かまくらdeたんか 鹿取未放

馬場あき子の外国詠、渡辺松男のそれぞれの一首鑑賞。「かりん」鎌倉支部の記録です。毎日、更新しています。

渡辺松男『泡宇宙の蛙』の一首鑑賞 214

2022-12-19 11:53:25 | 短歌の鑑賞
   2022年度用 渡辺松男研究2の28(2019年10月実施)
     Ⅳ〈水〉『泡宇宙の蛙』(1999年)P138~
     参加者:泉真帆、岡東和子、A・K、菅原あつ子(紙上参加)、鹿取未放
     レポーター:岡東和子    司会と記録:鹿取未放


214 めがねとり顔近づけてゆきたれば沼滲むなりてのひらのうえ

     (レポート)
 作者の手のひらにある「沼」というのは、雨粒だろうか。しかし、「滲む」とあるのだから、これは涙かもしれない。一首全体にゆつたりとした時間の流れが感じられる。(岡東)


      (紙上参加意見)
 何かつらく苦しい思いがあって、作者は眼鏡をはずし手のひらに顔を包もうとした。すると、涙が落ちて手のひらがにじんでみえたのだろう。(菅原)


       (当日発言)
★前回、「てのひらののっぺらぼうにぎょっとせり結んでひらくてのひらは妣
 (はは)」についてA・Kさんが名解釈をしてくれたんだけど、このてのひら
 はいかがでしょうか?(鹿取)
★滲むってなんでしょうね。単なる現象か?それとも暗示なんでしょうか?
  (A・K)
★生理的に考えれば、てのひらの沼は汗ですけど、暗示的な沼でしょうね。
  (鹿取)
★後の歌にも沼が出てきますね。「まなうらに波ゆれている沼のあり波しずまり
 しときさかな落つ」って。涙が出てきたから眼前にあるものが滲むのだと思う
 のですが。(真帆)
★菅原さんの、包もうとするとあるけど包もうとしたら手の平の上にはならな
 い。(A・K)

コメント
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