2025年度版 渡辺松男研究48(2017年4月実施)
『寒気氾濫』(1997年)
【睫はうごく】P160~
参加者:T・S、A・Y、渡部慧子、鹿取未放
レポーター:渡部 慧子 司会と記録:鹿取 未放
398 われを赩(あか)くしてしまいたるほほえみにそっと体重へらされてゆく
(当日発言)
★彼女がほほえんだだけであかくなってしまう、そしていつもいつも彼女のことがこころから離れな いので食欲もなくなって体重も減っていく。(鹿取)
★だれにでもあるようなことをすばらしい歌にしていますね。(T・S)
399 秘というをきびしきなりとつくよみのひかりよりきよく訪いきしものよ
(レポート)
二人の恋をまだ秘めていて、それを「きびしきなり」と相手は言う。恋の相手を月の光よりきよく訪いきしものよと神秘的に詠いあげていよう。(慧子)
(当日発言)
★「きびしきなりとつくよみの」というのが分からないのですが、これはどういうことですか?(T・S)
★「つくよみ」は月の古名です。「つきよみ」とも言います。「きびしきなり」は慧子さんは相手の言葉ととられたんですが、まあ、ふたり共通の認識なのでしょう。すごーく下世話な解釈をすると前にひとの嬬(つま)を思う歌があったので、それだと秘めないといけないのでなかなか厳しい状況だと。「二人の恋をまだ秘めていて」という慧子さんの解釈の方がきれいですが。(鹿取)
★ところで、万葉集に湯原王という人の「月読の光に来ませあしひきの山きへなりて遠からなくに」という歌があります。湯原王は志貴皇子のお孫さんで、女性に成り代わって詠った歌だということです。「月の光を頼りに逢いに来てください、山が隔てるほどの遠い道のりではないのですから」って意味で、やってくるのは男性ですね。松男さん、この歌作るとき、湯原王の歌が片隅にあったのではないでしょうか。松男さんの歌の場合やってくるのが女性で、現代だから月光を頼りに来るわけではない。だから「つくよみのひかりよりきよく」です。美しい歌ですね。この下句からすると、恋は秘めないといけないという古代的な恋愛観にも繋がって、やっぱり慧子さんの解釈の方がよさそうですね。(鹿取)
★「月よみの光を待ちて帰りませ」って良寛の歌がありますね。(慧子)
★あれも、湯原王の歌の本歌取りではないですか。下句は「山路は栗の毬のおほきに」(山道には栗の毬がたくさん落ちている(ので怪我するといけない)から)ですね。(鹿取)
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