マーちゃんの数独日記

かっては数独解説。今はつれづれに旅行記や日常雑記など。

静かな尾瀬(その2)

2016年08月09日 | 山旅

 尾瀬は殆どの山小屋の朝食は6時からだ。この3日間、朝4時半には山小屋を抜け出し、夜明け直前の尾瀬を撮影した。ただ無念なことに、7月29日に私は愛用の一眼デジタルカメラ「冨士フイルムHS20」を紛失していた。その上位機種も冨士フイルムは製造を中止していて、新たな機種を購入すること能わず、今回の尾瀬行はスマホでの撮影とあいなってしまった。スマホの写真機能は解像度は高く、高山植物の撮影にはそれでも良いかと思っていたのだが、花は少なく、主たる撮影対象を山そのものに向けたのだが、望遠能力の高くないスマホでの遠き山の撮影となってしまった。(写真:至仏山を後に尾瀬沼へと向かう)

 8月3日、9時に桧枝岐小屋から尾瀬沼へと向かった。標高1400mの尾瀬ヶ原から1660mの沼へは標高差260mの上り。この間も木道がしっかり整備されていて歩き易い。急ぐ山旅ではなく、森林浴を味わいつつ白砂峠を越えた。白砂田代では池塘は全く見えず、高山植物もあまり見られなかった。尾瀬沼西北端の湖尻に到着すると休息所が無い。ここに建っていた休憩所は昨年9月に全焼し、跡形も無かった。かって、尾瀬沼山荘からここまで小型観光船に乗船したことがあった。その発着点だ。私は過去の色々な山行を思い出しながら、静かな沼を眺め、燧岳を仰ぎ見るばかりだった。(写真:湖尻にて)

 沼を半周し、この日の宿を長蔵小屋着と決めた。尾瀬では長蔵小屋に1番多く泊まったと思う。1934(昭和9)年に建てられた現在の小屋は丸太でしったり組み立てられていて、風格さえ感じられる。お風呂も7人は入れるほど大きかった。
 明治25年この地に入った先覚者平野長蔵はその名を小屋名に残し、その息子長英は燧ケ岳の登山道に長英新道との名を残した。その息子長靖は、尾瀬への道路建設反対運動のさなかに急逝した。彼の遺作集『尾瀬に死す』を若い頃の私は何度も手にした。詩人茨木のり子を知ったのもこの本からだった。(写真:長蔵小屋)

 8月4日、朝食後
この小屋の裏手にある“ビュースポット”に向かった。ここからは運が良ければ湖面に写る逆燧の撮影が可能だ。この日は絶快晴、湖面には逆燧が写っていた。慌ててスマホを向けのその撮影。右と下の写真2葉がその写真。ヤナギランの群生がここで漸く見られた。(この写真は逆燧の下)



 

 この日は久しぶりに沼を1周した。三平下でも尾瀬沼を背景にした燧岳の写真が撮れてご機嫌。10時には、大清水に向けて下山開始。大清水着13時。到着後間もなく土砂降りの雨が降ってきて、2時間以上降り続いた。早めに下山を開始したのが幸いした。15時10分発のバスは30分遅れてのスタートだったが、バスタ新宿着19時50分。(写真:いずれも三平下付近で見る燧ケ岳)



 尾瀬は高山植物のみならず水の宝庫だと改めて感じた。弥四郎清水や岩清水などの湧水は本当に美味しかった。森林浴のみならず”草原浴”も出来た。池塘や沼に写る山岳風景も堪能出来た。心身ともにリフレッシュさせてくれた尾瀬、有難う。