マーちゃんの数独日記

かっては数独解説。今はつれづれに旅行記や日常雑記など。

トムラウシ山 3 (再びの百名山 その1)

2009年07月28日 | 再びの百名山

  トムラウシ山々行記録 前回のブログの続きです。

 第4日 ヒサゴ沼避難小屋→(徒歩:3時間20分)→
       トムラウシ山→(徒歩:1時間30分)→前トム平
      →(徒歩:2時間)→カムイ天上分岐→
      (1時間50分)→トムラウシ短縮コース登山口
      →(車:20分)→トムラウシ温泉・大雪荘

 この日の予定は、ヒサゴ沼避難小屋をベースキャンプとして
、五色原周辺の散策。のんびりと高山植物の群落を楽しもうと
の計画でした。しかし、夜来の不安は現実のものとなりつつあ
りました。早くもラジオの天気予報を聞いた方から、「今日の天
候は荒れ模様」の声が掛かります。ラジオ放送に耳を傾けると、
今日から明日にかけては雨との予報。Sさんと相談し、五色原
周辺の散策を断念し、早めの下山を決めました。

 今から思うと16年前は何と幸運に恵まれていたかが良く分
かります。入山前夜、地上では細川政権誕生のニュースで沸
き返っていました。その入山から下山までの5日間、全く雨は
降らず、快晴続きだったのです。

 小屋を経つとき、既にツアーパーティーは出発していました。
下山ルートは私達と同じトムラウシ温泉側と聞いていましたが、
その後会う事はありませんでした。順調に下山されたのでしょ
う。「日本庭園」辺りから雨が降り出し、風も強くなってきます。
登るにつれて風は強さを増し、吹き飛ばされそうにもなります。
 
 屋久島山行でも強風に逢い、岩場で私は吹き飛ばされた経
験を持ちます。後ろを歩いていた同行のKさんとSさん、私が浮
くのを見て、”ハットしたと”。何度も聞かされた言葉です。

 その二の舞を繰り返さないよう必死の想いで岩場を越えて行
きます。今回の山行で最初に訪れた難局です。ただトムラウシ
から一気に高度を下げると、次第に風は弱まり、前トム平まで
下って来ると、雨は止み、風はおさまって来ました。天候に煩わ
されることなく昼食をとった記憶があります。この時の雨と風は
トムラウシ山頂上付近だけのものかと安心したのです。
 しかし、実はここからが大変でした。強風は去ったものの雨
は再び降り出し、道はぬかりみ始め、何度か尻餅をつきそうに
なります。地図表示の標準タイムを遥かにオーバーする歩み
、下山ルートがこんなに長く感じたのは「魚沼駒ケ岳」以来。漸く
の思い出で、「短縮登山口」まで辿りつきました。

 標準コースタイムを遥かに超え登山は2つあります。快調に
歩みを進めたにも拘わらず、1.5倍以上の時間を要した山は
「岩手山」と「妙高山」の所謂裏ルートです。私的偏見では、裏
ルートでのコースタイム測定者(?)は超ベテラン。もの凄く足
の速い人が実踏しているのでは無いでしょうか。

 下山口にたどり着き、ふと見ると、一台の車、必死で手を振り
ます。明日の登山の入口を視察に着たとの事、ずぶぬれの状
態での乗車を詫びながら、車中の人となりました。そこから車で
20分も掛かりました。このコンディションのなかで、歩いたら
2時間は掛かったでしょう。感謝!感謝!の気持ちで一杯でし
た。
 宿はトムラウシ温泉・国民宿舎大雪荘。飛び込みなので正規
の部屋に空きはなく、大広間の雑魚寝。後から聞いたところに
よればこの宿、国民宿舎の人気度でベストテンに入る宿とか。

 今年の遭難の報に、私達が下山に遭遇した雨風より遥かに
強烈であったのではないかと思います。全く同じコースを辿っ
た私達が受けた雨風はそれに比べればより緩やかでしかも
短時間であった事が幸いしたと思います。詳しい原因分析は
今後に待つとしても、トムラウシ直下の北沼からの瀧の様な
雨水を全身に浴びられた事が、大変な事態に繋がる遠因にな
ったであろう事が想像されます。
 振り返って、アンダーシャツが木綿製である事、防水能力がか
なり弱くなっている雨衣を着続けている点など、自省すべき事柄
が数多くあることを実感しています。

 第5日 終日 大雪荘

 第6日 大雪荘→(バス)→新得→札幌→新千歳空港
      →羽田
 
 トムラウシ山々行記録を終えるにあたり、再度、遭難に逢わ
れた方々のご冥福をお祈りいたします。