かまくらdeたんか 鹿取未放

馬場あき子の外国詠、渡辺松男のそれぞれの一首鑑賞。「かりん」鎌倉支部の記録です。毎日、更新しています。

清見糺の一首研究  52

2020-08-09 17:21:57 | 短歌の鑑賞
  ブログ版清見糺研究      モロッコ紀行
      参加者:田村広志、寺戸和子、T・K、T・H、鹿取未
       まとめ:鹿取未放      


52 ピロシキを食いながらゆく文学部「自我の墓場」の看板のある
                  「かりん」97年3月号          

★文学は自我を埋没させるものだとの認識があり、これは文学を選択してきた
 己への絶望感である。つまり、戦後の青年である作者はピロシキに象徴され
 るロシア文学の非常な影響下にあったことを暗示しているのだ。もしこれが
 法学部だったら、もっと体制に向けた告発の意味になるだろう。(田村)

 「自我」は難しく考えるときりがないが、立看であるから、大学や行政、社会に対する告発なのだろう。そうすると学生の「自我」を押さえつけ、ねじ曲げ、ものを考えない人間を量産している大学を「自我の墓場」と規定して、告発をしていると一応考えられる。あるいは、今やものを考えなくなった大学生・大学を「自我の墓場」と化していると自嘲・揶揄して、自我をもっと突き詰め、発揮しようと鼓舞しているという考え方もあるかもしれない。また、大学というのは誰もかれも自我ばかりをのさばらせている所だ、という意味にだって解釈できるだろう。
 いずれにしろ、作者は「自我の墓場」の立看に衝撃を受けている。暗い諦観のようなものがただよう。社会主義を先に実践したソ連の食べ物であるピロシキという道具だてがとても有効に働いている。たぶん、ピロシキにつながる作者の大学時代、青年時代、社会主義というものも日本の未来ももう少し明るい展望を感じさせていたことだろう。しかし、歌はピロシキを食うという自分の行為に対置して文学部「自我の墓場」の看板を置くのみである。感想は何も言っていない。
 ちなみにピロシキも文学部もフィクションである。たまたま私もいっしょだったのだが、寒い冬の日、夜寒坂など近辺の文学史跡をめぐり、帰りに早稲田大学に立ち寄った。「自我の墓場」の立て看は実は法学部の前で見かけた。そして、私もその看板に相当な衝撃を受けた。私の学生時代、立て看のあった法学部の建物は8号館と呼ばれていて、その地下に私が入り浸っていた哲学研究会の部室があった。先輩達が熱く哲学を論じ合っていた建物の前に「自我の墓場」か、というのが衝撃で、整理できない複雑な思いに捉えられた。そういう背景のない清見氏の歌は単純化と凝縮力によって成功している。(鹿取)



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