かまくらdeたんか 鹿取未放

馬場あき子の外国詠、渡辺松男のそれぞれの一首鑑賞。「かりん」鎌倉支部の記録です。毎日、更新しています。

渡辺松男『寒気氾濫』の一首鑑賞 155

2023-12-10 11:17:11 | 短歌の鑑賞
 2023年版 渡辺松男研究 19  2014年9月 
   【夢解き師】『寒気氾濫』(1997年)67頁~
   参加者:S・I、泉可奈、泉真帆、崎尾廣子、鈴木良明、
       曽我亮子、渡部慧子、鹿取未放
    レポーター:泉 真帆 司会と記録:鹿取 未放
                       

155 木を噛みてわれ遁走すおもむろに木は薄き目を開けて見ていん

      (レポート)
木を齧ったあとわれは一目散に逃げだしているが、噛まれた木の方は、慌てるでもなく静かにゆっくりと目を開き、遁走する私を見ているだろう。
 前のうたで「われ」は濡れ鼠になり、このうたでは鼠そのものになっている、のではないだろうか。また、「おもむろに木は薄き目を開けて見て」いる場面は、実際に見た景ではなく、木を振り返る勇気もなく遁走をする「われ」のその背に感じ想像しているものだから、うすら恐ろしく感じられる。泰然とした木には、凄みすら感じてしまう。個人の無力感を詠った社会詠とも読めないだろうか。(真帆)


     (当日意見)
★子どもが悪さをして逃げだしたイメージですね。(慧子)
★社会詠とかナントカ詠とかあまり括って限定しない方がいいと私は思います。私はこ
 の歌の木を噛むのが鼠とは思わなくて、鼠だったら当たり前の行為だから面白くなく
 て、〈われ〉だから面白いのかなあと思ったのですが。木の包容力というところは賛
 成です。ふふん、やっているなあ、という感じで木は〈われ〉を見ているんじゃない
 かなあ。〈われ〉は何だか屈折したものがあってちょこっと木を噛んではみたが逃げ
 出したと。わたしはあまり松男さんの歌を何かに置き換えては読まないので、いつも
 書いてあるとおりに読むのですけれど。ここでも木を噛むのは鼠ではなくて括弧付き
 の〈われ〉だと。(鹿取)
★わたしもこれは人間と思いました。そして「薄き目を開けて」の所は真帆さんの「凄
 み」とは違って木の包容力を感じました。(崎尾)
★私は前の歌(154 全身がねずみのように雨に濡れもうれつに隠れたき昼下り)と
 繋がっているのかなという感じがしています。前の歌、場面が分からないけれど山と
 いうことも考えられる。ここではやはり鼠のような気持ちになって噛んで逃走したん
 だと。その方がメルヘンチックな感じがする。人間が噛んだのでは唐突な感じがしち
 ゃう。まあ、松男さんなら噛んでも不思議じゃないけど(笑)。鼠やリスだと絵本にな
 りそうな感じじゃないですか。ここではあんまり社会との関係ではうたってないのか
 なあと。前の歌だって、山でなく街場でも いいわけで、雨に濡れちゃって側溝にでも
 入りたい気分とか。まあ、どう読んでもいいけど、メ ルヘンチックな印象は 皆さん
 共通しているんじゃないかな。(鈴木)


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