かまくらdeたんか 鹿取未放

馬場あき子の外国詠、渡辺松男のそれぞれの一首鑑賞。「かりん」鎌倉支部の記録です。毎日、更新しています。

渡辺松男の一首鑑賞  331

2021-10-15 17:04:39 | 短歌の鑑賞
 渡辺松男研究40(2016年7月)『寒気氾濫』(1997年)
    【明快なる樹々】P136~
     参加者:泉真帆、M・S、鈴木良明、曽我亮子、渡部慧子、鹿取未放
     レポーター:泉 真帆    司会と記録:鹿取 未放


331 きょうの鬱あしたの鬱の間を飾り頭上に開きつづける花火

     (レポート)
 どーん、どーんという打ち上げ花火の音が聞こえてきそうだ。今日のこの鬱はまだ来ていない明日も続くという。楽観や諦観からはほど遠い鬱々とした精神状態にいる作者。その頭上に、似つかわしくない、キラキラとした打ち上げ花火が咲き続けている。花火大会のような場で、戸外にいて花火をみているというよりも、作者は寝ていて、打ち上げ花火の音を聴きながら、想像のなかで花火を描いているように私には思える。鬱々とした状況を花火が「飾る」と表現した作者の客体化がさびしい。「きょうの鬱あしたの鬱の間」の「間」という語の斡旋に、年越しのカウントダウンの花火とも思えた。(真帆)


      (当日意見)
★私は年越しとは思わなかったです。今日も明日も続く鬱とはどのような事に基づく鬱か分からな
 いけど、長く落ち込んでいるような状況の中でふっと心をほどいて花火を見ている。開き続ける
 花火は現実でも幻想でもよいと思います。(鹿取)
★私は実際に花火を見ているのだと思います。昨日嫌なことがあって明日もそれが続く、明日も嫌
 なんだよなあと思いながら束の間花火を見ている。だから夏の花火だと思いました。(M・S)
★「開きつづける」というところが淋しいと思うの。何かを追っかけているのかなあ。「鬱々とし
 た状況を花火が『飾る』と表現した作者の客体化がさびしい。」と真帆さんは書いていますが、
 ほんとうに淋しい歌ですね。(慧子)
★そうですねえ、花火が開くからって楽しい訳じゃないのよねえ。(鹿取)
★花火が鬱を祝っているという感じがする。その祝い続けているってことも淋しい。(慧子)
★「きょうの鬱あしたの鬱の間」って表現はものすごく変わった独特の表現だと思います。だいた
 い花火って8時とか9時に終わりますよね。だから今日と明日の間に終わる花火ってカウントダ
 ウンかなと思ったのです。まだ明日は来ていないのにまだまだ鬱はやまない、病いなのかもしれ
 ないけど、そうとう深い鬱なんだなあと。(真帆)
★「きょうの鬱あしたの鬱の間」というのは花火が終わった段階で明日のことを考えて明日の鬱が
 兆してくる。花火が上がっている間は鬱を忘れている。だから花火が終わった段階から明日の鬱
 は始まっているんです。12時になった、それ明日の鬱が始まるではないんです。だからカウン
 トダウンという訳じゃない。(鈴木)

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