馬場あき子の外国詠 35(2011年1月)【白馬江】『南島』(1991年刊)P78
参加者:K・I、N・I、佐々木実之、崎尾廣子、T・S、曽我亮子、藤本満須子、
T・H、渡部慧子、鹿取未放
レポーター:佐々木実之 まとめ:鹿取未放
日本書紀では白村江(はくすきのえ)。天智二年秋八月、日本出兵して
ここに大敗したことを太平洋戦争のさなか歴史の時間に教
へた教師があつた。その記憶が鮮明に甦つてきた。
268 敗戦は女らを死に走らせき落花岩(らつくわがん)幾たびか仰ぎて哀れ
(レポート)
263「敗れたる百済のをみな身投げんと出でし切崖(きりぎし)の一歩また二歩」が身を投げる宮女に同化して歌っているのに対し本作は身を投げるシーンを下から想像する歌である。「幾たびか」というのは、目を背けたか、ガイドの方に目をやったかであろうが、何度見上げても現実には見えないにも拘わらず、花のように落ちてゆく宮女の様を幻のように見せつけられる作者の姿がある。「敗戦」という言葉を普通我々は使うであろうか?例えばベルリンが落ちてドイツが敗戦したとか、フォークランド紛争でアルゼンチンが敗戦したとかいうであろうか。使うとすれば、選挙で敗戦、敗戦投手、敗戦責任というレベルであって、国家単位で「敗戦」という言葉を使うのは、終戦という異名を持つ太平洋戦争の敗戦である。作者は敗戦国の女であった。しかし、作者はじめ、日本の後宮というか皇族も死に走ったわけではない。しかし百済の「敗戦」は日本の敗戦よりも、重い。(実之)
(当日発言)
★下の句が生きるためには、ここの敗戦は百済に限定した方がよい。(藤本)
★確かに太平洋戦争とか沖縄戦とか考えると、投身は「敗戦」後のことではない。けれども、こ
の上の句「敗戦は女らを死に走らせき」はやはり、太平洋戦争末期の万歳クリフとか、沖縄戦
で追いつめられて喜屋武岬などから飛び降りた土地の女性たちなどが二重写しになっている
のだと思う。落ちていく宮女たちの姿が後世美化されて落花に例えられているが、万歳クリフ
や喜屋武岬を想像すれば古代も現代も花に例えられるようなものではなく無惨の極みである。現
代を重ねるからこそ哀れさはいっそう深く作者に迫り、あそこからと幾たびも眺めずにはいられ
なかったのだろう。(鹿取)
参加者:K・I、N・I、佐々木実之、崎尾廣子、T・S、曽我亮子、藤本満須子、
T・H、渡部慧子、鹿取未放
レポーター:佐々木実之 まとめ:鹿取未放
日本書紀では白村江(はくすきのえ)。天智二年秋八月、日本出兵して
ここに大敗したことを太平洋戦争のさなか歴史の時間に教
へた教師があつた。その記憶が鮮明に甦つてきた。
268 敗戦は女らを死に走らせき落花岩(らつくわがん)幾たびか仰ぎて哀れ
(レポート)
263「敗れたる百済のをみな身投げんと出でし切崖(きりぎし)の一歩また二歩」が身を投げる宮女に同化して歌っているのに対し本作は身を投げるシーンを下から想像する歌である。「幾たびか」というのは、目を背けたか、ガイドの方に目をやったかであろうが、何度見上げても現実には見えないにも拘わらず、花のように落ちてゆく宮女の様を幻のように見せつけられる作者の姿がある。「敗戦」という言葉を普通我々は使うであろうか?例えばベルリンが落ちてドイツが敗戦したとか、フォークランド紛争でアルゼンチンが敗戦したとかいうであろうか。使うとすれば、選挙で敗戦、敗戦投手、敗戦責任というレベルであって、国家単位で「敗戦」という言葉を使うのは、終戦という異名を持つ太平洋戦争の敗戦である。作者は敗戦国の女であった。しかし、作者はじめ、日本の後宮というか皇族も死に走ったわけではない。しかし百済の「敗戦」は日本の敗戦よりも、重い。(実之)
(当日発言)
★下の句が生きるためには、ここの敗戦は百済に限定した方がよい。(藤本)
★確かに太平洋戦争とか沖縄戦とか考えると、投身は「敗戦」後のことではない。けれども、こ
の上の句「敗戦は女らを死に走らせき」はやはり、太平洋戦争末期の万歳クリフとか、沖縄戦
で追いつめられて喜屋武岬などから飛び降りた土地の女性たちなどが二重写しになっている
のだと思う。落ちていく宮女たちの姿が後世美化されて落花に例えられているが、万歳クリフ
や喜屋武岬を想像すれば古代も現代も花に例えられるようなものではなく無惨の極みである。現
代を重ねるからこそ哀れさはいっそう深く作者に迫り、あそこからと幾たびも眺めずにはいられ
なかったのだろう。(鹿取)
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