かまくらdeたんか 鹿取未放

馬場あき子の外国詠、渡辺松男のそれぞれの一首鑑賞。「かりん」鎌倉支部の記録です。毎日、更新しています。

渡辺松男の一首鑑賞 127

2020-12-09 18:44:37 | 短歌の鑑賞
 渡辺松男研15(14年5月)まとめ
    【Ⅱ ろっ骨状雲】『寒気氾濫』(1997年)57頁~
     参加者:四宮康平、鈴木良明、曽我亮子、渡部慧子、鹿取未放
     レポーター:渡部 慧子 司会と記録:鹿取 未放
             

127 まがことをもたらすために父は来る ろっ骨状雲ひろがるゆうべ

     (発言)      
★渡辺さんは父親のことをかなり意識していらっしゃる。男性の父親に対する気持ちは女性の父親
 に対する気持ちとは違うところがある。張り合う気持ち、うっとうしく思う気持ちもあるだろ
 う。それを歌にするのは難しいでしょうね。(曽我)
★一般的にそうですよね。ただ、渡辺さんはどこかで父親はとても超えられない大きな存在だった
 と書いていらっしゃったように思います。また、当然、実際の親子関係が歌には影を落としてい
 るでしょうけど、基本的には家族の歌(もちろん全ての歌に言えることですけれど)は造形され
 たものだと思っています。そしてそのお父さん、お祖父さん、弟さん、それぞれ魅力的な造形だ
 と思っています。(お母さんはちょっと違うんですが、ここでは踏み込むのやめます。)(鹿取)
★この歌でもとてもスケールの大きなお父さん像が「ろっ骨状雲」が広がる景の中で提示されてい
 ると思います。乳房雲というのも以前出てきましたが、雲の名称なんかも好きなんでしょう
 ね。(鹿取)


(まとめ)
 同じ『寒気氾濫』に〈商工会会長渡辺巳作氏が巨大茶碗で茶を飲む朝〉というリアルな歌がある。とりあえず上の句は客観的事実で、実際の作者の父であろう。しかし「ろっ骨状雲」一連で詠まれている「父」は現実の父を超えて造形されている。別の歌で鈴木さんも言及されていることだが、そもそも〈われ〉がイコール渡辺松男ではないのだから、当然「父」も現実の父を超えて普遍化されている。なによりも、この一連の歌を家長とか家族役割内での父親とかに限定した鑑賞は歌柄を小さくしてしまうだろう。(鹿取)

コメント
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