ブログ版渡辺松男研究2の17(2019年1月実施)
Ⅱ【膨らみて浮け】『泡宇宙の蛙』(1999年)P85~
参加者:泉真帆、M・I、K・O、岡東和子、A・K、T・S、
曽我亮子、渡部慧子、鹿取未放
レポーター:泉真帆 司会と記録:鹿取未放
126 ひんやりとサラリーマンはひとを待つ雲見ては雲にすこしほほえみ
(レポート)
お題がサラリーマンの題詠のように、この一連はサラリーマンの歌群になっている。ひんやりと待つさまが第四句の「雲見ては雲に」につながり、長い時間ぽつんとそこにいてあれこれ眺めながら人を待つ姿がよく伝わってくる歌だ。(真帆)
(当日意見)
★頭に「ひんやりと」を持ってきたのがとてもいいと思います。下の句にどう繋がるかはよくわか
らないのですが、感性で持ってきたのでしょうか?(慧子)
★雲と繋がっているのでしょう。雲って雨粒の塊ですから、ひんやりしているのでしょうね。でも
確かに「ひんやりと」でこの歌は詩になったと思います。(鹿取)
★サラリーマンが人を待つ場面って、人間としての発展があまりない場合が多い。そういう心象が
「ひんやりと」になっている。また「ひんやりと」のヒと「ひと」のヒの音の響き合いとかひら
がな表記も柔らかくていい感じです。(K・O)
★「サラリーマンはひんやりと」ではなく、「ひんやりとサラリーマンは」と「ひんやりと」を
初句に持ってこられたのが素晴らしい。文法上はこの「ひんやりと」は「待つ」に掛かっている
のだと思います。「ひんやりと」にサラリーマンの人間関係の在りようがよく出ています。「さ
びしい」と言ったら駄目だし、「楽しい」と言ったらもっと駄目だし。「雲見て」もいいし、「ほ
ほえみ」も効いていますね。「ほほえみ」って難しいので短歌には少ないですよね。(A・K)
★坂井修一さんは「ほほゑむ」をよく使われます。川漄利雄さんの雑誌に頼まれて坂井さんの歌集
『アメリカ』の評を書いたことがありますが、その題が「ほほえむ博士」でした。坂井さんはそ
れほど「ほほゑむ」の使用頻度が多いです。この松男さんの歌については皆さんがおっしゃった
通り「ひんやりと」がとても活きているし、「ほほえみ」もいいと思います。サラリーマンとい
う〈われ〉の在りようを羞恥をもって、でも肯定しているというそんな気分かなあと思います。
ここで待つ人は恋人でもいいかなと思いますが、それは各人の読みでいいのでしょうね。(鹿取)
Ⅱ【膨らみて浮け】『泡宇宙の蛙』(1999年)P85~
参加者:泉真帆、M・I、K・O、岡東和子、A・K、T・S、
曽我亮子、渡部慧子、鹿取未放
レポーター:泉真帆 司会と記録:鹿取未放
126 ひんやりとサラリーマンはひとを待つ雲見ては雲にすこしほほえみ
(レポート)
お題がサラリーマンの題詠のように、この一連はサラリーマンの歌群になっている。ひんやりと待つさまが第四句の「雲見ては雲に」につながり、長い時間ぽつんとそこにいてあれこれ眺めながら人を待つ姿がよく伝わってくる歌だ。(真帆)
(当日意見)
★頭に「ひんやりと」を持ってきたのがとてもいいと思います。下の句にどう繋がるかはよくわか
らないのですが、感性で持ってきたのでしょうか?(慧子)
★雲と繋がっているのでしょう。雲って雨粒の塊ですから、ひんやりしているのでしょうね。でも
確かに「ひんやりと」でこの歌は詩になったと思います。(鹿取)
★サラリーマンが人を待つ場面って、人間としての発展があまりない場合が多い。そういう心象が
「ひんやりと」になっている。また「ひんやりと」のヒと「ひと」のヒの音の響き合いとかひら
がな表記も柔らかくていい感じです。(K・O)
★「サラリーマンはひんやりと」ではなく、「ひんやりとサラリーマンは」と「ひんやりと」を
初句に持ってこられたのが素晴らしい。文法上はこの「ひんやりと」は「待つ」に掛かっている
のだと思います。「ひんやりと」にサラリーマンの人間関係の在りようがよく出ています。「さ
びしい」と言ったら駄目だし、「楽しい」と言ったらもっと駄目だし。「雲見て」もいいし、「ほ
ほえみ」も効いていますね。「ほほえみ」って難しいので短歌には少ないですよね。(A・K)
★坂井修一さんは「ほほゑむ」をよく使われます。川漄利雄さんの雑誌に頼まれて坂井さんの歌集
『アメリカ』の評を書いたことがありますが、その題が「ほほえむ博士」でした。坂井さんはそ
れほど「ほほゑむ」の使用頻度が多いです。この松男さんの歌については皆さんがおっしゃった
通り「ひんやりと」がとても活きているし、「ほほえみ」もいいと思います。サラリーマンとい
う〈われ〉の在りようを羞恥をもって、でも肯定しているというそんな気分かなあと思います。
ここで待つ人は恋人でもいいかなと思いますが、それは各人の読みでいいのでしょうね。(鹿取)