マーちゃんの数独日記

かっては数独解説。今はつれづれに旅行記や日常雑記など。

あらかわ遊園で再会し、中里貝塚へ

2016年08月17日 | 身辺雑記

 ラジオ体操会場の方に電話番号を伝えてあった効果はすぐに現れた。尾瀬で出会ったHさんから電話があり、一昨日「あらかわ遊園」で再会した。
 
811日と全く同じように、5時半自宅発で615分ラジオ体操会場着。お互い一目で相手と分かり、握手で再会を祝った。この数日は自宅でオリンピック観戦のためラジオ体操会場には姿を見せなかったそうだ。
 ここの会場もみんなの体操からスタートする。その前にHさんに誘われてラジオ体操の立ち位置まで移動した。と、そこは前立5人に一番近い、前立と相対する位置だった。後で伺ったことだが、ここでは前立とは言わずに指導員と呼ぶそうだ。その指導員の立つ場所には石灰の白線ラインが5つ引かれているのを初めて見た。
Hさんは飛鳥山公園でその指導員だったこともあり、きびきびとしたメリハリのある体操で、声を出す場面では大きな声を出していた。

 ラジオ体操終了後、あちこちを案内して下さった。まず向かったのが隅田川方面。レンガの塀まで来ると「この辺りには多くのレンガ工場がありました」とのことで、あらかわ遊園の入口も水上バス乗車場付近もレンガで出来ていた。(写真:あらかわ遊園入口)








   
  (あらかわ遊園付近はレンガの堀が多い)   (水上バス乗り場付近もレンガ。この向こうは隅田川)

 次に向かったのがJR高崎線尾久駅。この駅は“おく”と呼ぶことを初めて知った。町の名前は“おぐ”だが、駅名は“ぐ”とは濁らない。駅の東西を結ぶ”尾久構内架道橋”と呼ばれる地下道にも案内された。直線で120mもある、点灯された明るいトンネル。中学生のお孫さんは100mの東京代表の選手で、松本で行われる全国大会に出場するとか。この直線が絶好の練習場でもあるそうだ。(写真:尾久構内架道橋)






 最後に案内して頂いたのが「国指定史跡 中里貝塚」。縄文時代前期には海水面が現在より高く、関東平野の内部奥深くまで海水が入り込んでいたが、縄文中期には後退が始まり、縄文後期には中里のこの辺りは海であった。この地形を利用しての貝の処理工場があったらしい。その痕跡が高さ5m近い、国内最大級の貝塚だ。この詳細は後日のブログへ。
 人と知り合うと、その人の持っている知識に触れられる。私の知らない3つほどの場所に案内して頂き、感謝・感謝!(写真:中里貝塚の碑が立っていた)
 その3ヵ所の
レンガ塀・尾久駅・中里貝塚へ昨日は写真撮影で出かけて来た。(下の写真は中里貝塚説明の掲示板より)