5月14日は16時から當麻寺の練供養の日。混雑が予想されるので、近鉄を乗り継いで14時20分には寺に到着。この日、奈良地方は真夏日。午後の厳しい暑さを凌いで多くの人が日陰で、その時の来るのを待っていた。練供養は特別設えの”花道(橋)”上で行われる。その下が丁度日陰になっていて、絶好の待機場所。私達もその場に座り込んだ。
待つ身に、練供養の謂れの放送が2度も流れ、自然と覚えてしまった。
『中将姫は16歳で當麻時に入られ、尼となって仏道修行に励まれました。一目菩薩を観たいと願うようになり、曼荼羅を織り始められました。完成後一層仏道に精進なされました。その甲斐あって、29歳の3月14日に阿弥陀如来・観音菩薩・勢至菩薩など25の菩薩さまが中将姫を迎えに来られ、姫は西方浄土へと旅立たれたのでした。
今日の練供養はその時の様子を再現するもの。菩薩さまが、舞台の上手の極楽堂から、中将姫の待つ娑婆堂までお迎えに練り歩きます』の様な話です。(写真:正面が當麻寺本堂。そこへと通じる”花道”)
到着した當麻時駅からお寺まで一本道で、参拝の人・人の長い列。途中からお店が見え始め、屋台も登場し、山門をくぐるとそこはまるで縁日の会場。この日は学校が早めに終了したのか、多くの小中学生が嬉々として遊び戯れている。練供養は大人だけでなく、子供達も楽しめるものに進化(?)して来ているのを知るのだった。暑さのなかで待つ身に、冷たいものが欲しくなり、私もアイスクリームを求めて屋台を目指した。 そうこうするうちに16時丁度、供養が始まった。最初は親に連れられたお稚児さん達が進む。中将姫の魂を乗せるべき輿も通過すると、いよいよ菩薩さまの登場。顔全体を覆うように面を付け、前が見えないので、花道から落ちないようにする為、皆介添え付きだ。最後に観音菩薩と勢至菩薩が現れた。それまでの菩薩さまとは違い、介添え無しで、舞いつつの前進で、練供養は最高潮に達し、私達は花道の脇でその舞を見上げた。娑婆堂で姫を迎えた一行が、観音・勢至菩薩を先頭に、再度花道を極楽堂へ戻り、供養は終了。時に17時過ぎ。(写真:勢至菩薩)
(写真:観音菩薩)
供養の始まるころから終了まで、傍らにいらした方が、詳しい解説をしてくれた。今日は弟さんが面を被ったそうな。供養が1000年目を迎えた9年前、菩薩面を作り変えようとしたら25面全てには数億円の費用が要ることが分かり、弱ってしまい、インドネシアの職人さんに頼んで3400万円で済んだ等々の裏話。職業を伺うと、農家の技術指導で若い衆に技術を教えているとのこと。この練供養が単に寺のみの行事では無く、地元の方々に支持され、地元と一体となって、守られ来た、1009年の歴史と伝統ある行事であることも知ったのです。(写真:中将姫を乗せた輿)
(介添えと共に歩む菩薩)
(稚児さんと親:練供養の最後)
疲れた身に、仏堂や三重塔参拝の余力は無くて、又の来寺を念じて一路帰途に着いたのでした。いやそれより、菩薩を演じた方々猛暑さのなか御苦労さまでした。