ホテルから見えていたダウラギリ
フィルム写真の画像をデジカメで撮影したので、左上の光は蛍光灯の反射です、下の写真も同様
ホテルからダウラギリと反対方向を望む(チベット側)
写真追加版 馬場の外国詠19 (2009年7月)
【ムスタン】『ゆふがほの家』(2006年刊)91頁~
参加者:泉可奈、T・S、T・H、渡部慧子、鹿取未放
レポーター:渡部 慧子 司会とまとめ:鹿取 未放
152 八千メートルの山の背碧空のほかはなしあなさびし虚空なす時間のありぬ
(まとめ)
小型機に乗ってジョムソンからポカラに移動している一連の中にある歌。ダウラギリ、マチャプチャレ、アンナプルナなどの山名が一連に出てくる。しかし、この歌、単独で読むと地上から眺めている感じがある。滞在したジョムソンからダウラギリ8157メートルが見えたので、その印象かも知れない。八千メートルを超えて聳える山の背には真っ青な空が見えている。そして空しか見えない。その空には「虚空なす時間」があるという。「虚空」を改めて「広辞苑」で引いてみると仏教語で「何もない空間」を指すとある。何もない空間に、おそらく作者は長い長い宇宙的な時間をみているのであろう。
156番歌「生を継ぎはじめて長き人間の時間を思ふヒマラヤに居て」にも関連するが崇高な山の姿にふれて、それらヒマラヤの山脈が形成された気の遠くなるような宇宙的時間を思ったのであろう。また、その後に生まれた人類の歩んできた長い長い時間をも思うのであろう。「あなさびし」はそんな宇宙的時間にふれた詠嘆のように思われる。(鹿取)