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かまくらdeたんか 鹿取未放

馬場あき子の外国詠、渡辺松男のそれぞれの一首鑑賞。「かりん」鎌倉支部の記録です。毎日、更新しています。

馬場あき子の外国詠 31(アフリカ)

2018-12-25 19:23:36 | 短歌の鑑賞
  馬場あき子の外国詠4(2008年1月実施)
  【阿弗利加 2 金いろのばつた】『青い夜のことば』(1999年刊)P162~
   参加者:K・I、N・I、崎尾廣子、T・S、高村典子、
       藤本満須子、T・H、渡部慧子、鹿取未放
  レポーター:渡部慧子      司会とまとめ:鹿取 未放
 

31 観光として生き残る水売りの老爺鈴振る真赤(まつか)なる服

      (まとめ)
 レポーターは真赤な服をサンタクロースの格好ととらえているが、民族衣装だろう。おそらくかつて実用として水が売られていた時から着用していたのだろう。観光としてのあざとさがいくらかは気にかかりながら、作者にはそういう風俗を伝えつづけてほしい気持ちもあるのではないか。
 レポーターが引いている水牛の歌は、この歌にはあまり関連しないが、馬場あき子歌集『南島』に載る。沖縄の先島七島を巡った旅の歌で、由布島での体験がもとになっているようだ。沖縄の小さな島で戦争を越え、老いて更に生き続ける人の労苦がいかばかりだったか、直接問うことはしないで思いやっている、重くしみじみとした歌である。(鹿取)


      (レポート)
 アフリカモロッコは水の少ない地であろう。そういう暮らしにつながる水売りに出会った。どうやら観光客相手に、その形を残しているらしいが、老爺のいでたちはまるでサンタクロースだ。国民の99%がイスラム教であるというモロッコにおいて、キリスト教文化の一端を取り込んで商魂たくましくユーモラスに生きている様がとらえられているのだが、商魂とかかわらなくても、世の虚飾にとらわれずどのようにもなりおおせる老爺、そんなところへも想いのおよぶ一首だ。 (慧子)
 観光の水牛の後(しり)に吾を乗せし老爺の戦後問はず思はむ

                    

コメント
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