かまくらdeたんか 鹿取未放

馬場あき子の外国詠、渡辺松男のそれぞれの一首鑑賞。「かりん」鎌倉支部の記録です。毎日、更新しています。

渡辺松男の一首鑑賞 384

2021-12-26 21:53:26 | 短歌の鑑賞
  渡辺松男研究46(2017年2月実施)『寒気氾濫』(1997年)
    【冬桜】P154
     参加者:泉真帆、M・S、曽我亮子、渡部慧子、鹿取未放
     レポーター:①曽我 亮子(②渡部 慧子)
      司会と記録:鹿取 未放


384 冬の樹の梢にありき雲水にあこがれし日の少年われは

      (レポート①)
 冬の木の梢というか高みにあった「雲水」という「禅僧」にあこがれていた幼きわれは。
       (曽我)

      (レポート②)  
 冬の樹の梢ということで何もまとっていなくて風、光、雨に感じやすい様が想像できる。少年でありながら修行僧にあこがれていたとは驚きだが流れゆくもの雲や水に心を寄せていたと読んでもいいのではないか。『人はかつて樹だった』(みすず書房)という長田弘氏の詩集を思い出す。(慧子)


    (当日発言)
★『人はかつて樹だった』というのはどういう詩ですか?(鹿取)
★そういう詩があるというだけで、内容は知らないです。(慧子)
★木登り少年だったのかなと思いました。そしてずっと空を見ていた。『けやき少年』という歌集
 がありましたし。(真帆)
★この歌は大好きな歌です。〈われ〉は少年時代に禅僧にあこがれていたんですね。梢にあったの
 は木登りが好きでしばしば木の枝に坐っていたのでしょうか。何もかも削ぎ落した冬の木と雲水
 には共通項がありますね。(鹿取)


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