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かまくらdeたんか 鹿取未放

馬場あき子の外国詠、渡辺松男のそれぞれの一首鑑賞。「かりん」鎌倉支部の記録です。毎日、更新しています。

清見糺の一首鑑賞  9

2020-05-26 17:02:22 | 短歌の鑑賞
ブログ版清見糺鑑賞 2  ゆるふん  
               かりん鎌倉支部  鹿取未放     


9 燃えるゴミと今はなりたる牡蠣殻の縁にほのかに虹のたつ見ゆ         
                   「かりん」94年4月       

 たかがゴミの歌なのだが、下句に艶な気分が漂っている。「ほのかに」「虹の」などやわらかな言葉つづきのせいでもあろう。もちろん虹は貝殻の内側の七色に輝くさまをいっている。
 ボッティチェリ「ヴィーナスの誕生」で乗っているのは、牡蠣殻ではなく帆立の貝殻だが、わたしはどうしてもあの絵のヴィーナスを連想してしまう。ちなみに漱石の「夢十夜」に、死んだ若い女を埋めるのに牡蠣殻で庭に穴を掘る場面が出てくるが、これも女の美しさを際だたせるための道具立てだろう。

    永訣の朝はぶしつけにやってくる深夜の間違い電話のように

 9番歌と同時期のこの作は、特定の人との永訣を想定しているのだろう。それは偶発的で避けようもないものとして作者の中で恐れられているようだ。


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清見糺の一首鑑賞  8

2020-05-25 18:32:46 | 短歌の鑑賞
ブログ版清見糺鑑賞 2  ゆるふん  
                   かりん鎌倉支部  鹿取未放     


8 龍燈鬼上目づかいの腕組みの〈ゆるふん〉にして意気壮んなり
                         「かりん」94年5月

 龍燈鬼像は奈良東大寺戒壇院にある鎌倉時代の木造で康弁作と伝えられる国宝。本来は四天王に踏みつけられていた鬼が、ここでは独立して仏前を照らす龍燈を掲げている。写真を見ると一目瞭然なのだが、「上目づかいの腕組みの〈ゆるふん〉」という描写どおりのコミカルな像である。作者は奈良に行ってこの龍燈鬼を見ているのだろう、意気に燃えている鬼の愉快な姿を見ての楽しい気分が伝わってくる。
 ちなみにこの歌、東京歌会で提出したとき、年配の女性から〈ゆるふん〉というのは男性の性の旺盛さを示すのだという説が出されて居合わせた会員一やかに笑ったことであった。

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清見糺の一首鑑賞 7

2020-05-24 19:04:39 | 短歌の鑑賞
ブログ版清見糺鑑賞 2  ゆるふん  
                かりん鎌倉支部  鹿取未放     


7 古き塔は夕かげを吸う新しき塔は夕日をはじく薬師寺 
              かりん」94年3月

 薬師寺の新旧ふたつの塔を見ての感想を直感的に述べている。古い東塔は奈良天平年間に造られた国宝。「凍れる音楽」という哲学的な呼称がある。新塔である西塔は 一九八一年に再建された。その新塔に違和感を覚えている歌である。「夕かげ」の「かげ」は古語では「光」のことで、ここでの「夕かげ」はイコール「夕日」。古い塔は夕日を吸っているように見えるが、新しい塔は夕日をはじき返しているようで、どうもなじめないなあというのだろう。
 ちなみに佐佐木信綱の有名な〈ゆく秋の大和の国の薬師寺の塔の上なる一ひとひらの雲〉は旧塔を詠ったもの。一九一二(大正元)年発行の歌集『新月』に載る。

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清見糺の歌の鑑賞 6 

2020-05-23 19:03:03 | 短歌の鑑賞
   ブログ版清見糺鑑賞 2  ゆるふん  
                   かりん鎌倉支部  鹿取未放     


6 夕星のかゆきかくゆき嵯峨野ゆき竹焚く音のあたたかきかな
                       「かりん」95年2月

 この作者にしてはめずらしく充足感がある歌。夕星の出る頃の嵯峨野をぶらぶらと散策しているとどこからか竹を炊く音が聞こえてくる。炎や煙の温度ではなく「音」を暖かいと感じているところが面白く、カ音を多用して明快なリズムを刻んでいる。ボンボンと竹のはじける音が響いてきそうだ。 

 女ふたりすまし顔なる人力車おもたきかたへすこしかたむく

 夕星の歌と同じ号に掲載された歌。下の句は実際にそう見えたわけではないだろうが、そういう思いつきをすること自体が旅の解放された楽しい気分を反映しているのだろう。


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渡辺松男の一首鑑賞 1の28

2020-05-22 17:45:29 | 短歌の鑑賞
    改訂版渡辺松男研究3【地下に還せり】
      『寒気氾濫』(1997年)12~
      参加者:崎尾廣子、曽我亮子、渡部慧子、鹿取未放
       司会と記録:鹿取 未放(再構成版)


28 魔女狩りを支持せしフランシス・ベーコン魔女狩りは今の何に当たるや

★日本にあまり魔女狩り的なものは無いのでは。(曽我)
★血祭りにはあげなくても黙らせられることはけっこうある。新聞など読んでいる
 と。職場でいじめられて死んでいく人もけっこういる。(崎尾)
★魔女というのはちょっと違って普通の人じゃないでしょ。(曽我)
★まあ、建前はそうだが実は邪魔者を魔女と称して火あぶりなどにしていたわけで、
 本当の魔女なんっていないんじゃないの。(鹿取)
★魔女狩りは十四世紀から十八世紀にかけて行われた。魔女狩りの起源については、
 キリスト教の指導者が異端者をみせしめにして協会内の結束をはかったという見
 方もあるし、いや民衆の間から自然発生的に出てきたのだという見方もあり様々。
 フランシス・ベーコンは十六世紀から十七世紀の人、哲学者であって政治にも関
 与し、出世して魔女狩りを支持したことはあったのだろう。哲学者にしてそうい
 う陰謀を支持した人がいたことに震撼させられるが、今ならこの魔女狩りは何に
 あたるんだろうねえと疑問の形で歌は終わっている。しかし、似たようなことは
 今でもたくさん行われていて、周囲でも、政治の世界でも見聞きして作者はっそ
 れらに密かに憤っているのかもしれない。それにしても、潤いある心地よい月光
 や樹の瞑想の後に、いきなりこの異質な魔女狩りの歌が出てきてびっくりさせら
 れる。この歌から遡って読むと、風切り羽をつくろう鳥も、倒されるまで瞑想し
 ている樹も、凍天に鑿を打つ杉も、あるいは何か寓意があると読むことも可能か
 もしれない。(鹿取)

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