ブログ版 清見糺の短歌鑑賞 15 モロッコ見聞録
鎌倉なぎさの会
99 下部温泉駅前ホテルに投宿すまだまだ死なないつもりでひとり
「かりん」96年9月号
結句にはやや韜晦の気分がただようが、本人の意識の上では死がまだ切実感を伴っては迫ってきていないのだろう。(鹿取)
100 塗箸はにくきものなりいくたびもエゴを酢味噌にとりおとしたり
楽しい遊びの歌。エゴのことばの発見が味噌。エゴは海草を加工したこんにゃくのようなものだが、それを自我(エゴ)と掛けている。塗り箸は老いの身には扱いにくいもので、何度もエゴを滑らせて落としちゃったよ、というのだ。老いの悲哀がかそかにあることはあるが、深刻ではない。若い頃のような自我は少しく丸くなっているのかもしれない。「にくき」はだから本当ににくいわけでもない。(鹿取)
鎌倉なぎさの会
99 下部温泉駅前ホテルに投宿すまだまだ死なないつもりでひとり
「かりん」96年9月号
結句にはやや韜晦の気分がただようが、本人の意識の上では死がまだ切実感を伴っては迫ってきていないのだろう。(鹿取)
100 塗箸はにくきものなりいくたびもエゴを酢味噌にとりおとしたり
楽しい遊びの歌。エゴのことばの発見が味噌。エゴは海草を加工したこんにゃくのようなものだが、それを自我(エゴ)と掛けている。塗り箸は老いの身には扱いにくいもので、何度もエゴを滑らせて落としちゃったよ、というのだ。老いの悲哀がかそかにあることはあるが、深刻ではない。若い頃のような自我は少しく丸くなっているのかもしれない。「にくき」はだから本当ににくいわけでもない。(鹿取)