かまくらdeたんか 鹿取未放

馬場あき子の外国詠、渡辺松男のそれぞれの一首鑑賞。「かりん」鎌倉支部の記録です。毎日、更新しています。

渡辺松男の一首鑑賞 205

2021-04-19 20:00:22 | 短歌の鑑賞
 渡辺松男研究 25(15年3月) 【光る骨格】『寒気氾濫』(1997年)86頁~
   参加者:石井彩子、曽我亮子、渡部慧子、鹿取未放
   レポーター:渡部 慧子  司会と記録:鹿取 未放
    

205 万緑に抜きいでてたつ岩に立ち狗鷲(いぬわし)か風に晒されて濃し    

       (レポート)
 中村草田男の〈万緑の中や吾子(あこ)の歯生え初むる〉によって、生命力の旺盛をいうとき、この万緑が圧倒的な存在感をもつ語となった。その万緑を抜けでるさまの岩に狗鷲がいて激しく風が吹く状態。晒すとは、日・光・風雨にあてるの意があり、布・こうぞなどを水・雪に晒して白くすることはよく知られる。狗鷲の本質的要素の強さや存在感を濃くする作用として「晒」すが意表をつく。私達が従来抱いていたものと逆の意味に用いて、言葉遣いが新鮮である。(慧子)   

          (意見)
★「晒す」は、この歌では内面を晒すとかいうときの晒すの意味ではないですか。万緑の中の岩の
 上に一羽でしょうね、狗鷲が風に向かって立っている、その存在感の濃さでしょうか。(鹿取)
★ 濃いというのは密度が高いというように受け取ったのですが。(曽我)
★そうですね、鷲って強くて紋章になるような、王者の風格を備えた鳥だから、圧倒的な存在感が 
 あるのでしょうね。(鹿取)
★孤高って感じですね。こういう風景、墨絵かなんかで見たことがあるような気がします。晒され
 ては何かちょっと屈折した感じですね。(石井)


      (後日意見)
 鹿取の当日意見で「鷲って強くて紋章になるような、王者の風格を備えた鳥だから」と言っているが、ツァラツストラが常に伴っている〈誇り〉の象徴としての鷲を思った方がよいかもしれない。 『ツァラツストラはかく語りき』の「より高い人間について」4では、ツァラツストラが「より高い人間」に「わが兄弟たちよ」と呼びかけ次のように言う。
   神さえももはや見ていない隠者の勇気、ワシの勇気をきみたちは持っているか?――中略―
   深淵を見る者、しかしワシの目をもって見る者――ワシの爪をもって深淵をつかむ者、そう   いう者が勇気をもっているのだ。――
 しかし、205番歌の上の句の「万緑に抜きでて立つ岩」の造形は当日の石井発言の墨絵のようだという印象は強く、確かに東洋的な景である。だから神と対峙し、神を捨てて超人を目指すツァラツストラとは違う要素も加味して鑑賞しないといけないのだろう、とも思う。(鹿取)

コメント
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