かまくらdeたんか 鹿取未放

馬場あき子の外国詠、渡辺松男のそれぞれの一首鑑賞。「かりん」鎌倉支部の記録です。毎日、更新しています。

渡辺松男『泡宇宙の蛙』の一首鑑賞 13

2022-02-10 12:17:21 | 短歌の鑑賞
  渡辺松男研究2の2(2017年7月実施)
    『泡宇宙の蛙』(1999年)【蟹蝙蝠】P14~
     参加者:泉真帆、T・S、曽我亮子、A・Y、渡部慧子、鹿取未放
      レポーター:泉 真帆    司会と記録:鹿取未放


13 鳥のおもさとなりうれば死はやすからん大白檜曾(おおしらびそ)に蒿雀(あおじ)さえずる

      (レポート)
 大白檜曾(おおしらびそ)はマツ科モミ族の常緑針葉樹で、栂(つが)ともいう。蒿雀(あおじ)はスズメ目ホオジロ科の鳥で、雀より少し大きい。送り雀(おくりすずめ)という妖怪の鳴き声は、この蒿雀に例えられるそうだ。
 鑑賞としては、上句の「鳥のおもさとなりうれば死はやすからん」に切なさを思う。「鳥のおもさとなりうれば」とは、もしも鳥になれたなら、くらいの意味であろう。人間のようにもがき苦しみ、病と闘いながら終焉を迎えるのではなく、もしも鳥のようになれたら、死はきっと、自然の摂理に順応し、安らかにあるのだろう、と詠っているのではないだろうか。高々と大白檜曾の樹にさえずる蒿雀の声が、耳にひびく。(真帆)


         (当日意見)
★(電子辞書の蒿雀の声を会員に聞いて貰って)蒿雀はこんな声で鳴くそうです。澄んだきれいな
 声ですね。鳥は飛ぶために種の戦略として体重を極限まで落としていますから、小鳥は特にとて
 も軽い。大白檜曾に天真爛漫にさえずっているようにみえる蒿雀の姿を見て、その声を聞いてい
 ると鳥のようだったら死も自然にやすらかに来るような気がしている。自然の一部になりきって
 いるような鳥(木も)への軽い羨望でしょうか。でもこの作者、一方では人間の自分が生きるこ
 とで小鳥の生を奪っているという意識の歌もあって複雑ですね。(鹿取)

コメント    この記事についてブログを書く
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする
« 渡辺松男『泡宇宙の蛙』の一... | トップ | 渡辺松男『泡宇宙の蛙』の一... »
最新の画像もっと見る

コメントを投稿

短歌の鑑賞」カテゴリの最新記事