馬場あき子の外国詠57(2012年10月実施)
【中欧を行く カレル橋】『世紀』(2001年刊)P116~
参加者:K・I、N・I、崎尾廣子、鈴木良明、曽我亮子、藤本満須子、渡部慧子、鹿取未放
レポーター:崎尾 廣子 司会と記録:鹿取 未放
412 彫像に見られゐるわれは小さなる一瞬に過ぎず無視して通る
(レポート抄)
目にする景から常に距離を置いて見ている作者を感じる。2句、4句を字余りにたっぷりと表現している。旅行者次々とその前を通り過ぎてゆく人々の中の一人にすぎないと自身を見ている。3句、4句に作者の涼しげな理性を感じる。(崎尾)
(当日発言)
★彫像は半永久的である。露わではないが人間とのかすかな対比。(慧子)
★先生は彫像のような形有るものにはあまり共感しない。だから無視して通るのだ。(N・I)
★いや、そんなことはありません。共感しないから無視して通るのでもないし、共感もしています。
第一、旅で出会うものの大半は形があります。(鹿取)
★彫像がどこのものか特定されていないのはまあいいとして、歌のつくりがおおざっぱな気がす
る。「小さなる一瞬」というのはどこに掛かるのだろうか。(藤本)
★「小さなる一瞬」が掛かる部分はないが、自分が通り過ぎる時間のことを言っているのでしょう。
彫像を無視して自分が通る、その一瞬。(鹿取)
★自分の存在自体の小ささと、観光が一瞬に過ぎ去っていくことを言っている。(鈴木)
★作者の歌の特徴で、命のないもの、人間ではないものが自分を見ているというのがあるが、こ
れもその一つ。ほかの人でも彫像が自分を見ているとうたうことがあるかもしれないが、作者
は「無視して通る」と自意識をたてているところが面白い。私は一瞬の観光者にすぎず、だか
ら彫像と対峙することもないから無視して通っていくだけだと。(鹿取)
★雑な歌い方のようにみえるが、両方を振り切っていて面白い。彫像の視線と、そこを通るときに
作者によぎった自分は小さな一瞬の存在だという思いと、両方を振り切っている。(鈴木)
【中欧を行く カレル橋】『世紀』(2001年刊)P116~
参加者:K・I、N・I、崎尾廣子、鈴木良明、曽我亮子、藤本満須子、渡部慧子、鹿取未放
レポーター:崎尾 廣子 司会と記録:鹿取 未放
412 彫像に見られゐるわれは小さなる一瞬に過ぎず無視して通る
(レポート抄)
目にする景から常に距離を置いて見ている作者を感じる。2句、4句を字余りにたっぷりと表現している。旅行者次々とその前を通り過ぎてゆく人々の中の一人にすぎないと自身を見ている。3句、4句に作者の涼しげな理性を感じる。(崎尾)
(当日発言)
★彫像は半永久的である。露わではないが人間とのかすかな対比。(慧子)
★先生は彫像のような形有るものにはあまり共感しない。だから無視して通るのだ。(N・I)
★いや、そんなことはありません。共感しないから無視して通るのでもないし、共感もしています。
第一、旅で出会うものの大半は形があります。(鹿取)
★彫像がどこのものか特定されていないのはまあいいとして、歌のつくりがおおざっぱな気がす
る。「小さなる一瞬」というのはどこに掛かるのだろうか。(藤本)
★「小さなる一瞬」が掛かる部分はないが、自分が通り過ぎる時間のことを言っているのでしょう。
彫像を無視して自分が通る、その一瞬。(鹿取)
★自分の存在自体の小ささと、観光が一瞬に過ぎ去っていくことを言っている。(鈴木)
★作者の歌の特徴で、命のないもの、人間ではないものが自分を見ているというのがあるが、こ
れもその一つ。ほかの人でも彫像が自分を見ているとうたうことがあるかもしれないが、作者
は「無視して通る」と自意識をたてているところが面白い。私は一瞬の観光者にすぎず、だか
ら彫像と対峙することもないから無視して通っていくだけだと。(鹿取)
★雑な歌い方のようにみえるが、両方を振り切っていて面白い。彫像の視線と、そこを通るときに
作者によぎった自分は小さな一瞬の存在だという思いと、両方を振り切っている。(鈴木)
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