ブログ版 渡辺松男研究 21 2014年10月
【音符】『寒気氾濫』(1997年)70頁~
参加者:石井彩子、泉真帆、鈴木良明、曽我亮子、N・F、渡部慧子、鹿取未放
レポーター:鈴木 良明 司会と記録:鹿取 未放
167 寒林のなかに日当たるところあり抜けやすきわが魂はよろこぶ
(レポート)
辞書によれば、「寒林」には、「冬枯れの林」のほかに、「屍を葬る所、墓地」という意味もある。冬枯れの林であれ、墓地であれ、そのような中に明るい冬の日ざしが射していると、誰しもその場所に魅かれ、曳かれる気持ちになるだろう。歌ではそれを「抜けやすきわが魂はよろこぶ」と詠んでいる。「魂」は、辞書によると「肉体に宿って心のはたらきをつかさどると考えられるもの。古来多く肉体を離れても存在するとした」とある。歌もこれを念頭に詠んでいると思われる。
※私見では、辞書の前段は認められるように思う。その人の肉体に宿って心身(意識・無意識)の
はたらきを統合的につかさどるものの存在(脳ではなく)は、何かあるだろう。それは心身を超
えたものであるから「魂」とよぶのにふさわしい。このことは163番歌「手と足と首がてんで
んばらばらにうごきはじめて薄明に覚む」の歌からも感じられるが、後段は、現時点では確認す
るすべがない。(鈴木)
(意見)
★魂とはいえ動くときは明るい方へ行きたいのかなあ。(慧子)
★下の句が面白い。魂が体から抜け出してつい憑依とかしやすい私にとって、私の魂は日だまりを
好むと言っていて、魂が集まっているのは愉快なもの、楽しいものとそもそもが思っておられる。
(真帆)
★和泉式部は蛍を私からあくがれて出ていった魂だって詠んでいますね。また、掲出歌の後の方の
頁に、雪の野原に一本の樹があって、魂が集まっている、みたいな歌があったと思うのですが、
それも抜け出していく魂だったのかな。日だまりを好む魂って、懐かしい感じがします。(鹿取)
★私は真帆さんとも鹿取さんとも魂の捉え方が違って、体の中にあって直感も含めて感じるものと
とらえている。それは体の外に出て行くものじゃなくて、体の中に留まっていて、気持ちが冬の
日だまりに行っちゃうと言うのは誰にも有るんじゃないですか。惹かれる気持ちを魂は喜ぶと言
っているだけで、体から離れて行くまで言わなくていいと思う。(鈴木)
(まとめ)
鹿取の発言にある和泉式部の歌は〈物思へば沢の蛍も我が身よりあくがれいづる魂かとぞみる〉で、この歌の「あくがる」は普通「魂が肉体からさ迷い出る」意味と考えられている。また、雪の野原の歌云々というのは、『寒気氾濫』78頁の〈ひとつ死のあるたび遠き一本の雪原の樹にあつまるひかり〉を念頭に置いていたが、この167番歌との関連は薄いようだ。(鹿取)
【音符】『寒気氾濫』(1997年)70頁~
参加者:石井彩子、泉真帆、鈴木良明、曽我亮子、N・F、渡部慧子、鹿取未放
レポーター:鈴木 良明 司会と記録:鹿取 未放
167 寒林のなかに日当たるところあり抜けやすきわが魂はよろこぶ
(レポート)
辞書によれば、「寒林」には、「冬枯れの林」のほかに、「屍を葬る所、墓地」という意味もある。冬枯れの林であれ、墓地であれ、そのような中に明るい冬の日ざしが射していると、誰しもその場所に魅かれ、曳かれる気持ちになるだろう。歌ではそれを「抜けやすきわが魂はよろこぶ」と詠んでいる。「魂」は、辞書によると「肉体に宿って心のはたらきをつかさどると考えられるもの。古来多く肉体を離れても存在するとした」とある。歌もこれを念頭に詠んでいると思われる。
※私見では、辞書の前段は認められるように思う。その人の肉体に宿って心身(意識・無意識)の
はたらきを統合的につかさどるものの存在(脳ではなく)は、何かあるだろう。それは心身を超
えたものであるから「魂」とよぶのにふさわしい。このことは163番歌「手と足と首がてんで
んばらばらにうごきはじめて薄明に覚む」の歌からも感じられるが、後段は、現時点では確認す
るすべがない。(鈴木)
(意見)
★魂とはいえ動くときは明るい方へ行きたいのかなあ。(慧子)
★下の句が面白い。魂が体から抜け出してつい憑依とかしやすい私にとって、私の魂は日だまりを
好むと言っていて、魂が集まっているのは愉快なもの、楽しいものとそもそもが思っておられる。
(真帆)
★和泉式部は蛍を私からあくがれて出ていった魂だって詠んでいますね。また、掲出歌の後の方の
頁に、雪の野原に一本の樹があって、魂が集まっている、みたいな歌があったと思うのですが、
それも抜け出していく魂だったのかな。日だまりを好む魂って、懐かしい感じがします。(鹿取)
★私は真帆さんとも鹿取さんとも魂の捉え方が違って、体の中にあって直感も含めて感じるものと
とらえている。それは体の外に出て行くものじゃなくて、体の中に留まっていて、気持ちが冬の
日だまりに行っちゃうと言うのは誰にも有るんじゃないですか。惹かれる気持ちを魂は喜ぶと言
っているだけで、体から離れて行くまで言わなくていいと思う。(鈴木)
(まとめ)
鹿取の発言にある和泉式部の歌は〈物思へば沢の蛍も我が身よりあくがれいづる魂かとぞみる〉で、この歌の「あくがる」は普通「魂が肉体からさ迷い出る」意味と考えられている。また、雪の野原の歌云々というのは、『寒気氾濫』78頁の〈ひとつ死のあるたび遠き一本の雪原の樹にあつまるひかり〉を念頭に置いていたが、この167番歌との関連は薄いようだ。(鹿取)
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