かまくらdeたんか 鹿取未放

馬場あき子の外国詠、渡辺松男のそれぞれの一首鑑賞。「かりん」鎌倉支部の記録です。毎日、更新しています。

渡辺松男の一首鑑賞 2の126

2019-01-26 15:59:59 | 短歌の鑑賞
  ブログ版渡辺松男研究2の17(2019年1月実施)
     Ⅱ【膨らみて浮け】『泡宇宙の蛙』(1999年)P85~
     参加者:泉真帆、M・I、K・O、岡東和子、A・K、T・S、
       曽我亮子、渡部慧子、鹿取未放
     レポーター:泉真帆   司会と記録:鹿取未放


126 ひんやりとサラリーマンはひとを待つ雲見ては雲にすこしほほえみ

     (レポート)
 お題がサラリーマンの題詠のように、この一連はサラリーマンの歌群になっている。ひんやりと待つさまが第四句の「雲見ては雲に」につながり、長い時間ぽつんとそこにいてあれこれ眺めながら人を待つ姿がよく伝わってくる歌だ。(真帆)


     (当日意見)
★頭に「ひんやりと」を持ってきたのがとてもいいと思います。下の句にどう繋がるかはよくわか
 らないのですが、感性で持ってきたのでしょうか?(慧子)
★雲と繋がっているのでしょう。雲って雨粒の塊ですから、ひんやりしているのでしょうね。でも
 確かに「ひんやりと」でこの歌は詩になったと思います。(鹿取)
★サラリーマンが人を待つ場面って、人間としての発展があまりない場合が多い。そういう心象が
 「ひんやりと」になっている。また「ひんやりと」のヒと「ひと」のヒの音の響き合いとかひら
 がな表記も柔らかくていい感じです。(K・O)
★「サラリーマンはひんやりと」ではなく、「ひんやりとサラリーマンは」と「ひんやりと」を 
 初句に持ってこられたのが素晴らしい。文法上はこの「ひんやりと」は「待つ」に掛かっている
 のだと思います。「ひんやりと」にサラリーマンの人間関係の在りようがよく出ています。「さ
 びしい」と言ったら駄目だし、「楽しい」と言ったらもっと駄目だし。「雲見て」もいいし、「ほ
 ほえみ」も効いていますね。「ほほえみ」って難しいので短歌には少ないですよね。(A・K)
★坂井修一さんは「ほほゑむ」をよく使われます。川漄利雄さんの雑誌に頼まれて坂井さんの歌集
 『アメリカ』の評を書いたことがありますが、その題が「ほほえむ博士」でした。坂井さんはそ
 れほど「ほほゑむ」の使用頻度が多いです。この松男さんの歌については皆さんがおっしゃった
 通り「ひんやりと」がとても活きているし、「ほほえみ」もいいと思います。サラリーマンとい
 う〈われ〉の在りようを羞恥をもって、でも肯定しているというそんな気分かなあと思います。
 ここで待つ人は恋人でもいいかなと思いますが、それは各人の読みでいいのでしょうね。(鹿取)
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馬場あき子の外国詠 54(アフリカ)

2019-01-25 19:56:36 | 短歌の鑑賞
  馬場あき子の外国詠6(2008年2月実施)
  【阿弗利加 2 金いろのばつた】『青い夜のことば』(1999年刊)P168~
  参加者:KZ・I、KU・I、N・I、崎尾廣子、T・S、Y・S、
       田村広志、 藤本満須子、T・H、渡部慧子、鹿取未放
  レポーター:T・H      司会とまとめ:鹿取 未放


54 痩せすぎて広すぎてされど大地讃(ほ)むるアフリカーナの歌の明るさ

      (レポート)
 旅のいずれかの夜に、アフリカの歌姫の歌を楽しまれたのだろう。作者には、アフリカの大地は広すぎて、またその地味がやせすぎていると思われるのだが、この歌姫は明るくおおらかにアフリカ賛歌を歌っている。アフリカに住んでいる人々にとっては、そこは愛すべき郷土である。どのような土地であっても、そこに生きる人々は、その地を愛している。どこにいても逞しく生きる人間を表している。(T・H)


     (まとめ)
 アフリカの大地は痩せすぎているし、広すぎる。しかしその大地を讃める歌があり、アフリカーナが歌ってくれる。前向きで逞しいアフリカの人々が「大地讃むる」「歌の明るさ」に象徴されている。一連のまとめの歌にもふさわしいおおらかな歌。(鹿取)


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馬場あき子の外国詠 53(アフリカ)

2019-01-24 19:13:45 | 短歌の鑑賞
  馬場あき子の外国詠6(2008年2月実施)
  【阿弗利加 2 金いろのばつた】『青い夜のことば』(1999年刊)P168~
  参加者:KZ・I、KU・I、N・I、崎尾廣子、T・S、Y・S、
       田村広志、 藤本満須子、T・H、渡部慧子、鹿取未放
  レポーター:T・H      司会とまとめ:鹿取 未放

53 サボテンは棘まで熱しむつちりと乙女の性のやうな実を生(な)す

     (レポート)
 沙漠のサボテンは、棘まで熱い。そしてその実はむっちりとしていて、乙女の性のようである。ここが難しい。私にはなぜサボテンの実が乙女の性のようなのか、諸氏のお考えを伺いたい。「サボテンの実」と「乙女の性」、そこには虚と実の対比があるのではないか。生々しいけれどそこに強いものを秘めている。作者の乙女に対する思いがある。「サボテンの実」は次代を産むものである。乙女もそれを期待できるもの。そこに作者の熱い思いがある。
(T・H)


      (当日意見)
★「乙女の性のやうな実」に、作者の力量を感じる。なまなましいけれどつよいもの。(崎尾)
★レポートのように性を産む行為と結びつけるとつまらない。もっと根源的なものだろう。(鹿取)


     (まとめ)
 ぎらぎらの太陽を浴びて育つサボテンは棘まで熱いという形容には実感がある。「乙女の性のやうな実」という大胆な言い方がこの作者らしい。「むっちり」もいかにも生命力に満ちあふれて今にも溢れ出しそうなエネルギーを伝えている。サボテンの実は食べられるそうだが、どんな味なのだろうか。色や形はネットでみることができるが、味までは分からない。濃厚なのだろうか。(鹿取)


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馬場あき子の外国詠 52(アフリカ)

2019-01-23 16:47:43 | 短歌の鑑賞
  馬場あき子の外国詠6(2008年2月実施)
  【阿弗利加 2 金いろのばつた】『青い夜のことば』(1999年刊)P168~
  参加者:KZ・I、KU・I、N・I、崎尾廣子、T・S、Y・S、
       田村広志、 藤本満須子、T・H、渡部慧子、鹿取未放
  レポーター:T・H      司会とまとめ:鹿取 未放

52 アトラス越えの空気は土と林檎の香含めりしんみりとしてなつかしき

      (レポート抄)
 アトラス山脈を越えて憧れの沙漠への道。西の果て「アンテイ・アトラス山脈」越えの道は、案外土と林檎の香りを含んでいる。樹木の多い木々の間を車は走っているのだろう。そこにはあの懐かしい土と林檎の香りがある。あのサハラ砂漠の荒涼とした荒々しさではなく、「含めり」との表現に、しっとりとした柔らかさが感じられる。「しんみりとしてなつかしき」と結句にかけて、みなひらがなで書かれた点に、その感情がよく出ている。(T・H)


      (まとめ)
 同行者の旅日記によると、アトラス山脈は2000~4000メートルくらい、バスで越えたことが分かるがけっこう険しい道もあるらしい。林檎だけだと甘くなるところを、土の香が加わったことで異国の精神的なスケールの大きさがでた。下句はまぎれもない作者のものいいだ。
 ところで、アトラスの命名の元になった神話によると、ゼウスとの闘いに敗れた巨人アトラスは天空を背負わされることになった。のちに英雄ヘラクレスが黄金の林檎を探しに来た時、一時ヘラクレスに担ぐことを肩代わりしてもらい自分の果樹園から林檎をもってくる。そのまま逃げようとするがヘラクレスに騙されてまた天空を担ぐはめになる。だから神話の絵にはアトラスが林檎をもっている場面が描かれることが多い。こういう神話が作られたのも、たぶん大昔からこの辺りが林檎の産地だったからだろう。この巨人アトラスが岩になったのがアトラス山脈だという。(鹿取)



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馬場あき子の外国詠 51(アフリカ)

2019-01-22 19:34:01 | 短歌の鑑賞
  馬場あき子の外国詠6(2008年2月実施)
  【阿弗利加 2 金いろのばつた】『青い夜のことば』(1999年刊)P168~
  参加者:KZ・I、KU・I、N・I、崎尾廣子、T・S、Y・S、
       田村広志、 藤本満須子、T・H、渡部慧子、鹿取未放
  レポーター:T・H      司会とまとめ:鹿取 未放

51 アトラスを越えんとしつつ深々とアフリカを吸へば匂ふアフリカ

      (レポート)
 長年の夢であったアフリカの旅が実現した。作者は喜びにうちふるえている。今、アトラス山脈を越えて沙漠に向かいつつある。大きく深呼吸をしてみると、ああ恋しい沙漠の匂いがする。これこそがアフリカの匂いである。「深々とアフリカを吸」う、これこそ大自然の匂い、地熱の匂い。アフリカはこの匂いのほか表現のしようがないと作者は感激しておられる。匂いの内容を言っており、詩情豊かである。(T・H)

      (まとめ)
 「アフリカを吸へば」とはたいへん大きな把握だが、ここではそれが生きている。アトラスを越えようとして深呼吸をするとアフリカそのものが匂うのだ。それは五官のすべてを通して感じ取るアフリカという存在の本質なのだろう。
 アトラス越え、は「阿弗利加」の章のいちばん初めに〈不愛なる赤砂(せきしや)の地平ゆめにさへ恋しからねどアトラスを越ゆ〉などと出てきているが、それぞれの章で発表の雑誌が違う為、時間的にラグが生じている。(鹿取)




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