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かまくらdeたんか 鹿取未放

馬場あき子の外国詠、渡辺松男のそれぞれの一首鑑賞。「かりん」鎌倉支部の記録です。毎日、更新しています。

馬場あき子の外国詠 25(アフリカ)

2018-12-19 19:37:18 | 短歌の鑑賞
  馬場あき子の外国詠3(2007年12月実施)
    【阿弗利加 1サハラ】『青い夜のことば』(1999年刊)P159~
      参加者:N・I、Y・S、崎尾廣子、T・S、高村典子、藤本満須子、
          T・H、渡部慧子、鹿取未放
     レポーター:藤本満須子 司会とまとめ:鹿取未放


25 ベルベル族のテントに入りてミントティー飲む朝の顔蠅まみれなり

      (まとめ)
 馬場の旅に同行した友人によると、沙漠の真ん中に天幕を張って暮らしているベルベル族の遊牧民を訪ね、長老からミントティのもてなしにあずかったそうだ。もちろんそれも料金が払われているのである。〈われ〉も仲間もベルベル族の人たちもみんな蠅まみれになっているのだろう。土地の人は慣れているし、追い払ってもきりがないからそのままにしているのだろうが、旅行者は気になることであろう。しかしおおっぴらに追い払うのも憚られ、お互い、苦笑して耐えている図だろうか。
 レポートの気になる所について触れておく。馬場の歌「不愛なる赤砂の地平ゆめにさへ恋しからねどアトラスを越ゆ」を「ゆめにさえ恋しかったアフリカ」と解釈しているが、それでは逆の意味になる。「恋しから」は形容詞「恋し」の未然形、「ね」は打消の助動詞「ず」の已然形、「ど」は逆接の確定条件を表す接続助詞だから「夢にさえ恋しくはないけれども」赤砂の沙漠に入ろうとしてアトラスを越えるという歌意である。では、ほんとうに夢にさえ恋しくなかったかというとそうでもないところが微妙ではあるが、表現された意味としては打消なのである。(鹿取)
 

     (レポート抄)
 ミントティをのんでいるのは作者、蠅まみれの顔も作者であろう。ユーモアもペーソスも感じる歌である。ところで、11番歌の「不愛なる赤砂の地平ゆめにさへ恋しからねどアトラスを越ゆ」に始まるこの一連は、ゆめにさえ恋しかったアフリカ、たった一日の旅ではあるがサハラに足を踏み入れることができた。長年作者は夢に描きそして渇望していたのではないか。(藤本)



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