馬場あき子の外国詠50(2012年3月実施)
【中欧を行く 秋天】『世紀』(2001年刊)91頁
参加者:N・I、K・I、崎尾廣子、曽我亮子、藤本満須子、
T・H、渡部慧子、鹿取未放
司会とまとめ:鹿取未放
358 ただ白き雲の平を見るのみにウラル越えボルガ越え行く天の秋
(当日発言)
★「天の秋」は、秋天の和語的な言い方でしょう。「ウラル越えボルガ越え」は、飛行機が越えた
のを機内の地図か旅の本で確認したのであって、ウラルやボルガを作者の目で見ている訳ではな
い。ウラルやボルガの上には「ただ白き雲の平」が広がっていたから見えなかった。(鹿取)
★想像では難しいのではないか。ウラルは見えたのではないか。ボルガもちらちらと見えたかもし
れない。(藤本)
★見えた根拠は何ですか?どこにも見えたとは書いてないけど。見えなかったから「ただ白き雲の
平を見るのみに」と表現したんでしょう?この歌のねらいも面白さも、ウラルやボルガを越えた
んだけど、何も見えなくて私は白い雲を見ていただけだった、というところにあると思います。
見えたら、雲の切れ間からウラルやボルガがちらりと見えたと詠うでしょう。飛行機の前方画面
に今どこを飛んでいるか表示されますよね。それを見れば今ウラルの上、ボルガの上を飛んでい
ることは分かる。私がロシアへ行った時、歌集にも載せなかった下手な歌だけど、〈うたたねの
間にいくつの川を越えたのかエニセイ、オビと聞けばゆかしき〉と歌った。もちろん眠っていた
ので、エニセイ川もオビ川も見ていない。エニセイとオビはものすごく離れているので、本当は
うたた寝の間には越えられない距離と思いますが。(鹿取)
(まとめ)
飛行機の下は白い雲が広がっていて、ウラルもボルガも下界は見えなかったのであろう。その白い雲が平らに一面にどこまでも広がっている様子を「天の秋」と季語ふうにとらえている。ウラル山脈やボルガ川をしっかりと見たかったのに、とやや惜しむ気持ちもあるのだろう。ちなみに、シベリアという呼称は、狭義にはレナ川より東を、広義にはウラル山脈より東をいうらしいので、広義のシベリアともこの辺りでお別れである。(鹿取)
【中欧を行く 秋天】『世紀』(2001年刊)91頁
参加者:N・I、K・I、崎尾廣子、曽我亮子、藤本満須子、
T・H、渡部慧子、鹿取未放
司会とまとめ:鹿取未放
358 ただ白き雲の平を見るのみにウラル越えボルガ越え行く天の秋
(当日発言)
★「天の秋」は、秋天の和語的な言い方でしょう。「ウラル越えボルガ越え」は、飛行機が越えた
のを機内の地図か旅の本で確認したのであって、ウラルやボルガを作者の目で見ている訳ではな
い。ウラルやボルガの上には「ただ白き雲の平」が広がっていたから見えなかった。(鹿取)
★想像では難しいのではないか。ウラルは見えたのではないか。ボルガもちらちらと見えたかもし
れない。(藤本)
★見えた根拠は何ですか?どこにも見えたとは書いてないけど。見えなかったから「ただ白き雲の
平を見るのみに」と表現したんでしょう?この歌のねらいも面白さも、ウラルやボルガを越えた
んだけど、何も見えなくて私は白い雲を見ていただけだった、というところにあると思います。
見えたら、雲の切れ間からウラルやボルガがちらりと見えたと詠うでしょう。飛行機の前方画面
に今どこを飛んでいるか表示されますよね。それを見れば今ウラルの上、ボルガの上を飛んでい
ることは分かる。私がロシアへ行った時、歌集にも載せなかった下手な歌だけど、〈うたたねの
間にいくつの川を越えたのかエニセイ、オビと聞けばゆかしき〉と歌った。もちろん眠っていた
ので、エニセイ川もオビ川も見ていない。エニセイとオビはものすごく離れているので、本当は
うたた寝の間には越えられない距離と思いますが。(鹿取)
(まとめ)
飛行機の下は白い雲が広がっていて、ウラルもボルガも下界は見えなかったのであろう。その白い雲が平らに一面にどこまでも広がっている様子を「天の秋」と季語ふうにとらえている。ウラル山脈やボルガ川をしっかりと見たかったのに、とやや惜しむ気持ちもあるのだろう。ちなみに、シベリアという呼称は、狭義にはレナ川より東を、広義にはウラル山脈より東をいうらしいので、広義のシベリアともこの辺りでお別れである。(鹿取)
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