2023年度版 馬場あき子の外国詠52(2012年5月実施)
【中欧を行く ドナウ川のほとり】『世紀』(2001年刊)P100~
参加者:I・K、崎尾廣子、鈴木良明、曽我亮子、藤本満須子、
渡部慧子、鹿取未放
レポーター:鈴木 良明 司会と記録:鹿取 未放
374 ドナウ川八橋の中の自由橋に自由社会の自殺増ゆると
(レポート)
上流(北端)の鉄道橋を除く、「八橋」のことだろう。自由橋を巡る際に、ガイドの説明の中にこの言葉があったのかもしれない。自由とはすばらしいものだと普通思っているが、サルトルは逆に、「実は人間はみんな自由であることに不安を感じ、そこから逃れようとしているのだ」という。それだけが自殺の増える要因とは思わないが、そのような一面もあるだろう。さらに皮肉なのは、「自由橋」での自殺者が多いということだ。世界遺産に登録されていないこの橋は、さほど目立たない橋、改称した共産主義政権に対する民衆の鬱屈した思いの顕れか。(鈴木)
(当日発言)
★人間は自由でありすぎると不安を感じて戦争中よりかえって自殺する人が増えるらし
い。(鈴木)
★人間の不思議を感じる。ああしなさい、こうしなさいと言われる方が楽だ。(崎尾)
★鈴木さんのレポートにもあるようにサルトルは「人間は自由という鎖に繋がれてい
る」というようなことを言っていますよね。「フェレンツ・ヨーゼフ橋」は王様の名
をとっているので、共産主義政権下ではまずいから「自由橋」に改称されたのでしょ
うね。(鹿取)
★もともとハンガリーは第二次大戦中日独伊側だったが、戦後ソ連に占領され、共産主
義に組み込まれていた。今はユーロ圏の一員。89年にソ連から解放されて、共産主
義から自由主義に変わった。(鈴木)
(まとめ)
自由橋は第二次世界大戦時に、他の橋と同様に破壊されたが、最も早く修復されて、オリジナルの装飾が復元された。緑に塗られ、ハンガリー国王の紋章や伝説の鳥トゥルルを戴く美しい橋だそうだが、レポートにもあるようにどうした訳かこの橋だけ世界遺産には登録されていない。歌は、自、自、自と濁音の頭韻を踏み、あまり心地の良くない不思議な韻律を作っている。その韻律からは苦い諧謔の味がしている。(鹿取)
(追記)(2018年6月)
当日の意見で鹿取が引いたサルトルの言葉(「人間は自由という鎖に繋がれている」というようなこと)は、「自由」の意味を日常語レベルで伝えたことがとても気になっていた。サルトルは神との対峙から「自由」の語を用いているので、訂正し補足しておく。
まず、この「自由」は「神の不在」を前提にした「自由」で、日常使っている「自由」とは違う。神はいないのだから人間には神から与えられた目的も意味もない。だから有無もいわさず「自由の刑に処せられている」(『存在と無』)
また人間は、自由な選択を通じて、未だあらぬ何者かになるほかない。サルトルは『実存主義とは何か』ではこのことを「実存は本質に先立つ」と言い換えている。それで人間は多大な選択を迫られる「自由」に不安を感じるのである。(大澤真幸「ジャン=ポール・サルトル「存在と無」」朝日新聞2018年6月23日を参考にさせていただいた)
【中欧を行く ドナウ川のほとり】『世紀』(2001年刊)P100~
参加者:I・K、崎尾廣子、鈴木良明、曽我亮子、藤本満須子、
渡部慧子、鹿取未放
レポーター:鈴木 良明 司会と記録:鹿取 未放
374 ドナウ川八橋の中の自由橋に自由社会の自殺増ゆると
(レポート)
上流(北端)の鉄道橋を除く、「八橋」のことだろう。自由橋を巡る際に、ガイドの説明の中にこの言葉があったのかもしれない。自由とはすばらしいものだと普通思っているが、サルトルは逆に、「実は人間はみんな自由であることに不安を感じ、そこから逃れようとしているのだ」という。それだけが自殺の増える要因とは思わないが、そのような一面もあるだろう。さらに皮肉なのは、「自由橋」での自殺者が多いということだ。世界遺産に登録されていないこの橋は、さほど目立たない橋、改称した共産主義政権に対する民衆の鬱屈した思いの顕れか。(鈴木)
(当日発言)
★人間は自由でありすぎると不安を感じて戦争中よりかえって自殺する人が増えるらし
い。(鈴木)
★人間の不思議を感じる。ああしなさい、こうしなさいと言われる方が楽だ。(崎尾)
★鈴木さんのレポートにもあるようにサルトルは「人間は自由という鎖に繋がれてい
る」というようなことを言っていますよね。「フェレンツ・ヨーゼフ橋」は王様の名
をとっているので、共産主義政権下ではまずいから「自由橋」に改称されたのでしょ
うね。(鹿取)
★もともとハンガリーは第二次大戦中日独伊側だったが、戦後ソ連に占領され、共産主
義に組み込まれていた。今はユーロ圏の一員。89年にソ連から解放されて、共産主
義から自由主義に変わった。(鈴木)
(まとめ)
自由橋は第二次世界大戦時に、他の橋と同様に破壊されたが、最も早く修復されて、オリジナルの装飾が復元された。緑に塗られ、ハンガリー国王の紋章や伝説の鳥トゥルルを戴く美しい橋だそうだが、レポートにもあるようにどうした訳かこの橋だけ世界遺産には登録されていない。歌は、自、自、自と濁音の頭韻を踏み、あまり心地の良くない不思議な韻律を作っている。その韻律からは苦い諧謔の味がしている。(鹿取)
(追記)(2018年6月)
当日の意見で鹿取が引いたサルトルの言葉(「人間は自由という鎖に繋がれている」というようなこと)は、「自由」の意味を日常語レベルで伝えたことがとても気になっていた。サルトルは神との対峙から「自由」の語を用いているので、訂正し補足しておく。
まず、この「自由」は「神の不在」を前提にした「自由」で、日常使っている「自由」とは違う。神はいないのだから人間には神から与えられた目的も意味もない。だから有無もいわさず「自由の刑に処せられている」(『存在と無』)
また人間は、自由な選択を通じて、未だあらぬ何者かになるほかない。サルトルは『実存主義とは何か』ではこのことを「実存は本質に先立つ」と言い換えている。それで人間は多大な選択を迫られる「自由」に不安を感じるのである。(大澤真幸「ジャン=ポール・サルトル「存在と無」」朝日新聞2018年6月23日を参考にさせていただいた)
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