マーちゃんの数独日記

かっては数独解説。今はつれづれに旅行記や日常雑記など。

『のぼうの城』を観る

2012年12月24日 | 映画・美術・芝居・落語

 12月21日(金)、池袋シネマ・ロサへ出掛け、久し振りの映画、「のぼうの城」を観た。1年以上前に小説を読み、石田三成軍の水攻めにも耐えた「忍城」に拍手喝采を送った。その小説が映画化されたと知り、是非映画見物にと心掛けていたが、漸く3日前に出掛けられた。特に、水攻めとその為に築かれた「石田堤」の様子を観てみたかった。

 痛快で実に面白い映画だった。
 時は今から400年ほど前。秀吉の天下統一目前の小田原攻め。豊臣軍に抵抗すべく、北条氏政は関東各地の支城に籠城を命じる。その支城の一つが忍城。総代表成田長親(野村萬斎)は武勇も智謀も持たない、でくのぼうの様な男。しかし、領民からは好かれ、「でくのぼう」を略して「のぼう様」と呼ばれ、親しまれる人物であった。作品名「のぼうの城」はそこに由来。
 当初、城主成田氏長(西村雅彦)は秀吉への降伏を決めていたが、石田三成軍の軍使長束正家(平岳夫)の傲慢な態度に怒った長親は、戦う決意を固め、開戦となる。
 二万超の軍勢を相手に、緒戦は地の利ある忍城側の圧勝。そこで三成は、近くを流れる利根川を利用した水攻めを敢行すべく、延長28kmに及ぶ、世に言う石田堤を建築。その堰が切って落とされ、水勢はもの物凄い迫力で農家や城に襲いかかる。C・Gが用いられたと思うが、かの大津波もこうであったかと思える様な破壊力で家・人・田畑を呑み込む。
 籠城側は本丸を除いて水に沈み、落城寸前。そこで長親は奇想天外の策に出る。城を囲む湖に舟を出し、敵兵の前で田楽踊りを舞うのであった。この野村萬斎の舞いが秀逸。敵・味方のみでなく観客も、とりもなおさず私も、この舞いに笑いころげ拍手喝采を送ったのだった。

 その後石田軍の仕打ちに怒った百姓が石田堤を破壊し、水は逆流し始めるが、小田原城は落城し戦いはこれまで。忍城は開城となるが、ここまで持ちこたえたのは北条軍で忍城のみ。
 史実に基づいた小説・映画化で、その石田堤の一部は埼玉県行田市に現存しているとの事。
 
 狂言師野村萬斎起用が大成功だ。いかにもでくのぼうの振る舞い。飄々とした演技。更に舟の上での田楽舞。適役だった。
 長々と築かれた堤・堰を切って流れる水勢・水浸しとなった田園風景、よくぞ映画化し得たなという映像に満足して映画館を後にした。