「排気の遅れ、水素爆発招いた」 米紙が原発事故分析(朝日新聞) - goo ニュース
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同紙は、同原発1号機は地震・津波の発生から半日たった3月12日午前2時半に格納容器内の圧力が2倍に達し、東電は排気を決めたとしている。
しかし、準備などに手間取り、実際に排気できたのは同日午後。その約1時間後に水素爆発が起きて原子炉建屋が破壊された。これに伴う炉心の損傷はなかったが、「壁」の一つが失われたことでその後の大量の放射性物質の放出につながったほか、炉の冷却のための作業を妨げる原因にもなった。
同紙によると、日米の専門家は排気の遅れで水素爆発が起きやすい条件ができたと考えている。放射性物質と水素を含む格納容器内のガスは、排気専用のパイプを経由して建屋の外にある排気塔に導かれるが、圧力が2倍になるまで待ったため、パイプの継ぎ目などからガスが漏れやすくなり、建屋内に充満した可能性があるという。
専門家は「放射性物質の放出を心配するあまり排気に慎重になったことが、事態を悪化させたようだ」とみている。水素爆発の防止を重視する米国は、格納容器内の圧力が耐圧の上限に達する前でも早めに排気を行うことにしており、同様の方針は韓国や台湾でも採用されていると指摘している。
米国では、1979年のスリーマイル島原発事故で作業員の判断ですばやく排気が行われ、原子力規制委員会(NRC)が追認したが、日本では排気は「最後の手段」として、電力会社のトップや政府の判断を待ってから行う体制。記事はこうした考え方の違いも排気の遅れにつながった可能性を指摘した。(パナマ市=勝田敏彦)
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海外メディア.....殊にかつて冷戦時代に「西側」と言われた、現状差は埋まりつつあるもののいわゆる「先進国」と称される国々のメディア.....に報道されると、比較的安直に「鵜呑みにする」ところがある。 アメリカナイズ.....とは一線を画す「つもり」だが、発想の原点は似て非なるものと言わざるを得ないか?.....。 あまりよろしい行為ではないと思いつつも、自国の「権威」を、率先して認めない.....と言うか、認め「たがらない」。 自虐的になることで、少なからず自身を「正当化」できるのではないか!?との、妙な誤解があるような気がする。
んな訳で、この記事にも「安直に」飛びついた次第だが、今さらながらの「分析結果」の掲載には、色々考えさせられてしまった。 ここでの問題提起は、あくまで「原発の運用のあり方」に関するものであって、メディアとしての中立性が担保され、内容も事実の羅列に過ぎないまでも、この後発生するだろう議論は、どうしても「原発ありき」で、どう運用すべき「か?」または「だったか?」とならざるを得ない。
自身「原発反対派」である以上、論じるまでもない話と、一蹴してしまうのは簡単だが、福島第一を除く国内の原発については、少なくとも代替エネルギーの目処が立つまで、稼働を容認しなければ無責任だろうし、そも、稼働中の原発は、需要と供給のバランスから言っても、「いきなり」止める訳にもいかないだろう。 稼働させる以上、事故の分析と、そこから導き出される「運用のあり方」については、議論をし尽くす覚悟が必要だ。
先に記した通り、自国の権威を認めない性格から言うと、「そうだそうだ!何で水素爆発起こした!」と、声を荒げたいところだが、少し冷静に考えてみると、決断の「遅さ」に起因して、対応が後手を踏んだ経緯は反省したとしても、初動の「あり方」として「1μシーベルトの放出も許さない!」とする指針があったと仮定したならば、それなりに日本の.....と言うか、東電の対応は評価できる。 事故分析は穿った言い方をすれば「結果論」でしかなく、事故が起きてみたから「こうすべきだった!」も言えるのだから。
まぁこの未曾有の人災について、たったの9か月から1年で、放射能漏れを封じ込める!と公言して憚らない、とても優秀なブレーンが、日本にはあまたいらっしゃるのだ。 以降の運用も国民が納得する形で提示願えることだろう。 当面、お手並み拝見である。
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2011年4月23日(土)21:20
23日付の米紙ウォールストリート・ジャーナル(電子版)は、福島第一原子力発電所の事故について、放射性物質の外部放出を懸念し、東京電力が格納容器内のガスの排出をためらったことで水素爆発を招いたとする分析記事を掲載した。同紙は、同原発1号機は地震・津波の発生から半日たった3月12日午前2時半に格納容器内の圧力が2倍に達し、東電は排気を決めたとしている。
しかし、準備などに手間取り、実際に排気できたのは同日午後。その約1時間後に水素爆発が起きて原子炉建屋が破壊された。これに伴う炉心の損傷はなかったが、「壁」の一つが失われたことでその後の大量の放射性物質の放出につながったほか、炉の冷却のための作業を妨げる原因にもなった。
同紙によると、日米の専門家は排気の遅れで水素爆発が起きやすい条件ができたと考えている。放射性物質と水素を含む格納容器内のガスは、排気専用のパイプを経由して建屋の外にある排気塔に導かれるが、圧力が2倍になるまで待ったため、パイプの継ぎ目などからガスが漏れやすくなり、建屋内に充満した可能性があるという。
専門家は「放射性物質の放出を心配するあまり排気に慎重になったことが、事態を悪化させたようだ」とみている。水素爆発の防止を重視する米国は、格納容器内の圧力が耐圧の上限に達する前でも早めに排気を行うことにしており、同様の方針は韓国や台湾でも採用されていると指摘している。
米国では、1979年のスリーマイル島原発事故で作業員の判断ですばやく排気が行われ、原子力規制委員会(NRC)が追認したが、日本では排気は「最後の手段」として、電力会社のトップや政府の判断を待ってから行う体制。記事はこうした考え方の違いも排気の遅れにつながった可能性を指摘した。(パナマ市=勝田敏彦)
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海外メディア.....殊にかつて冷戦時代に「西側」と言われた、現状差は埋まりつつあるもののいわゆる「先進国」と称される国々のメディア.....に報道されると、比較的安直に「鵜呑みにする」ところがある。 アメリカナイズ.....とは一線を画す「つもり」だが、発想の原点は似て非なるものと言わざるを得ないか?.....。 あまりよろしい行為ではないと思いつつも、自国の「権威」を、率先して認めない.....と言うか、認め「たがらない」。 自虐的になることで、少なからず自身を「正当化」できるのではないか!?との、妙な誤解があるような気がする。
んな訳で、この記事にも「安直に」飛びついた次第だが、今さらながらの「分析結果」の掲載には、色々考えさせられてしまった。 ここでの問題提起は、あくまで「原発の運用のあり方」に関するものであって、メディアとしての中立性が担保され、内容も事実の羅列に過ぎないまでも、この後発生するだろう議論は、どうしても「原発ありき」で、どう運用すべき「か?」または「だったか?」とならざるを得ない。
自身「原発反対派」である以上、論じるまでもない話と、一蹴してしまうのは簡単だが、福島第一を除く国内の原発については、少なくとも代替エネルギーの目処が立つまで、稼働を容認しなければ無責任だろうし、そも、稼働中の原発は、需要と供給のバランスから言っても、「いきなり」止める訳にもいかないだろう。 稼働させる以上、事故の分析と、そこから導き出される「運用のあり方」については、議論をし尽くす覚悟が必要だ。
先に記した通り、自国の権威を認めない性格から言うと、「そうだそうだ!何で水素爆発起こした!」と、声を荒げたいところだが、少し冷静に考えてみると、決断の「遅さ」に起因して、対応が後手を踏んだ経緯は反省したとしても、初動の「あり方」として「1μシーベルトの放出も許さない!」とする指針があったと仮定したならば、それなりに日本の.....と言うか、東電の対応は評価できる。 事故分析は穿った言い方をすれば「結果論」でしかなく、事故が起きてみたから「こうすべきだった!」も言えるのだから。
まぁこの未曾有の人災について、たったの9か月から1年で、放射能漏れを封じ込める!と公言して憚らない、とても優秀なブレーンが、日本にはあまたいらっしゃるのだ。 以降の運用も国民が納得する形で提示願えることだろう。 当面、お手並み拝見である。