2024年度版 渡辺松男研究44(2016年12月実施)
『寒気氾濫』(1997年)【半眼】P148~
参加者:泉真帆、M・S、曽我亮子、渡部慧子、鹿取未放
レポーター:渡部 慧子 司会と記録:鹿取 未放
365 触れんばかりの碧空があり今日こそは樹冠が何かしそうな気配
(レポート)
碧空をあこがれる者にとって、それはふれんばかりなのに、触れられないもどかしさがある。つねづね、そんな想いを抱いていると高木の樹冠が今日こそ何かしそうな気配だという。(慧子)
(当日意見)
★今日こそ樹冠が何かしそうというのは光合成ではないですか。(曽我)
★何かいいことがありそう。木の先の方に希望がありそう。(M・S)
★ふれんばかりって、普通によく使いますよね。手が届きそうな感じって。この場合は〈われ〉にとって、でいいと思うけど、樹冠でもいいのかな。何かしそうの具体は曽我さんが光合成っておっしゃったんだけど。光合成はいつでもしているわけで、「今日こそは」には合わないですね。(鹿取)
★先端の動きが先鋭になってきて、いたずらでもしそう。(真帆)
★そうですね、空に届こうと背伸びしそうとか、そんな感じかしらね。(鹿取)
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