【少女の自爆テロ】 誰もこの少女を責めることはできない!
★ 10代少女が自爆テロか 子どもら16人死亡
AP通信が伝えるところによれば、ナイジェリア北東部・ヨベ州の州都で15日、10代の少女によるとみられる自爆テロがあり、16人が死亡、30人が負傷した。
誰もこの少女を責めることはできない! なぜならば、この幼い少女が自分の命を捧げて守ろうとしたものが何であったか。そのことを、我々日本人は真剣に考えているとはとうてい思えないからだ。
かっては日本も多くの若者が自爆攻撃を行った時代があった。特攻隊である。パレスチナ難民の間にはいまもなおこの特攻隊の精神を讃える声が絶えない。圧倒的な物量を誇る敵に対峙する手段は他にないからだ。敵に屈しないという意思を自爆テロという形で表示するしか他に闘争の手段がないからだ。
私はこの少女がただ大人に利用されただけだとは思わない。どれほどの純粋さがこの無謀な自爆テロの中に含まれていたかは計り知れるものではない。
この少女の自己犠牲に匹敵する行為を、どの日本人が行っているか? 私をも含めて我々日本人はこのような悲劇をなくするため、どれほど意志一致を獲得するための努力をなしているといえるのか?
我々日本人こそ世界平和を築く中心勢力となるべきなのに、今の日本は戦争のできる国へと一路邁進しているではないか? 恥を知れ! 日本人。この少女の前に頭を垂れよ!
少女の自爆テロにより犠牲になった少年少女とそのご家族の皆さまに深く哀悼の意を捧げます。
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★「恒久法」制定がなぜ「積極的平和主義」に繋がるのか誰も分からない。首相も分からない。
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コメントもご参照下さい ↓
テロ擁護と勘違いされては困りますが、
リシャウィ死刑囚も、バグダディもイラク戦争でとても辛い目に合っているそうです。
リシャウィは、野菜を売って貧しい生活をかろうじて送っていたものの、家族3人を失いシリアに逃げた。
そして一週間前に結婚した夫に連れられ自爆テロ。
10年間囚われの身。幸せだった頃はあったのでしょうか?
バグダディは、物静かで穏やかにコーランをいつも離さず読んでいた青年だった。
イラク戦争でやはり家族を失い、米軍のキャンプブッカを転々とさせられ劣悪な環境で過ごし2年後に釈放。
転々とあちこちに移動する間に、今のISの幹部たちとの繋がりができたそうです。劣悪で人権侵害された環境で過ごす2年間で過激的な思想になってしまう。
勿論、元々の貧困や、政権に惑わされたり、宗教的な事、過去の歴史的背景なども関係しています。
それらが生み出した、多くの意味での戦いが創り上げてしまったモンスターなのです。
ISは確かに残酷、非道です。
しかしこのような背景に目も向けず、全く危険も貧困とも縁のないところから「罪を償わせる」などど、言って良いものでしょうか。
軍事力という暴力によって本当の意味での平和は訪れるはずはないのです。
私のような小娘が考えている事さえ、わからない我が国の首相。このままでいいはずはありません。
葛藤があったのでしょう。
多感な年頃の少女、日本や欧米ならおしゃれをし、異性にも興味を持ち将来の夢も持ちます。
夢はなんだったの?
何を思って、自爆に向かったの?
飢てはなかったの?
家族は?
多くの国の多くの人たちが当たり前にあるものが、
あったとは思えません。
そんな少女を、責める権利も価値も私達にはないはずです。
どうか、一人一人が、こんな事が起こらなくていい世の中に向かって行けるように、まずは自分自信を見つめ、考えなくてはならないのではないでしょうか?
失われた尊い命の魂が、今は穏やかでありますように。ご冥福を心からお祈り致します。
ねこさんのこの祈りに、私の祈りを重ねたいと思います。
最も崇高な行為は祈ることである。
誰の言葉だったか? もしかしてボブ・ディランだったかもしれません。
祈りというのは、自分よりももっと大きな存在に向き合うことです。そして、その存在に対して、自己の無力を告白することにほかなりません。
自己の無力を自覚したその時こそ、救いの兆しがほのみえてくるのではないかという気がいたします。
ねこさんは、誠意あふれるコメントをお寄せ頂いて、このブログの価値を高めて下さいました。ありがとうございました。