かまくらdeたんか 鹿取未放

馬場あき子の外国詠、渡辺松男のそれぞれの一首鑑賞。「かりん」鎌倉支部の記録です。毎日、更新しています。

馬場あき子の外国詠 266(韓国)

2019-11-15 21:51:51 | 短歌の鑑賞
 馬場あき子の外国詠 35(2011年1月)【白馬江】『南島』(1991年刊)P78 
    参加者:K・I、N・I、佐々木実之、崎尾廣子、T・S、曽我亮子、藤本満須子、
       T・H、渡部慧子、鹿取未放
       レポーター:佐々木実之 まとめ:鹿取未放


日本書紀では白村江(はくすきのえ)。天智二年秋八月、日本出兵して
   ここに大敗したことを太平洋戦争のさなか歴史の時間に教
       へた教師があつた。その記憶が鮮明に甦つてきた。
                  
266 扶蘇山に入らんと買ひし焼き栗の袋手に聞く百済滅亡

(レポート)
 扶蘇山は百済の王城のあったところ。いざ扶蘇山に登ろうとする麓に、焼き栗の屋台でもあったのだろう。時代的にも焼き栗は「焼き栗むいちゃいました」では無いだろう。道々、あるいは車中で栗でも剥きながら扶蘇山に登ろうと観光気分で思っていたところ、ガイドにここが百済の最後の都であったことを聞き、はっとする瞬間を描いている。
 265番歌(倭船四百焼きし凱歌を語るにを少し騒げり日本の血は)が語り手と我との対比の構図になっているのに対し、本作では、栗でも買っている我が歴史の現実に引き戻される流れとなっている。これはツアーの登山の前のトイレ休憩か何かの時に焼き栗を買ったと読むと前後の流れがしっくりくる。(実之)


(当日発言)
★栗の袋に、熱さ、ごわごわ感も伝わる。(実之)
★焼き栗と百済滅亡の落差を詠っている。(慧子)
★私も慧子さんと同じ意見です。この地が百済の最後の都であったことは事前に調べてあって織り
 込み済みのことで、今更はっとするということもないのではないか。むしろ粛然とした歴史をう
 っかり焼き栗の袋をもったまま聞くことになったとまどいではなかろうか。(鹿取)

                                   



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