馬場あき子の外国詠2(2007年11月実施)
【阿弗利加 1サハラ】『青い夜のことば』(1999年刊)P155~
参加者:崎尾廣子、T・S、N・T、藤本満須子、渡部慧子、鹿取未放
レポーター:崎尾 廣子 司会とまとめ:鹿取 未放
15 何も生まず何も与へず生かしめぬ砂のサハラの明けゆく偉大
(まとめ)(2007年11月)
これは沙漠の夜明けに感動し讃えた歌だろう。「何も」の語は「生かしめぬ」にも掛かっている。3句まで、思わず口をついて出たようなことばがほとばしっている。その死のような砂の堆積の上から一点の陽光が射し、やがて赤い砂がバラ色に染まりながら夜が明けてゆく。死のような無のような沙漠が生み出す大パノラマ、その不可思議に地球の神秘、命の不思議を感じたのだろう。(鹿取)
(追記)(2018年12月)
『馬場あき子新百歌』(2018年5月出版)に鹿取がこの歌を鑑賞したので、重なる部分もありますが、全文引用します。
一九九六年九月のモロッコの旅に取材した「阿弗利加」一連はサハラ、金いろのばつた、蛇つかひの三部からなる五十三首の大作で、掲出歌はサハラの五首目にあたる。
打ち消しを連ねた上句の後に大肯定を置くのは〈植えざれば耕さざれば生まざれば見つくすのみの命もつなり〉(『桜花伝承』)などでもおなじみの手法だ。掲出歌の三句までは思わず口をついて出たようにことばが迸しっていて力がある。それら否定の語は「不毛の」などと既成の言葉で一括りにしたのでは到底表現できない実感にあふれている。また、サハラ砂漠ではなく、砂のサハラと言ったところも新鮮だ。
旅の同行者によると、日の出を見るために午前四時過ぎにホテルを出発したという。死のように暗く冷たく無限に広がる砂の堆積の頂きに一点の光が射し、やがて赤い砂がバラ色に染まりながら夜が明けてゆく。その光景に馬場は圧倒された。天地もろともに闇から光りへと移行する場に立っている感動は、何も生まないサハラを「偉大」と讃える以外に言葉がなかったのだろう。
その荘厳な夜明けに身を置いていると、おのずと宇宙の神秘や命の不思議を感じただろう。人間や文明を拒絶するかにみえるサハラが逆説的に命や文明についての思念を誘うのである。砂は命を持たず、言葉を持たない。人間だけが複雑な思考を表現できる言葉を持ち、不特定多数の他者に呼びかけることのできる詩を紡ぐ。
沙漠行きしランボーの心知りがたし砂
みれば愛はとうに滅べり
サハラの夜明けに言葉を失いつつ馬場はしきりにランボーのことを思っている。なぜランボーはその詩を棄て、友人を棄て、都会を棄てて沙漠に行ってしまったのか。「知りがたし」というが、言葉と格闘してきた馬場には言葉を持つものの苦しみはもちろん充分に分かっているのである。ひるがえって言葉を持たないものの偉大さにも深く撃たれたのだろう。
そして、言葉を持つ以前の人間についても考えたかもしれない。人間にも文字はおろか言葉を持たない長い長い時代があった。そんな大昔にも、サハラには陽が昇り陽が沈んだ。大昔の人間たちもサハラの夜明けに感動したにちがいない。言葉を持たない時代の人間はサハラの夜明けに立ってどんな感動の声を上げただろうか。
【阿弗利加 1サハラ】『青い夜のことば』(1999年刊)P155~
参加者:崎尾廣子、T・S、N・T、藤本満須子、渡部慧子、鹿取未放
レポーター:崎尾 廣子 司会とまとめ:鹿取 未放
15 何も生まず何も与へず生かしめぬ砂のサハラの明けゆく偉大
(まとめ)(2007年11月)
これは沙漠の夜明けに感動し讃えた歌だろう。「何も」の語は「生かしめぬ」にも掛かっている。3句まで、思わず口をついて出たようなことばがほとばしっている。その死のような砂の堆積の上から一点の陽光が射し、やがて赤い砂がバラ色に染まりながら夜が明けてゆく。死のような無のような沙漠が生み出す大パノラマ、その不可思議に地球の神秘、命の不思議を感じたのだろう。(鹿取)
(追記)(2018年12月)
『馬場あき子新百歌』(2018年5月出版)に鹿取がこの歌を鑑賞したので、重なる部分もありますが、全文引用します。
一九九六年九月のモロッコの旅に取材した「阿弗利加」一連はサハラ、金いろのばつた、蛇つかひの三部からなる五十三首の大作で、掲出歌はサハラの五首目にあたる。
打ち消しを連ねた上句の後に大肯定を置くのは〈植えざれば耕さざれば生まざれば見つくすのみの命もつなり〉(『桜花伝承』)などでもおなじみの手法だ。掲出歌の三句までは思わず口をついて出たようにことばが迸しっていて力がある。それら否定の語は「不毛の」などと既成の言葉で一括りにしたのでは到底表現できない実感にあふれている。また、サハラ砂漠ではなく、砂のサハラと言ったところも新鮮だ。
旅の同行者によると、日の出を見るために午前四時過ぎにホテルを出発したという。死のように暗く冷たく無限に広がる砂の堆積の頂きに一点の光が射し、やがて赤い砂がバラ色に染まりながら夜が明けてゆく。その光景に馬場は圧倒された。天地もろともに闇から光りへと移行する場に立っている感動は、何も生まないサハラを「偉大」と讃える以外に言葉がなかったのだろう。
その荘厳な夜明けに身を置いていると、おのずと宇宙の神秘や命の不思議を感じただろう。人間や文明を拒絶するかにみえるサハラが逆説的に命や文明についての思念を誘うのである。砂は命を持たず、言葉を持たない。人間だけが複雑な思考を表現できる言葉を持ち、不特定多数の他者に呼びかけることのできる詩を紡ぐ。
沙漠行きしランボーの心知りがたし砂
みれば愛はとうに滅べり
サハラの夜明けに言葉を失いつつ馬場はしきりにランボーのことを思っている。なぜランボーはその詩を棄て、友人を棄て、都会を棄てて沙漠に行ってしまったのか。「知りがたし」というが、言葉と格闘してきた馬場には言葉を持つものの苦しみはもちろん充分に分かっているのである。ひるがえって言葉を持たないものの偉大さにも深く撃たれたのだろう。
そして、言葉を持つ以前の人間についても考えたかもしれない。人間にも文字はおろか言葉を持たない長い長い時代があった。そんな大昔にも、サハラには陽が昇り陽が沈んだ。大昔の人間たちもサハラの夜明けに感動したにちがいない。言葉を持たない時代の人間はサハラの夜明けに立ってどんな感動の声を上げただろうか。