マーちゃんの数独日記

かっては数独解説。今はつれづれに旅行記や日常雑記など。

『親心が開けた進学の闔』を読んで

2013年05月05日 | 身辺雑記

 東京新聞が1面で、「救われた人生」と題して、憲法が保障する人権についの特集を連載している。5月4日は「親心が開けた進学の闔」との見出しで、娘の為に掛けた学資保険の満期保険金46万円が「収入」と認定され、生活保護費の支給が半額にされた中嶋善治さん(生活保護受給者)を記事にしている。福岡地裁に提訴後、裁判は最高裁まで争われ、最終的に原告側が勝利。本質的に、憲法25条の保障する「生存権」が侵害されたかを問う裁判だった。

 これを読んで、私が感じた事を記しておきたい。
 1961年12月、定時制高校4年生だった私は、3ヵ月後に迫った大学受験に備える為め、それまで4年9ヶ月勤めていた「日本光学」を退社した。以後1967年3月まで続く、アルバイト代以外無収入の時代の始りだった。国立大学受験に失敗し、4月から「東京ガス」の臨時職員として6ヵ月間勤務。貯めたお金で10月から予備校通い。併せて「職業安定所」(現ハローワーク)に失業保険の申請をしておいた。しかし
受給直前に職業紹介の手紙が来た。
 これには弱った。正直に予備校の事を告げると、係員の表情が変わった。受給資格の”働く意思と能力”の意思を欠いていたからだ。”ダメだ”と言われ、相当落ち込んだ私を見て、何故か彼は所長の所へ相談に行き、私は所長室へ回された。所長から「本来は受給は出来ないのだが・・・」と言われ本当に嬉しかった。以後勤務紹介は皆無で、受験勉強に専念。辛うじて大学に合格した。”失業保険が開けた進学の闔”だ。
 大学進学後は月12000円の奨学資金が救いだった。母や妹の収入が頼りの綱で、そのお蔭もあって、何とか大学を卒業し、教員として入都した私は、4月、5年振りに給料袋を手にした。職業訓練所の話など今ならあり得ない。時代の空気が後押ししてくれた幸運としか思えない。教育を受ける機会を実質的に保障してくれた、失業保険と奨学資金。
 
 今憲法96条が問われている。この条文を改定する事によって、各条文改定のハードルを低くしようとの安倍内閣の狙いだ。現日本の憲法は、太平洋戦争が諸外国や自国民に多大の苦しみをもたらしたとの反省の下、第9条で武力放棄を宣言した。又、人権を時の権力者の恣意から守るため、条文の一つひとつを「2/3以上の両議員の賛成」が無ければ、提起出来ないようにした。各条文毎に「2/3以上の賛成で」発議が可能、それが硬性憲法たる日本憲法の本質だ。
 「ゲリマンダー」とは、時の政権が自党に有利な様に選挙制度を改悪すること。法手続き上可能に見えるこの方法論を、世界は歴史の教訓から、民主主義の本質を侵すものとして排除してきた。96条改定手続きの本質はゲりマンダーと同じ手法に思える。
 私は憲法96条改定に反対である。と同時に憲法96条を改定することによってなされようとする一連の改憲手続きに大反対である。