マーちゃんの数独日記

かっては数独解説。今はつれづれに旅行記や日常雑記など。

『狩野三楽・山雪』展を観る

2013年05月13日 | 

 『旧中川』の続きを書くような表現をしてしまったが、実は、昨日から家人と奈良に来ている。毎年5月14日に行われる『當麻寺練供養』と、15日に行われる京都『葵祭』の両方を観る為、12日~15日まで奈良に滞在。3月に出掛けた大津と同様に、JR東海の旅行パックを利用しての旅で、宿3泊+新幹線往復のパック料金が非常にお安い。
 
 昨日の12日(日)東京発7時の新幹線は9時18分京都着。午前中に「国立京都博物館」へ、午後に「国立奈良博物館」へ出かけた。どちらの博物館も「国立東京博物館」の年間パスポートで入館が可能である。京都では昨日が特別展「狩野山楽・山雪」の最終日。日曜日で絶快晴とあり、10時前には入場前の列が出来ていた。それでも15分待ちで入館。

 徳川幕府御用絵師となり江戸へ出て行った狩野家本流(江戸狩野)に対し、京の地にとどまり、狩野永徳の弟子筋によって濃厚な画風を確立した「京狩野」。山楽は永徳の弟子で、成長し京狩野初代の統率者となった。山雪は山樂の娘の婿となり、その後延々と続く京狩野の二代目総帥。桃山時代から江戸時代へ変転する波乱の時代を絵に生きた2人の大展覧会で、重要文化財13件、新発見9件も展示されるとネットで知っていた。

 

 山楽の「龍虎図屏風」の虎の姿が素晴らしい。間近で観ると獰猛な表情が迫力満点。山雪作「雪汀水禽図屏風」に描かれた波は、繊細・華麗である。初めてみる波の形と思う。2人の合作と見なされている「朝顔図襖」や、山楽の大覚寺所蔵「牡丹図襖」は、色彩が華やかだ。
 山楽が豊臣家滅亡後、徳川幕府に追われ命の危機に見舞われたことを初めて知った。狩野派と言えば時の権力者に優遇されていただけでないことも、遅まきながら知った事であった。
 

 
  (龍虎図屏風の一部