奈良の御使者たちから上を通じて連絡を受けたのはそれから間もなくだった。
亀石を調べてみたが呪文使いの細工の後はない。何が人間に影響を及ぼしているのか見当もつかない…と。
そう…でもね…ベテランの御使者に分からないことは…僕にだって分からない…。
誰にともなく…そう呟いてみる。
調べ始めてほぼ一年…潜在記憶保持者や発症者への対処方法を考え…遺跡にかかった呪文を解いて…それでこの件でのお役目は終わるはずだった。
だって…あとは雲の上の人たちの話…議員も官僚も西沢の手の届かない存在…。
そこから先は公に携わっている御使者やエージェントにバトンタッチ…。
彼等だって…他国のことまではどうしようもないから…我国のトップたちが妙な気を起こさないように見張っていることぐらいしかできないだろう。
核のボタンを押さないように見張る役目は…核を保有している国の…HISTORIANのような国際的能力者集団…にお任せするしかない…。
運良く…そこにそういう人たちが居ればの話…だが…。
インターネットで検索した亀石の画像を睨みつける…。
この亀さんができたのは…明日香村の他の石たちの年代から考えても…せいぜい1500~2000年くらい前…。
三宅の呪文のかかった遺跡が一万年以上前に作られたというのが事実なら…巨石であるということの他には共通するものがない。
う~ん…亀さんのようなカエルさんのような…不思議な顔だ…。
甲羅があるから…亀さんなんだろうなぁ…。
世の中が悪くなると亀石が動いてだんだん西を向いていく…。
真西に向いたら大和が沈む…。 大和を日本と置き換えると…日本沈没…だ。
最初が北で…今現在…南西を向いている…ってことは世の中が乱れるたびに少しずつ動いていく終末へのタイマー…或いは…環境や国内及び国際情勢悪化度を示すバロメーターなんだよな…多分…。
スイッチじゃなくて…さ。
三宅が呪文をかけて他の巨石が目覚めた時に…こいつは敏感に感じ取った。
思い出せ…過去を…。
えっ…。
西沢の脳裏にチラッと閃くものが在った。
急いで奈良の御使者に連絡を取った…とは言っても直にはできないので上を通じて呼び出した。
急ぎの時に面倒くさい!…直でいけるように談判しよう…。
「大ちゃんと呼ばれた人は…どちらの潜在記憶保持者だったか分かりますか…?
ほんの少しでもいいんです…彼の記憶を覚えていますか…? 」
西沢はそう訊ねた。
『う~ん…僕はあまり読みは得意じゃないんですが…。
確か…造反…国を乱した…みたいなことを口走っていましたね…。
あと…平和…安寧…ですか…。 』
ワクチンだ…。
過激で目立った行動をとるオリジナル系に比べてワクチン系の潜在記憶保持者がいやに鳴りを潜めていると思ったんだ…。
亀さんがひとりで頑張ってたんだから…少ないはずだ…。
三宅の呪文でオリジナルが目覚め…それに敏感に反応した亀石がワクチンを目覚めさせたんだ。
オリジナルを封じて…安寧を保つために…。
亀さん偉い…!って褒めてる場合じゃないぞ…。
どうやって自然に反応した亀さんにお休み頂くか…?
下手したら…亀さんは西を向いてしまう…。
こんな世の中だから…向きたくなる気持ちも分からないじゃないんだが…。
この前と同じように会議室の末席に座って、西沢は騒然となっている代表格たちの様子をじっと見つめていた。
亀石が自分の意思で…というか亀石をこの世に生み出した者の意思でワクチン系を目覚めさせている…というところまでは良かったのだが…亀石の力を止める方法となると誰も心当たりがなかった。
地元の御使者の調べで、この力は呪文使いの業ではないことは分かっている。
亀石が単なる記憶媒体であるならば…その記憶を消せばいいが、万が一、祈祷の力や霊力であるならば専門家に任せるしかない。
裁きの一族は祖霊を敬い大切にはするが…どちらかと言えば宗教性の薄い家門なので封印はできても…鎮める…という行為は専門外である。
亀石にどういう祈りの力が込められているかも分からないまま封印して、逆に怒りを買って西を向かれちゃ堪らない。
「お伽さまに調べて頂こうか…? 」
総代格のひとりが提案した。
あ~ぁ…離れの大将なら何か分かるかもしれないね…。
そうそう…もともと御祭主だからな…。
代表格たちが口々に西沢の知らない人のことを話した。
お伽さま…離れの大将…御祭主…誰だ…そりゃ?
胸の中で呟いた。
宗主のいい人だよ…。 他の一族から宗主の登録家族になった方でな…。
桁外れに凄い祭祀能力を持っているんだ。
性格も穏やかで優しい人で…あの人のことは誰も悪くは言わんよ…。
西沢の隣に座った有くらいの年恰好の代表格がそっと囁いた。
ふうん…宗主にも内室の他にいい人が居たんだ…。
僕の浮気癖は…案外…宗主と同じ主流の血から来てるのかもね…。
クスクスッとお隣さんは笑った。
読心力に優れているらしく…いとも簡単に西沢の心を読む。
西沢が別段…警戒していないからだが…。
亀石のことは…結局…そのお伽さまの判断を待つことになった。
お伽さまは忙しい方らしく、即日というわけにはいかないので、後日、西沢にも結果を知らせてくれるということだった。
会議の終わりがけに…庭田の動きについて御使者長から話が出た。
宗主の許へ協力の要請が来た…という内容だった。
庭田の言わんとするところも分からぬではないが…時期尚早…いま少し様子を見ようというのが宗主の見解だった。
そう…麗香の考え方に異論を唱えるわけではないが…HISTORIANを完全に国内から追い出すには…相手がぐうの音も出ないような決定的とも言える理由がなくてはならない。
今回の件だけを以って、出て行けと詰め寄り、悪戯に騒ぎ立てれば極端に排他的であると思われるだけで、こちらに何ら利はない。
何しろ…すでに官僚の中にまで入り込んでいる組織である。
出て行く際にはできるだけ穏便に出て行って頂かないと…後々に響く…。
能力者同士で争っても得るものは何もないんだから…。
会議なんてものはつくづく性に合わないと思う。
会社勤めでなくてよかった…。 3日ともたねぇな…。
全身の筋肉ががちがちに強張って自分の身体じゃないみたいだ…。
そんなことを考えながら…まるで泥でも浴びてきたかのようにごしごしと全身を隈なく洗い流した。
湯船に浸かってやっと身体中のごわごわが溶けていくような気がした。
タオルで頭を拭き拭き…そっと寝室を覗くとベッドのど真ん中でノエルが寝息を立てていた。
隣で滝川が添い寝をしていた。
西沢の顔を見ると、滝川はノエルを起こさないように静かに部屋の外へ出てきた。
「今夜は少し御腹が張ったようで…しんどそうだった。
普通ならこの時期にはまだ…こんなに頻繁に張るようなことはないんだが…。
予定より出産が早いかも知れん…それもかなり…。 」
滝川が心配げな顔をしてノエルの様子を報告した。
西沢は分かったというように頷いた。
「亀さんの方はどうなった…? 」
西沢は会議の様子を話して聞かせた。
普通なら他家の滝川に話すようなことではないが、滝川は宗主から認められて特別な扱いを受けている。
御使者である西沢と行動をともにするように要請されている。
「お伽さまか…僕もまだ…最近耳にしたばかりだが…。
宗主より少しだけ年下だ。
評判は悪くないな…真面目で一途で…仕事もできる。
宗主夫妻が若い頃から眼をかけて可愛がって育ててきた男らしい。 」
長老格になってから滝川の情報量がさらに増した。今まで知らされなかった情報まで入手できるようになったからだ。
西沢本家からは情報らしい情報を得ることができない西沢にとって滝川の存在は外に向かって開けられた窓と言ってもよかった。
「とにかく…上から何か知らせが来るのを待つしかない…。
お伽さまの力だけが…今は頼りってことだ…。 」
お伽さま…ねぇ…。
おまえがあっちこっち気が多いのは…やっぱりあの宗主と同じ血を引いてるってことかもな…。
滝川がニヤッと笑った。
あ…おまえもそう思うか…?
さっき僕もそう思った…御使者仲間には笑われたけど…。
西沢は可笑しそうに言った。
自分で言ってりゃ世話ないぜ…と滝川は苦笑した。
いつもと変わりないふたりの楽しげな会話に混じって窓の外でぽつぽつと雨の降り出す音が聞こえた。
やがて…それはザァザァと大きな音を立て始め…嫌な季節の到来を告げるようにどんどん勢いを増していった。
朝から暗い雲に覆われた梅雨のある日…その知らせは突然届いた。
ひとつは亮の許に…。
そして今ひとつは西沢の許に…。
次回へ
亀石を調べてみたが呪文使いの細工の後はない。何が人間に影響を及ぼしているのか見当もつかない…と。
そう…でもね…ベテランの御使者に分からないことは…僕にだって分からない…。
誰にともなく…そう呟いてみる。
調べ始めてほぼ一年…潜在記憶保持者や発症者への対処方法を考え…遺跡にかかった呪文を解いて…それでこの件でのお役目は終わるはずだった。
だって…あとは雲の上の人たちの話…議員も官僚も西沢の手の届かない存在…。
そこから先は公に携わっている御使者やエージェントにバトンタッチ…。
彼等だって…他国のことまではどうしようもないから…我国のトップたちが妙な気を起こさないように見張っていることぐらいしかできないだろう。
核のボタンを押さないように見張る役目は…核を保有している国の…HISTORIANのような国際的能力者集団…にお任せするしかない…。
運良く…そこにそういう人たちが居ればの話…だが…。
インターネットで検索した亀石の画像を睨みつける…。
この亀さんができたのは…明日香村の他の石たちの年代から考えても…せいぜい1500~2000年くらい前…。
三宅の呪文のかかった遺跡が一万年以上前に作られたというのが事実なら…巨石であるということの他には共通するものがない。
う~ん…亀さんのようなカエルさんのような…不思議な顔だ…。
甲羅があるから…亀さんなんだろうなぁ…。
世の中が悪くなると亀石が動いてだんだん西を向いていく…。
真西に向いたら大和が沈む…。 大和を日本と置き換えると…日本沈没…だ。
最初が北で…今現在…南西を向いている…ってことは世の中が乱れるたびに少しずつ動いていく終末へのタイマー…或いは…環境や国内及び国際情勢悪化度を示すバロメーターなんだよな…多分…。
スイッチじゃなくて…さ。
三宅が呪文をかけて他の巨石が目覚めた時に…こいつは敏感に感じ取った。
思い出せ…過去を…。
えっ…。
西沢の脳裏にチラッと閃くものが在った。
急いで奈良の御使者に連絡を取った…とは言っても直にはできないので上を通じて呼び出した。
急ぎの時に面倒くさい!…直でいけるように談判しよう…。
「大ちゃんと呼ばれた人は…どちらの潜在記憶保持者だったか分かりますか…?
ほんの少しでもいいんです…彼の記憶を覚えていますか…? 」
西沢はそう訊ねた。
『う~ん…僕はあまり読みは得意じゃないんですが…。
確か…造反…国を乱した…みたいなことを口走っていましたね…。
あと…平和…安寧…ですか…。 』
ワクチンだ…。
過激で目立った行動をとるオリジナル系に比べてワクチン系の潜在記憶保持者がいやに鳴りを潜めていると思ったんだ…。
亀さんがひとりで頑張ってたんだから…少ないはずだ…。
三宅の呪文でオリジナルが目覚め…それに敏感に反応した亀石がワクチンを目覚めさせたんだ。
オリジナルを封じて…安寧を保つために…。
亀さん偉い…!って褒めてる場合じゃないぞ…。
どうやって自然に反応した亀さんにお休み頂くか…?
下手したら…亀さんは西を向いてしまう…。
こんな世の中だから…向きたくなる気持ちも分からないじゃないんだが…。
この前と同じように会議室の末席に座って、西沢は騒然となっている代表格たちの様子をじっと見つめていた。
亀石が自分の意思で…というか亀石をこの世に生み出した者の意思でワクチン系を目覚めさせている…というところまでは良かったのだが…亀石の力を止める方法となると誰も心当たりがなかった。
地元の御使者の調べで、この力は呪文使いの業ではないことは分かっている。
亀石が単なる記憶媒体であるならば…その記憶を消せばいいが、万が一、祈祷の力や霊力であるならば専門家に任せるしかない。
裁きの一族は祖霊を敬い大切にはするが…どちらかと言えば宗教性の薄い家門なので封印はできても…鎮める…という行為は専門外である。
亀石にどういう祈りの力が込められているかも分からないまま封印して、逆に怒りを買って西を向かれちゃ堪らない。
「お伽さまに調べて頂こうか…? 」
総代格のひとりが提案した。
あ~ぁ…離れの大将なら何か分かるかもしれないね…。
そうそう…もともと御祭主だからな…。
代表格たちが口々に西沢の知らない人のことを話した。
お伽さま…離れの大将…御祭主…誰だ…そりゃ?
胸の中で呟いた。
宗主のいい人だよ…。 他の一族から宗主の登録家族になった方でな…。
桁外れに凄い祭祀能力を持っているんだ。
性格も穏やかで優しい人で…あの人のことは誰も悪くは言わんよ…。
西沢の隣に座った有くらいの年恰好の代表格がそっと囁いた。
ふうん…宗主にも内室の他にいい人が居たんだ…。
僕の浮気癖は…案外…宗主と同じ主流の血から来てるのかもね…。
クスクスッとお隣さんは笑った。
読心力に優れているらしく…いとも簡単に西沢の心を読む。
西沢が別段…警戒していないからだが…。
亀石のことは…結局…そのお伽さまの判断を待つことになった。
お伽さまは忙しい方らしく、即日というわけにはいかないので、後日、西沢にも結果を知らせてくれるということだった。
会議の終わりがけに…庭田の動きについて御使者長から話が出た。
宗主の許へ協力の要請が来た…という内容だった。
庭田の言わんとするところも分からぬではないが…時期尚早…いま少し様子を見ようというのが宗主の見解だった。
そう…麗香の考え方に異論を唱えるわけではないが…HISTORIANを完全に国内から追い出すには…相手がぐうの音も出ないような決定的とも言える理由がなくてはならない。
今回の件だけを以って、出て行けと詰め寄り、悪戯に騒ぎ立てれば極端に排他的であると思われるだけで、こちらに何ら利はない。
何しろ…すでに官僚の中にまで入り込んでいる組織である。
出て行く際にはできるだけ穏便に出て行って頂かないと…後々に響く…。
能力者同士で争っても得るものは何もないんだから…。
会議なんてものはつくづく性に合わないと思う。
会社勤めでなくてよかった…。 3日ともたねぇな…。
全身の筋肉ががちがちに強張って自分の身体じゃないみたいだ…。
そんなことを考えながら…まるで泥でも浴びてきたかのようにごしごしと全身を隈なく洗い流した。
湯船に浸かってやっと身体中のごわごわが溶けていくような気がした。
タオルで頭を拭き拭き…そっと寝室を覗くとベッドのど真ん中でノエルが寝息を立てていた。
隣で滝川が添い寝をしていた。
西沢の顔を見ると、滝川はノエルを起こさないように静かに部屋の外へ出てきた。
「今夜は少し御腹が張ったようで…しんどそうだった。
普通ならこの時期にはまだ…こんなに頻繁に張るようなことはないんだが…。
予定より出産が早いかも知れん…それもかなり…。 」
滝川が心配げな顔をしてノエルの様子を報告した。
西沢は分かったというように頷いた。
「亀さんの方はどうなった…? 」
西沢は会議の様子を話して聞かせた。
普通なら他家の滝川に話すようなことではないが、滝川は宗主から認められて特別な扱いを受けている。
御使者である西沢と行動をともにするように要請されている。
「お伽さまか…僕もまだ…最近耳にしたばかりだが…。
宗主より少しだけ年下だ。
評判は悪くないな…真面目で一途で…仕事もできる。
宗主夫妻が若い頃から眼をかけて可愛がって育ててきた男らしい。 」
長老格になってから滝川の情報量がさらに増した。今まで知らされなかった情報まで入手できるようになったからだ。
西沢本家からは情報らしい情報を得ることができない西沢にとって滝川の存在は外に向かって開けられた窓と言ってもよかった。
「とにかく…上から何か知らせが来るのを待つしかない…。
お伽さまの力だけが…今は頼りってことだ…。 」
お伽さま…ねぇ…。
おまえがあっちこっち気が多いのは…やっぱりあの宗主と同じ血を引いてるってことかもな…。
滝川がニヤッと笑った。
あ…おまえもそう思うか…?
さっき僕もそう思った…御使者仲間には笑われたけど…。
西沢は可笑しそうに言った。
自分で言ってりゃ世話ないぜ…と滝川は苦笑した。
いつもと変わりないふたりの楽しげな会話に混じって窓の外でぽつぽつと雨の降り出す音が聞こえた。
やがて…それはザァザァと大きな音を立て始め…嫌な季節の到来を告げるようにどんどん勢いを増していった。
朝から暗い雲に覆われた梅雨のある日…その知らせは突然届いた。
ひとつは亮の許に…。
そして今ひとつは西沢の許に…。
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