かまくらdeたんか 鹿取未放

馬場あき子の外国詠、渡辺松男のそれぞれの一首鑑賞。「かりん」鎌倉支部の記録です。毎日、更新しています。

渡辺松男の一首鑑賞 92 画像追加版

2020-09-20 15:05:40 | 短歌の鑑賞
   渡辺松男研究11(2014年1月)
       【『精神現象学』】『寒気氾濫』(一九九七年)四〇頁~
       参加者:崎尾廣子、鈴木良明、渡部慧子、鹿取未放
        レポーター:鈴木良明 司会と記録:鹿取 未放
       

92(画像追加版) 革靴でバスを降りれば水っぽき低地なり「みなとみらい21」地区

  

  

(レポート)
 「革靴でバスを降り」たというところから、公務で「みなとみらい21」地区の視察に訪れたのだろう。「みなとみらい21」地区は、横浜港臨海部に国際性をテーマとする業務、文化、商業、コンベンションなどの多彩な機能を集積させ、就業人口一九万人、居住人口一万人を目指した新都心創出プロジェクトの対象地区である。二十一世紀に向けた事業でありながら、山間部に生まれ育った作者の目からみれば、水っぽい低地に繰り広げられた危うい事業と映ったのではないだろうか。(鈴木)


(発言)
★私達は地元だから、みなとみらいが開発されかけた時、なんだかじめじめした所だなあ と思っていたけど、「水っぽき低地」って外から来てぱっと特徴を掴んでいますよね。 革靴だから仕事で来たんだと私も思いました。(鹿取)
★昔はドックだった所ですよね。吉川英治なんかはそこで働いていたんだから。(崎尾)


(後日意見)
 みらい21」って、名前からして二十一世紀の横浜港のビジョンである。レポーターは、それを危ういと作者がみていると捉えられた。「水っぽき低地」にその危うさが出ている。私はクルーザーで東京湾を巡ったことがあるが、海から見ると陸ってほんとうに薄っぺらで、陸地が蜃気楼のような虚の世界に思えた。人間の生活って、あんな薄っぺらい土塊の上に乗っかってるだけなのだと思うと恐かった。(鹿取)

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渡辺松男の一首鑑賞 100

2020-09-19 15:49:24 | 短歌の鑑賞
   渡辺松男研究11(2014年1月)
       【『精神現象学』】『寒気氾濫』(一九九七年)四〇頁~
       参加者:崎尾廣子、鈴木良明、渡部慧子、鹿取未放
        レポーター:鈴木良明 司会と記録:鹿取 未放


100 捨てられし自動車が野に錆びていて地球時間に浸りていたり

        (レポート)
 錆びるという現象は、水や酸素が豊富にある地球の現象であることを改めて思わせる。そればかりではなく、「地球時間に浸りていたり」と詠むことで、地球という時空のなかに捨てられ、錆びてゆく自動車の存在がくっきりと浮かびあがってくるのだ。また、地球時間の外側にある宇宙時間のことなどをも想像させ、思いは広がってゆく。捨てられて野積みになった自動車は、昔、裕福なアメリカの象徴であったが、そのような、声高ではない静かな文明批評としても読むことができる。(鈴木)

         (発言)
★人間の手から離れて日常とは違った、スケールの大きな地球時間に投げ出されて錆び
 てゆく自動車って、言われてみればよく分かります。(鹿取)
★言葉が正確、的確。核心ついて。普通は地球時間なんって言えないけど。(鈴木)
★「猿の惑星」て映画の自由の女神をちょっと思いましたが、あの映画には「地球時間」
 という言葉と概念が使われていたので、渡辺さん、知っていて使ったかもしれないで
 すね。一連を考えると、地球時間に浸る棄てられた自動車って、人間が滅びた後の風
 景のようでもあります。意馬心猿の心が作ったみなとみらいの超高層ビル、赤城山か
 ら双眼鏡で見る霜柱のような新宿のビル、みんな人間が滅びても地球時間に浸り続け
 るんでしょうね。そう考えると目の前の現実をリアリズムで歌っているようで、実は怖
 い歌ですね。(鹿取)

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渡辺松男の一首鑑賞 99

2020-09-18 16:52:45 | 短歌の鑑賞
   渡辺松男研究11(2014年1月)
       【『精神現象学』】『寒気氾濫』(一九九七年)四〇頁~
       参加者:崎尾廣子、鈴木良明、渡部慧子、鹿取未放
        レポーター:鈴木良明 司会と記録:鹿取 未放
       

99 赤城山から双眼鏡に見ゆるもの霜の柱の新宿のビル

         
          我が家から見える都庁のビル群、望遠で



         入院していた都内の病院から見た新宿のビル群

      (レポート)
 赤城山から双眼鏡で遠望すると、現代文明の象徴であるような新宿のビル群は、なんと霜柱のように危ういものに見えてくる。そのように詠む作者の姿からは、子供のころから馴染んできた赤城山(一八二八m)に対する揺るぎない信頼が感じられる。(鈴木)


      (発言)
 ★望遠鏡だと赤城山から新宿が見えるんですね。うちは、南側のベランダからランドマ
  ークタワー始めみなとみらいのビル群が見えて、北側の玄関からは都庁のビル群が見
  えます、もちろんどちらも肉眼で。別に都庁見えても有難くないですけど。(鹿取)
 ★赤城山の赤が命の赤って感じ。下の句は白っぽくてかそかなものという感じ。(慧子)
 ★まあ、かそかなものというか、実際は揺るぎない工法で立てられているのでしょうけ
  れど、人工物であるビル群を霜柱のように脆くて危ういものと作者はみてるんでしょ
  うね。銀色の冷たい感じの人工物。この一連の最初の方でも言ったけどバベルの塔み
  たいな。(鹿取)
 ★「ような」としなかったのがいいね。「ような」がないと不完全だけど「ような」を
  入れると歌が弱くなるから。(鈴木)
 ★隠喩って技法でしょう。「ような」とか「ごとく」とか言わないけど比喩になってい
  る。(鹿取) 


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渡辺松男の一首鑑賞 98

2020-09-17 16:11:54 | 短歌の鑑賞
   渡辺松男研究11(2014年1月)
       【『精神現象学』】『寒気氾濫』(一九九七年)四〇頁~
       参加者:崎尾廣子、鈴木良明、渡部慧子、鹿取未放
        レポーター:鈴木良明 司会と記録:鹿取 未放
       

98 むかし疎外ということばあり今もあるような感じに吹けるビル風

      (レポート)
 「疎外」という言葉は、ヘーゲルが「自己を否定して自己にとってよそよそしい他者になること」の意で用いたが、後にこれを継承したマルクスが「人間が自己の作りだしたものによって支配される状況」の意で用いている。ビル風は、自然の風ではなく、人間がわざわざビルを建てたことによって発生した。そのようなことを思い、感じながら作者は、ビル風に吹かれつつ「みなとみらい」地区を歩いたのである。(鈴木)

      (発言) 
★われわれの世代には疎外ということがすごくよく分かる。当時はやった言葉で。(鹿取)
★疎外はマルクスが言ったような意味で使ってましたよね。(鈴木)
★ええ、自己疎外とか言ってね。あれ、マルクスの概念なんだ。(鹿取)
★ヘーゲルの方は抽象的過ぎるからぴんと来ないけど。マルクスの方は直接的で。(鈴木)
★「疎外」を広辞苑で引いたらどう出ているのでしょう?(慧子)
★では、引いて見ましょう。前半は鈴木さんのレポートと同じです。マルクスの項で、自
 己の創り出したものは(生産物・制度など)と括弧書きの注がついています。次に「さ
 らに資本主義社会において人間関係が主として利害打算の関係と化し、人間性を喪失し
 つつある状況を表す語として用いた」とあります。あの頃、この最後の方の意味でしき
 りに「人間疎外」って言葉を使っていましたよね。立て看なんかにもよく使われていた
 気がする。(鹿取)
★「今もあるような感じに」あたりが歌を分かりやすくしていますね。難しい言いまわし
 を使わないで。(鈴木)


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渡辺松男の一首鑑賞 97

2020-09-16 19:01:27 | 短歌の鑑賞
   渡辺松男研究11(2014年1月)
       【『精神現象学』】『寒気氾濫』(一九九七年)四〇頁~
        参加者:崎尾廣子、鈴木良明、渡部慧子、鹿取未放
         レポーター:鈴木良明 司会と記録:鹿取 未放
       

97 「みなとみらい」のこんな街路灯の一本がかのダム底の家より明し



(レポート)
 都市部と山間部の電灯の明るさのちがいから、それぞれに住む人たちの暮らしの格差を詠んでいる。「みなとみらい」の明るさは白色光であるのに対し、「ダム底の家」は白熱電球でやや黄ばんで見える。また、通りすがりの街路灯の一本と暮らしの拠点である家の明るさを比較することで、一層その格差が際立ってくるのだ。(鈴木)


(発言)
 ★「かのダム底の家」というのは、かつてあつたが今はダム底に沈んでしまっている家
  ということでしょうか?今でもダムの底に家自体はあるかもしれないけど、灯りをと
  もしていることはないわよね。ダムの底に沈む以前の暮らしの中で、あの家にともっ
  ていた灯りはここの街路灯の一本よりも暗かったなあ、というのでしょう。こういう
  方向に考えが及ぶのが渡辺さんらしいですよね。(鹿取)
 ★過去と比較しているというよりも、現に見えるものとして考えている。過去と比較し
  たのではあの時代ならしょうがないと弱まっちゃうから。そうじゃなく詠んでいるの
  が面白い。みなとみらいは白色光でいいのかなあ、よく分からないけど。(鈴木)
 ★昔の明りだから暗かったというのではなくて、今はダム底に沈んだ家を作者はありあ
  りと現前に感じていて、それを街路灯と比較している。みなとみらいの街路灯が白色
  光か何かは知らないけど、無駄に明るいというか、無機質な感じを言いたいのでしょ
  うね。ダム底になった家には貧しいけど人間らしい、人が寄り添っていた灯りがあっ
  たわけです。(鹿取)
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