かまくらdeたんか 鹿取未放

馬場あき子の外国詠、渡辺松男のそれぞれの一首鑑賞。「かりん」鎌倉支部の記録です。毎日、更新しています。

馬場あき子の外国詠 33(アフリカ)

2018-12-27 21:13:48 | 短歌の鑑賞
  馬場あき子の外国詠4(2008年1月実施)
  【阿弗利加 2 金いろのばつた】『青い夜のことば』(1999年刊)P162~
  参加者:K・I、N・I、崎尾廣子、T・S、高村典子、
       藤本満須子、T・H、渡部慧子、鹿取未放
  レポーター:渡部慧子      司会とまとめ:鹿取 未放
 
33 鞄ごと跳ねて喜々たる少女ふと迷路に消えてここより自由市場(スーク)

     (まとめ)
 レポーターはこの少女に若き日の作者を重ねる解釈にこだわっているが、その必要はないだろう。初句の描写にいかにも楽しげな少女の様子が見えるようだ。こういう元気の良い少女はどこにもいるものでかわいいなあと見ていたら、外国人には迷路のように見える路地に入っていってしまった。ここからはスークと呼ばれる野外市場である。すこし恐いが好奇心いっぱいな作者が思われる。T・Hのは穿った意見だが、この歌に少女の悪意を見てしまうとこの歌の弾んだ気分を害してしまう。謎程度でとどめた方がいいだろう。(鹿取)
                    

     (レポート)
 旅のつれづれ、作者の前を行く少女に目がとまる。持っている鞄は少女の夢や未来を象徴していて、いい小道具である。作者は幼子、少女、乙女にすずやかであたたかい目差しを送る人。「鞄ごと跳ねて」にもそれが感じられる。
 作者が自身を言う懐かしみぐせもあり、旅の感傷もあり、その少女に若き日の自分を見ていた。すると迷路に少女が消え、そこはスーク。鮮やかな場面転換があり、作者は現実に立ち返る。このような鑑賞が成り立つのは、一首に自然な構成のうまさがあるからだが、それは作者の在り方に裏打ちされたうまさである。行きずりの少女に自分を見、スークに来れば現実にかえるという、自由闊達さ。それは今という時に渾身であれば、その場の感慨に対して、それと知らず、すがすがしい断念を伴っていると言えないだろうか。そんなことが思われて味わい深い一首である。(慧子)


           (当日意見)
★実はこの少女は観光客をおびき寄せる役割をしているのかもしれない。(T・H)

コメント
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