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好日7 ブラームスを聴きながら

2007年03月01日 07時00分00秒 | 好日6~10

  好日7 ブラームスを聴きながら



 ソファーに脚を投げ出し、頭を枕にのせて、クラッシックの名曲を聴く。独り自在の王国で遊ぶ。多くの時間がそのようにして流れた。

「俺たちの欲望には繊細な音楽が欠けている」と記した時のランボーの、心の内に流れていた音楽を、いま知りたく思う。

 孔子は斉国に居た時、韶の音楽を聴いて感動し、数か月間肉の味も分からないほどであったという。その時孔子の内部で起こっていたことは、言語化できないものであった。孔子はただ「音楽がこういうところにまで至るとは思いもよらなかった」とのみ語っている。音楽に感動し言葉を失う孔子。これこそ真の孔子像だ。

 小林秀雄の最晩年の著作はブラームスを聴きながら書かれたという。なるほどブラームスの音楽のあの円熟・完成度は小林秀雄の文体に通じるところがある。

 毎日ショパンばかり聴いて過ごした日々があった。サルサ・クラブで踊って、帰って来て自分の部屋で聴くのはやはりショパン。孤独を荘厳する力がショパンにはある。ショパンはポーランドのダンス音楽を、聴く音楽に作り変えた。そこがショパンの音楽の普遍性の根っこにある。現代に生まれ変わったら、ショパンはサルサをピアノ曲に作り変えるのではないかしら。

 音楽が終わる時、詩が始まる。逆もまた真なり。

 学生時代、私は『日本浪曼派批判序説』の著者であり日本政治思想史の研究者である橋川文三先生のゼミに所属していた。そのゼミの講義の中で最も印象深かったのは、司馬遷の『史記』についての話を聞いた時であった。竹内好に個人教授で中国語を学んでおられた先生は、『史記』の全文も原文で読まれていたようである。司馬遷の時代と現代は、中国語に文法的な違いはそれほどないことなどを話の枕にされた。ところで、荊軻による秦の始皇帝暗殺のドラマをクライマックスとするその日の講義は、まずギリシャと中国の歴史叙述のスタイルの違いの話題から始まった。

 ギリシャの歴史叙述は、ヘロドトスの『歴史』でもツキディディスの『戦史』にしても、それぞれペルシャ戦争やペロポンネス戦争といった〈事件〉を時間を追って語るという叙述のスタイルを取っている。これは基本的に現代の歴史叙述にまで至る方法である。しかし司馬遷の『史記』の叙述のスタイルはギリシャ人の創始したものとは根本的に異なっていた。紀伝体と呼ばれるそのスタイルは、「本紀」でまず王朝の歴史を述べた後に、「世家」の部で諸侯の歴史を語り、最後に「列伝」で個人の伝記を加えている。このようにして王朝の歴史から個人を含む世界全体を記すスタイルのユニークさ語った後、特に「列伝」が素晴らしいのだということを、荊軻の例を以て先生は示されたのであった。

 先生は身振り手振りを交えて荊軻の性格や経歴を語られた。そしてついに荊軻は始皇帝暗殺に出発する。「風蕭々として易水寒し。壮士ひとたび去ってまた還らず」と荊軻が詩を詠む段に至った時、僕らは時空を超えて中国の壮大な世界のその日その時を、まざまざと見るかのような臨場感を味わったのであった。あの日の橋川氏は、始皇帝刺殺を企てる哀しき荊軻の心に感情移入したもう一人のテロリストであった。恐るべき詩人であった。

 「さあ、音楽だ!」(ロートレアモン『ポエジー』) 


 復元された斉国の古代音楽「韶」  演奏は6分過ぎ頃から


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