かまくらdeたんか 鹿取未放

馬場あき子の外国詠、渡辺松男のそれぞれの一首鑑賞。「かりん」鎌倉支部の記録です。毎日、更新しています。

馬場あき子の外国詠 382(中欧)

2020-03-31 18:58:13 | 短歌の鑑賞
  馬場あき子の外国詠53(2012年6月実施)
        【中欧を行く 虹】『世紀』(2001年刊)P105~
      参加者:N・I、崎尾廣子、曽我亮子、渡部慧子、鹿取未放
      レポーター:藤本満須子(急遽代理のため書面のみの参加)
      司会と記録:鹿取 未放


382 ヴルタヴァの朝雨に立つ虹見ればかなしきかなやスメタナの祖国

          (レポート)
 ヴルタヴァ川の朝の雨に虹を見ていると、かなしく胸に迫ってくるものがある。ここはスメタナの祖国だ。(藤本)
 ヴルタヴァ(モルダウ)川:プラハの市内を悠々と南から北へ流れる
 スメタナ:(1824~1884)ボヘミア生まれの作曲家。チェコ国民音楽を確立。歌劇〈売
      られた花嫁〉、交響詩〈わが祖国〉等を作曲。ハプスブルク帝国下のチェコにあって
      早くから民族意識に目覚めた人。1848年フランスの二月革命の波を受けプラハで
      急進派が蜂起した際は国民義勇軍の一員として参加した。1849年Fリストとク
      ララ・シューマンの援助を得て、プラハに私立の音楽学校を創設する。1856年か
      ら5年間はスウェーデンで指揮者を務めるがチェコ独立運動の機運に呼応して186
      1年帰国、民族運動の芸術界におけるリーダー格として活動を開始した。チェコ人の
      為の国民劇場建設に向け、その仮劇場で代表作のオペラ〈売られた花嫁〉(1866)
      を初演した。1874年には聴覚を失うが、創作力は衰えを見せず交響詩組曲〈わが
      祖国〉(1879)など作曲する。プラハの精神病院で死去。チェコ国民音楽の父と
      呼ばれる。
 スメタナの祖国:1528年オスマン帝国の脅威を前に、ハプスブルク家の支配下に入った。
          1918年オーストリア・ハンガリー二重帝国の解体までハプスブルク帝国
          は600年続く。(1918年最後の皇帝カール一世の退位)チェコスロバキ
         ア共和国として独立。しかし第二次大戦中ドイツに合併されたが、戦後独立を
         回復。1948年2月のクーデター、チェコスロバキア共和国共産党の政権が
         成立、社会主義国となる。1969年民主化(プラハの春)が始まる。ソ連武
         力介入。民主派が後退、対ソ協調の強化、国内の民主化運動弾圧。1989年
         共産党の独裁体制の崩壊、市民フォーラムを結成して活動してきたバベルが大
         統領に。1969年よりチェコスロバキアの連邦体制をとったが、1989年 
          以降スロバキア側の分離・独立の主張が急速に高まり、1993年チェコとス
         ロバキアはそれぞれ独立の共和国となった。


             (当日発言)
★スメタナの祖国と大きく捉え、虹にスメタナの生涯を重ねている。(N・I)
★レポーターによるとスメタナは六十歳で亡くなっている。しかも精神病院で。朝虹は儚い感じ
  がする。朝虹に誘われた「かなしきかなや」だろう。(慧子)
★「かなしきかなや」は悲哀の哀だけではなく、愛情の愛も兼ねている気分だと思う。朝の虹が
  立つモルダウを見ていると曲も浮かび、ああここがスメタナの生きて生活していた祖国なのだ
  と、感動が湧いたのだろう。(鹿取)
★ここでは虹がはかないと捉えた慧子さんの意見に賛成。381番歌(一夜寝てプラハの街は雨な
 がら太虹立てり見つつ離(か)れなむ)は「太虹」といっているので、はかなさとは遠いようだ
 が、381番歌のレポーターの評「(太虹に)明るい希望を見い出している」とは少し違う印象
 をもつ。382番歌以降の虹には、絵画に多く見られるこの世のはかなさの象徴とするイメージ
 が濃い。(鹿取)
★歴史の変遷のかなしさ。川のほとりに記念館がある。(曽我)


            (まとめ)
 「かりん」の連載エッセー「さくやこの花」⑤(2011年5月号)で、馬場は婚約時代のことを書いている。それによると岩田正は無類の音楽好きで、遊びに行くといろいろレコードを聴かされ、「なぜかストラビンスキーやドボルザーク、スメタナを私も好きになり、よく聴いた。」とある。ここからも作者はスメタナに相当の思い入れを持っていたことが分かる。(鹿取)


           (追記)(2013年11月)
 レポーターが「スメタナの祖国」として現代までの国の変遷をまとめてくれているが、1884年没のスメタナはオーストリア・ハンガリーの二重支配までしか知らない。交響詩組曲〈わが祖国〉もそれ以前の過去を向いて作曲されている。もちろんわれわれはその後の激動の歴史も知る必要があるし、「かなしきかなや」と馬場が詠嘆している「スメタナの祖国」は、当然激動の20世紀までを踏まえての感慨である。(鹿取)

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