かまくらdeたんか 鹿取未放

馬場あき子の外国詠、渡辺松男のそれぞれの一首鑑賞。「かりん」鎌倉支部の記録です。毎日、更新しています。

渡辺松男の一首鑑賞  313

2021-09-21 17:10:50 | 短歌の鑑賞
 渡辺松男研究38(2016年5月実施)
  【虚空のズボン】『寒気氾濫』(1997年)128頁~
   参加者:石井彩子、泉真帆、M・S、鈴木良明、曽我亮子、Y・N、渡部慧子、鹿取未放
   レポーター:石井 彩子   司会と記録:鹿取 未放


313 ワープロに太虚という字をたたきこみわれには捨つるものばかりなり


      (レポート)
 ワープロに太虚という字を叩きこむという激しい行為によって、作者は様々な欲望や物事への執着に囚われること=煩悩から逃れようとしている。太虚は捨てるものが多い作者の煩悩を消去する場所である。煩悩が心身から離れるという意味では、作者は迷妄を払い去って、生死を超えた永遠の真理を会得する悟り、あるいは涅槃(ねはん)の境地を深く思索しているのかもしれない。(石井)
 太虚:虚空(こくう)の意味であり、何もない空間、大空と訳されるが、仏教的には何も妨げるものがなく、すべてのものの存在する場所と訳される。(Wikipediaその他)

     (当日意見)
★ワープロに打ち込んでいるぐらいだから、もっと日常的な歌だと思います。「太虚」が「煩悩を
 消去する場所」だというのも言葉の綾でしょうが妙な気がします。この歌で悟りとかいうこ
 とまで作者は考えていないでしょう。本人がいつか、悟りなど考えたことはないとも言っていま
 したし。(鹿取)


   (後日意見)
 「太虚」は広辞苑では「①おおぞら、虚空」と出ており、②で北宋の儒学者・張載が説いた特殊な意味が載っている。難しく考えずにここは「おおぞら」でいいと思う。心に昂ぶることのあった〈われ〉は、ワープロに「太虚」という文字を叩き込んだ。おおぞらを思えば自分の怒り(あるいは、悲しみや寂しさかもしれない)など取るに足らないと思う為だろうか。そうして〈われ〉には捨てるものばかりが多いことだ、と思う。捨てるものは自尊心とか虚栄心とか所有欲とかそういう類のものかもしれないが、そしてこれらは立派な煩悩ではあるが、即、〈われ〉がここで悟りを志向していると考えるのは短絡的だろう。もちろん、いくら作者が「悟りへの志向」を否定しても、歌に根拠を求めて論述することはできるが、このレポートではその根拠が説かれていないと思う。(鹿取) 


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