【ダンボールの部屋】 いつも輝いて煌めいていましょう!

ダンボールの部屋へようこそ!!! ここはWEBの聖地だ ヽ(^0^)ノ

【橋川文三の文学精神】 三 転機としての昭和31年

2014年06月16日 06時00分00秒 | ★第二篇 橋川文三の文学精神1~5

 


  【橋川文三の文学精神】 第3回     内容目次@本文リンク



三 転機としての昭和31年

 
 
猪瀬直樹は吉本隆明との対話で三島由紀夫について次のように述べている。


吉本 六十年以後の三島さんの言動は、僕には、戦前の爛熟した上流社会を復活させようとするモダニズムに見えました。

猪瀬 一面では当たっています。三島さんの世界が崩壊するのは、昭和三十一年の経済白書で「もはや戦後ではない」と書かれたときですね。あの経済白書は、今読んでみると、三島由紀夫と共通する美文なのです。このとき「戦後が終わった」のではなく、気づいてみると、むしろ戦前が終わっていたんです。それからです、三島由紀夫の伝統回帰への執念が芽生えるのは。

吉本 なるほど。とても、よくわかります。猪瀬さんが橋川文三(1922年ー1983年)さんの仕事を引き継いでいることが、その分析で納得できました。
 (吉本隆明との対話「三島由紀夫と戦後50年」 猪瀬直樹著作集 第二巻『ペルソナ 三島由紀夫伝』所収)

 
 
吉本隆明こそは橋川文三の最大の理解者であった。橋川文三が死去したとき弔辞を読んだのは吉本隆明であった。弔辞の中で吉本は橋川の果たした仕事を次のように評価している。「わたしはいまもじぶんを、おおきな否定とのり超えの途上に歩むものとかんがえています。こういうわたしの眼からは、橋川さんは、すでに歴史の方法をわがものとした完成の人と映り、羨ましさに堪えません」。

『金閣寺』は「新潮」に昭和31年1月号~10月号に連載された三島のおそらく最高傑作であるが、その翌年昭和32年に橋川が1高の同級生によって刊行された同人誌「同時代」に協力して『日本浪曼派批判序説』(以後『批判序説』と略記、著者注)の連載を始めている。期せずしてこの両者は各々の最高傑作を相前後して発表した。

 なぜ昭和31年なのか。この年「戦後は終わった」からなのである。しかし猪瀬は昭和31年を「戦前が終わった」と読み替える。猪瀬直樹が橋川文三の仕事を引き継いでいるという吉本隆明の指摘はある核心を突いている。


~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~

■著者より
●「橋川文三の文学精神」は6月14日より28日まで全15回連載します。
●ここで吉本隆明の名前が出てきましたが、私は『れぎおん』という今は廃刊になった連句の同人誌に、「好日」という総タイトルで50回ほどの連載をし、その中のある回で思想家としての吉本と橋川を比較し、橋川文三が一等、吉本隆明が二等という評価を下しています。ちなみに三等は小林秀雄です。参照⇒
好日27 戦後最大の思想家は誰か
なお、好日27には和田さんと名乗る方からのコメントがつけられています。素晴らしい内容です。私の記事と併せてお読み頂ければ幸いです。
●吉本隆明が亡くなった時は、吉本の文業について総合的な評価も行いました。
参照⇒好日41 吉本隆明への論理的弔辞
●今回は「橋川文三の文学精神」の連載3回目ですが、初回と二回目の連載当日のブログアクセス数は、初回の6月13日がIP(訪問者数)69で、PV(閲覧数)215。二回目はIP60でPV200でした。当分はこの程度の数字が続くものと推測しています。
 


最新の画像もっと見る

コメントを投稿