2024年度版 馬場あき子の外国詠46(2011年12月実施)
氷河鉄道で行く】『太鼓の空間』(2008年刊)167頁~
参加者:K・I、N・I、鹿取未放、崎尾廣子、曽我亮子、
たみ、藤本満須子、渡部慧
334 薄き空気と高さに馴れし体らは標高三千ではしやぎはじめぬ
(まとめ)
ユングフラウヨッホ駅からエレベーターで上るスフィンクス展望台は3571メートルだそうだ。この歌には精神の高揚感がある。「体ら」の複数は「自分だけでなく他の人たちも、という意味」との意見があったが、複数の人ではなく〈われ〉の手も足も頭もというように体の複数の器官を指しているともとれる。私はこちらの説。だから「はしやぎはじめ」たのは〈われ〉の体感をいっているのだろう。(鹿取)
(レポート)
一首の成り立ちを見てみると初句は7音で、あとは7・5・9・7音と続く。ゆるやかに歌い始めている2音字余りの初句であるが、初句、2句、3句の最初の1音1音を追ってゆくとそこに軽やかにリズムがある。酸素の薄さにも慣れ、目・耳・皮膚などの感覚がもどり、体の動きまでも軽くなって行く感じをこのリズムで表現しているように思う。高所ゆえのにぎにぎしさに自然と顔がほころぶ歌である。(崎尾)
(当日意見)
★人間は高所では内省的になりにくい。これが地下なら内省的になるだろう。
(慧子)
★「体ら」は複数を表し、自分だけでなく他の人たちも、という意味。
(藤本)
★高さにだんだん順応して体が喜びに浸れる状態になってきた。同時
に心も解放された。(たみ)
★評者のレポートについて、「初句、2句、3句の最初の1音1音を
追ってゆくとそこに軽やかにリズム がある」とあるが、これは
もっと具体的に言わないと説得力がない。(鹿取)
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