてきたためだとされるが、本当のところは、少々趣の違う話である。

茗荷の名前の元になったお坊さんは、周利槃特(しゅりはんどく)という。周利槃特は、天竺(インド)の北部に生を受け、兄の摩河槃特(まかはんどく)と共にお釈迦様に弟子入りした。兄は賢く、お釈迦様の教えをよく理解し、深く仏教に帰依したが、弟の周利槃特は物覚えが悪く、自分の名前すら覚えられなかった。そのため、托鉢に出かけても、お釈迦様の弟子として認められず、乞食坊主扱いをされ、お布施を貰うことが出来ない。お釈迦様はこれを憐れみ、「周利槃特」と書いたのぼりをこしらえて「明日からこれを背負って托鉢に行きなさい。もし名前をたずねられたら、これでございますと、のぼりを指差しなさい。」といわれた。次の日から托鉢の時にのぼりを背負っていくと、人々はお釈迦様の書かれたのぼりをありがたがり、たいそうなお布施をいただくことができるようになったそうである。

 さて、兄は、物覚えの悪い弟に、何とかお釈迦様の教えを覚えさせようと手を尽くしてやるが、弟の方は、朝に覚えていたものを昼には忘れてしまう。周利槃特は、自分のおろかさに涙を流して途方にくれた。それを見ていたお釈迦様は「自分が愚かであると気づいている人は、知恵のある人です。自分の愚かさを気づかないのが、本当の愚か者です。」といわれ、ほうきを周利槃特に渡して「ごみを払おう、あかを除こう」と唱えて掃除をしなさいと教えた。

 その日から周利槃特は、雨の日も、風の日も、暑い日も、寒い日も、毎日「ごみを払おう、ちりを除こう」と唱えながら掃除をし続けた。やがて「おろか者の周利槃特」と呼ぶ人はいなくなり、「ほうきの周利槃特」と呼ばれるようになった。そして数十年経ち、周利槃特は自分の心のごみやあかを全て除き、阿羅漢と呼ばれる聖者の位にまでなったのである。お釈迦様は、「悟りを開くということは決してたくさんのことを覚えることではない。わずかなことでも徹底すればよいのである。周利槃特は徹底して掃除をすることでついに悟りを開いたではないか。」と大衆の前でおっしゃった。その後、周梨槃特が亡くなり、彼のお墓にあまり見たこともない草が生えてきた。彼が自分の名を背に荷(にな)ってずっと努力し続けたことから、この草は「茗荷(みょうが)」と名づけられたということである。

出典:朝日新聞・和のおいしいことば玉手箱
文・小谷 良孝 氏 情報提供=辻調おいしいネット

と、言うことで先ずは安心、今年も美味しい茗荷しっかりいただきましょう。
最後まで、お付き合いありがとうございました。
コメント (12)
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