馬場あき子の外国詠3(2007年12月実施)
【阿弗利加 1サハラ】『青い夜のことば』(1999年刊)P159~
参加者:N・I、Y・S、崎尾廣子、T・S、高村典子、藤本満須子、
T・H、渡部慧子、鹿取未放
レポーター:藤本満須子 司会とまとめ:鹿取未放
21 沙漠行きしランボーの心知りがたし砂みれば愛はとうに滅べり
(まとめ)
ランボーの簡略な年譜を記す。
1854年 フランスに生まれる
1871年17歳 前年からパリへの家出を繰り返していたが、この年、パリでヴェルレー
ヌに出会い、二人でブリュッセル、ロンドンなどを放浪する。
1873年19歳 ヴェルレーヌに拳銃で撃たれ入院。ヴェルレーヌは逮捕され、ランボー
は『地獄の季節』を書く。
1875年21歳 様々な職業を転々としながら、ヨーロッパ、紅海方面を放浪
1886年32歳 ハラール(現エチオピアの町)にて武器商人となり、しだいに成功する。
1891年36歳 骨肉腫が悪化、マルセイユに戻り右足を切断。全身に癌が転移して死去。
ざっとこんな生涯をたどったランボーであるが、地図で見る限りハラールからサハラまでは国を幾つも経由しなければならない、とんでもない距離である。若い頃から放浪を繰り返した破天荒なランボーにとって、それはもちろん何でもない距離かも知れない。そもそも武器商人となって金儲けだけに執心するランボーの姿は、文学にも人間の情愛にも絶望した現れのようで痛ましい。その果ての沙漠行は、失われた愛のかけらを求めたのか、人間や現世への絶望をさらに自らに確認するためか、行為そのものでわれわれの疑問を拒絶しているようだ。
しかし作者はそんなランボーの荒みはてた心の底をおもんばかっているのであろう。果てしなく広がる沙漠を見渡しながら、何ものも生まない沙漠に愛などとうに滅んでいるのに、とランボーを偲ぶのである。(鹿取)
(レポート抄)
先月のサハラの歌に〈ランボーはサハラに至らざりけるか〉とあったが、ここでは〈ランボーの心知りがたし〉とうたっています。作者のランボーへの心寄せがうかがわれます。ここでは上の句でうたっているようにランボーの心は誰にも知ることはできない。三句で「知りがたし」ときっぱり述べている作者にうなずける思いだ。全集の中に「愛の沙漠」という散文詩が入っているが、実際の現実の沙漠とは関係はない。このサハラの砂を見ると人間の愛なんてとうに滅びてしまっている、ここに作者の沙漠への深い思いが凝縮されているのではないか。ランボーの狂的な情熱と沙漠との関係とでもいうのか、とりあわせがすごいと思った。作者は億という単位で淘汰されてきたこのサハラ、そしてそこに生きてきた先史人にまで思いを馳せているのだろうか。(藤本)
【阿弗利加 1サハラ】『青い夜のことば』(1999年刊)P159~
参加者:N・I、Y・S、崎尾廣子、T・S、高村典子、藤本満須子、
T・H、渡部慧子、鹿取未放
レポーター:藤本満須子 司会とまとめ:鹿取未放
21 沙漠行きしランボーの心知りがたし砂みれば愛はとうに滅べり
(まとめ)
ランボーの簡略な年譜を記す。
1854年 フランスに生まれる
1871年17歳 前年からパリへの家出を繰り返していたが、この年、パリでヴェルレー
ヌに出会い、二人でブリュッセル、ロンドンなどを放浪する。
1873年19歳 ヴェルレーヌに拳銃で撃たれ入院。ヴェルレーヌは逮捕され、ランボー
は『地獄の季節』を書く。
1875年21歳 様々な職業を転々としながら、ヨーロッパ、紅海方面を放浪
1886年32歳 ハラール(現エチオピアの町)にて武器商人となり、しだいに成功する。
1891年36歳 骨肉腫が悪化、マルセイユに戻り右足を切断。全身に癌が転移して死去。
ざっとこんな生涯をたどったランボーであるが、地図で見る限りハラールからサハラまでは国を幾つも経由しなければならない、とんでもない距離である。若い頃から放浪を繰り返した破天荒なランボーにとって、それはもちろん何でもない距離かも知れない。そもそも武器商人となって金儲けだけに執心するランボーの姿は、文学にも人間の情愛にも絶望した現れのようで痛ましい。その果ての沙漠行は、失われた愛のかけらを求めたのか、人間や現世への絶望をさらに自らに確認するためか、行為そのものでわれわれの疑問を拒絶しているようだ。
しかし作者はそんなランボーの荒みはてた心の底をおもんばかっているのであろう。果てしなく広がる沙漠を見渡しながら、何ものも生まない沙漠に愛などとうに滅んでいるのに、とランボーを偲ぶのである。(鹿取)
(レポート抄)
先月のサハラの歌に〈ランボーはサハラに至らざりけるか〉とあったが、ここでは〈ランボーの心知りがたし〉とうたっています。作者のランボーへの心寄せがうかがわれます。ここでは上の句でうたっているようにランボーの心は誰にも知ることはできない。三句で「知りがたし」ときっぱり述べている作者にうなずける思いだ。全集の中に「愛の沙漠」という散文詩が入っているが、実際の現実の沙漠とは関係はない。このサハラの砂を見ると人間の愛なんてとうに滅びてしまっている、ここに作者の沙漠への深い思いが凝縮されているのではないか。ランボーの狂的な情熱と沙漠との関係とでもいうのか、とりあわせがすごいと思った。作者は億という単位で淘汰されてきたこのサハラ、そしてそこに生きてきた先史人にまで思いを馳せているのだろうか。(藤本)