徒然なるままに…なんてね。

思いつくまま、気の向くままの備忘録。
ほとんど…小説…だったりも…します。

続・現世太極伝(第五十六話 親父の仕事)

2006-08-15 17:52:07 | 夢の中のお話 『続・現世太極伝』
 玄関のドアが開く音がして…ノエルの足音が近付く…。
おはよう…という声が頭に響いて目の醒め切らない西沢は顔を顰めた。

 「あらら…三人お揃いで沈没状態…? 二日酔い…? 」

三人…? 西沢は細く目を開けて後ろを見た。
玲人と…恭介…。 ふたりはまだ…半ば夢の中だ。 ああ…そうだった…。
馬鹿やってる最中に玲人が現れたんで…無理矢理…引っ張り込んだんだ…。

 「酒なんか飲んじゃいないけど…ちょっとゲームを…ね…。 」

欠伸をしながら西沢は起き上がった。 
朝飯…作んなきゃな…ノエルは済ませたのかい…?

 うん…亮が作ってくれた…。 テキスト取りに寄ったんだ…。
亮ね…就職決まったんだって…今日…そこへ呼ばれているらしい…。

 就職…こんなに早く…?
はっ…として西沢は玲人を見た。

 「玲人…夕べはそれを知らせに…? 」

玲人が薄目を開けた。 
そうさ…何度も言おうとしてるのに…聞かないんだもの…。

 「木之内の三人目の御使者か…。 有さん…つらいだろうなぁ…。 
亮くんだけは…普通の生活させたがってたもんなぁ…。 」

滝川が気の毒そうに呟いた。

 「なんだ…みんな起きてんじゃん…。 僕…遅刻するから行くね…。
キッチンにピザがあるよ。
 夕べの残りだけどちゃんとラージ一枚分…チンすれば食べられるよ。
じゃあね…。 」

 まるで言い置きをして出かけるお母さん…ノエルは手を振って出て行った。
行ってらっしゃぁい…寝坊助な三人の子どもたち…ベッドの中から声を揃えて返事をする。

 ノエルが出て行ってしまうと、西沢はう~んと伸びをしてベッドから降りた。
キッチンでコーヒーメーカーをセットしてから浴室へ向かった。

 浴室の鏡に映る自分の姿がいつもと違わないことに呆れる…。
当たり前だけど…。
 天地が引っくり返っても聖人にはなれないな…。
それだけは自信があるぞ…。

 「何見とれてんの…? 」

横からシャワー攻撃…。 
 まだ水じゃん! 恭介…てめぇ…! 
眼ぇ覚めたかよ…?

 その横で知らん顔して泡人間になっている玲人…。
朝っぱらからじゃれるな…! 
急げよ…これから仕事なんだから…。

僕もだよ…11時に撮影予約が入ってる…。

紫苑…原稿出しといてくれ…。
持ってけよ…いつものカルトンの中…。

 どうにかこうにかコーヒーとノエルのピザで朝食を済ませ…出勤組…滝川と玲人を送り出した。
 自営じゃなかったらおまえら絶対即刻首だな…雇う側が面倒見切れんし…。
僕が会社勤めに向かないのと少しも変わんないわ…。
そんなことを思いながら自分も仕事部屋に向かった。

 イラストボードの白い紙面をじっと見つめながら…西沢はまた…お伽さまの姿を思い出していた。
 風渡る竹林のように冴え冴えとした空気を纏いながら…祭祀の時の…白い花弁にほのかに紅差したような…あの何とも言えない艶かしさ…。

 描けるだろうか…?  これまでのどんなテーマよりも難しいかもしれない…。
美しい人…とは思うが…笑顔が素敵な…ごく普通のお兄さん…いや…もうおじさんと言ってもいいのかなぁ…?
 その人に内在する神秘的な魅力を…。
イラストにするには微妙な年齢…もっと若いか…いっそおじいちゃんなら…。
 
あかん…浮かばん…すんなり手が出ん。

 西沢は溜息をついてその場を離れた。テーブルの上のスケジュール表を眺める。
先に仕事を片付けよう…。 そのうち閃くかも知れん…。  



 企業のビルが立ち並ぶオフィス街の中でひと際目立つ如何にも…って感じのどでかいビル…。
ロビーには緑化ウォールやプランター…がまるでインテリアのように美しく配置され、まるでイベント会場のようだ。

 ロビーだけではない…ビル内のありとあらゆるところに植物が植えられてあり、きちんと管理されている。
後で聞いたところによれば…屋上や飾りテラスにも危険のない限り植栽されているのだとか…。
系列企業のほとんどが緑化に力を入れているらしい。

 あの封書が来た翌日に確認の電話を入れた。
採用されたのは…間違いなく亮で…すでに配属も決まっている…という。

 どうなってるんだ…。 夢でも見ているんじゃないか…?
採用試験はおろか…企業訪問だってしていないのに…。
 とにかく指定された日に出向いて間違いを正そう…。
そう思って出かけてきたのだった。

 案内されたのは緑に囲まれた廊下を突っ切ったところにある静かな部屋…。
社外データ管理室特務課…特務課…って何? 何か…社内の離れ小島って感じ…。

 案内のお姉さんが亮の来社を告げた。
どうぞ…という男の声で亮は部屋の中へと入った。

 「ご連絡を頂きました木之内です。 」

 亮は戸口のところでぺこっと頭を下げた。
扉の前で思ったよりずっと広い部屋には幾つものパソコンが並んでいるが…在室しているのは5~6名だった。
こっち来て…責任者と思しき有くらいの年代の男が手招いた。

 男の方に近付くと男は頭の天辺から足の先までまじまじと亮を見た。
ふうん…さすがにきみもモデルさんだけあるね…いいバランスだ。

 「あの…僕が呼ばれたのは何かの間違いじゃないでしょうか…?
僕はまだ…会社訪問もしていないんですが…? 」

 亮は恐る恐る問いかけた。
えっ…?と相手は少し戸惑いを見せた。
大原室長…少し離れたところに居たあごひげのお兄さんが飛んできてぼそぼそと耳打ちした。
責任者は…どうやら大原という人らしい…。

 「いや…間違いじゃないよ…。 きみは何も知らされてないようだね…。
ここは…御使者の集めたデータを分析したり…逆に御使者にデータを提供したりするところなんだ。
 勿論…この部屋のスタッフはみんな御使者だ…。
今居るのは…この仲根の他は内勤スタッフ…外勤スタッフは向かいのビル…に拠点がある。
 きみは内勤スタッフとして御使者に採用されたのさ…。
卒業したらすぐにここで働くことになる。 その前に研修もあるけれどね。 」

 御使者…この企業は…裁きの一族の…。
裁きの一族ってのは…僕が思ってたより…ずっとでっかい組織なんだ…。
じゃあ…同系列の親父の会社もか…?

 「仲根…総代格が戻ってきてるからそっちで話をしよう…。
柴崎…向かいに居るから何かあったら連絡くれ…。 」

 分かりました…柴崎と呼ばれた女性スタッフはにっこり笑って頷いた。
大原室長は、まだ事情がよく飲み込めないままぼんやりしている亮を促して…外勤スタッフの拠点へと向かった。

 ビルとビルはどうやら地下道で繋がっているようだった。
何人かの社員が行き来していた。
彼等は…一般の社員みたいだ…社員全員が一族だなんて有り得ないもんな…ぼんやりとそんなことを思った。

 そのビルも緑に溢れていた。
森の中で仕事をしているのかと思うくらいに…。
 同じように奥まったところにある部屋に外勤スタッフの拠点…言わば一族の調査機関が置かれてあった。
各地域にこのような部署が設けられてあるんだそうだ。
 
 仲根がまず…部屋に入って仲間に内勤の新入りが来たことを告げた。
それほど人数は居なかったがみんなの興味深げな視線が亮に向けられた。
大原室長の後からぺこりと頭を下げながら亮は部屋へ入って行った。

 「総代格…来年度より採用の木之内亮を連れて参りました。 」

仲根の報告する声が聞こえた。
総代格と呼ばれた男は…この部屋の室長らしき女性と話をしていたが…ゆっくりと亮の方に眼を向けた。

 その顔を見た途端…亮はあまりの衝撃に硬直した。
親父…嘘だろ…なんで親父が…?

 有だった…。 今朝…自宅から出勤して行ったばかりの…。
普通の会社員だとばかり思っていた父親が…御使者の総代格…。
驚いて言葉を失った。

紫苑が御使者だということは知ってたけど…親父まで…。

 「固まったな…。 仲根…ほぐしてやってくれ…。 」

有は可笑しそうに言った。
ニタニタ笑いながら仲根は背後から亮の両脇腹を掴んだ。

うひゃひゃ…とんでもない声が飛び出た。
周りからドッと笑いが起こった。

亮は赤面したが…それで気分がやっとほぐれた。

 「総代格は…きみの方がよく知っているな…こちらの方はここの室長では花園さん…。 」

 大原室長はさっきまで有と話していた女性を紹介した。
花園室長は初めて会ったとは思えない懐かしげな微笑を亮に向けた。

 あ…この人なんだ…と亮は感じた。
いつも亮のためになんだかんだとお土産を買ってきてくれたのは…。
亮はそのことには触れず頭を下げた。

 「亮は何も知らされずにここへ来たようですよ…。 」

大原が有に言った。

 「俺ん時もそうだったよ…。 突然…採用通知が来るんだ。 驚くぜ…。 」

有はそう答えた。

 え~そうなんですかぁ…俺たちはちゃんと前以て知らせて貰えたよ…なぁ…と大原は仲根に同意を求めた。
そうですね…と仲根は答えた。 他のスタッフも同意した。

 「ま…俺んちのように潰れかけた家門の人間は…てめぇからさっさと出て来て聞けってことかな…。 」

 そう言って有は声をあげて笑った。
またまた…冗談ばっかり言って…と御使者たちも笑った。
上司と部下というよりは…先輩と後輩みたいな雰囲気だった。

 不意に何かの情報が飛び込んできた。それまでとは打って変わって真剣な顔…。
花園室長が適切な指示を出す…適切かどうかは今の亮には分からないが有がひとつひとつ確認するように小さく頷いているのでそうなんだろうと思う…。

 ふたりのスタッフが飛び出して行った。
花園室長は与えた指示に他家に障るところがありそうなことに気付き…有に指示を仰いだ。
 家門が関わると宗主の名を出さない限り、室長クラスでは話がつけられない。
有は総代格の権限で宗主名を使用する許可を出した。
花園室長はすぐに相手の家長に連絡を入れた。

 信じらんねぇ…親父…結構…偉いさんなんだ…。
亮は眼を見張った。

 この道へ進むかどうかなんて考える猶予もなく…強制的に進路が決められ…亮の新しい生活が始まってしまった。
断って断れないこともないのかもしれないが…これという目的も希望もないままにただ…嫌です…とも言い難かった。

 かつての父がそうであったように…取り敢えず…流されてみようと思った…。
あのふたつの部屋…何となく惹かれる雰囲気ではあったし…。









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続・現世太極伝(第五十五話 罰ゲーム)

2006-08-13 23:38:11 | 夢の中のお話 『続・現世太極伝』
 御大親祀り…御大親とはお伽さまの一族が信仰するこの世界を創造された言わば神さまのことだが…よくある神話などとは異なり人間の姿をしていない。
彼等が祭祀によって語る相手はおそらく太極たちエナジーのようなものだと考えられる。
 この世で修行を積んだ魂は死によって肉体を離れると御大親の御許へ旅立ち…御大親の慈愛に癒された後、再びこの世に戻り修行する。
幾度となく修行を繰り返した後で、磨かれた魂は御大親の中に取り込まれ永遠の安らぎを得る。
 
 確か…そんな内容であったと有は記憶している。
お伽さまの所作は…現代に伝わっている御神道や仏教などの整然とした加持祈祷とはどこか異なっていて、古代のシャーマニズムを思わせるような幻想的な趣があった。

 流麗で何処となく艶かしさも兼ね備えた所作は…厳かながら風雅な舞いでも見ているような快い気持ちで…魂がだんだんに惹きこまれていく…。
唇に唱えられる文言のリズムが身体の芯まで響き渡り…皆を酔わせた。

 特に西沢を魅了したのはその女性のような手の動きで、おそらく…宗主をも虜にしたであろうその表現力は見事と言うより他はない…。

 やがて静かに動きを止めたお伽さまの唇から…穏やかにノエルに向かって幾つもの問いが投げかけられる。
それに対してノエルもゆったりと答えを返す。
知らないようなことばかり口にするので誤魔化しのないことがはっきりと分かる。

 有がそれを書き留め…滝川はノエルの容態を観察している。
大きな力を持っていても使い方を未だにマスターしていないノエルは次第に疲れを見せ始める。
 しかし…祭祀の間は何があろうと近付くことは許されない。
祭主と媒介の命に関わるからだ…。

 それまでの口述によれば…亀石が現在の形に造形されたのは…やはり明日香村にある他の巨石たちが造られたのとだいたい同じくらいの時期…。

 但し…目的が少し異なる。
旱魃や水害などに対する守護として水天を祀ったものらしい…。
水天は雨を降らす密教の神で…西の護りでもある。

 亀石には古くからの伝説がある…。
大和が湖だった頃に湖の対岸同士の当麻と川原の町に喧嘩が起こった。
負けた川原は湖の水を当麻にとられ…湖に住んでいた亀はみな死んでしまった。
 亀を哀れに思った村人達は、亀石を刻んで供養した。
もし…亀石が西を向き、当麻を睨みつけると大和盆地は泥海になる…。
そんな言い伝えである。

 水神ならともかく…密教の水天が祀られるには、年代的に少しばかり早いような気もするが…?
伝説で当麻が川原から水を奪ったというのは…旱魃を意味するのではないか…?
 西を向いて当麻を睨みつけるというのは旱魃の際に、西の水天に雨乞いするためではないか…?
大和が泥海に沈むのは降り過ぎた雨による水害か…?
幾つもの口述を聞きながら…西沢はそんなことを考えた。

 「水天の御座の御霊よ…さらに問う…。
御身はもとより水天・水神の御使いとしてそこに居られるのか…? 」

 お伽さまはさらに過去のことを訊ねた。
するとノエルの口を通じて…亀石はこの形になってまだ間もない…と応えた。

 「我はもとより水天の御座には非ず…。 水神の御使いにも非ず…。
古より…天網たりしものなり…。
災いの芽を摘み…地に安寧を齎す…天授の任に在りしもの…。 」

 石自体の記憶はさらに古い。
天網とは…悪を逃さぬために天が張り巡らしたレーダーのようなものだ。

 天網と聞いて…西沢たちはお互いに顔を見合わせた。
それで…オリジナルの存在をキャッチしてワクチンを覚醒させたのか…。

 現在の形に成形されてから複合的な役割を果たすようになった亀石だが…本来の役目を決して忘れてはいないようで…大和…日本の危機を敏感に感じ取った上で対策を講じたわけだ。

 「水天の御座の御霊よ…。 御大親の名において御霊にお願い申し上げる…。
現し世に災いの芽の多く在りと言えど…未だその主たるものの覚醒を見ず。
 徒に急かれずと…今しばらくお鎮まりあれ…。
時至れば自ずと兆し有り…。 」

 お伽さまはノエルの中の巨石の精霊に向かって丁寧に拝礼した。
亀石はほんの一瞬…間をおいた。

 「諾…。 」

そう答えて…それきり黙した。

 再び…祭祀の文言が唱えられ始め…それは祭祀を滞りなく終えたことの報告と御大親への感謝の文言で締めくくられた。

 お伽さまは深々と御大親に対して拝礼した後…大きくふうっと息をついた。
そして…その場のみんなにあの優しい笑顔を向けて祭祀の終了を告げた。

 滝川が急いでノエルの傍に近付き容態を確認した。
多少…疲れてはいるが御腹の方には特に問題は無かった。

 「滝川先生…。 ノエルを少し横にならせて上げてください…。
せっかくベッドがあるのだから…。 」

 にこやかにそう言ってお伽さまはソファの方に移動した。
玲人が敷物を片付け、西沢が病院の喫茶室に飲み物を用意させた。
 飯島院長の支持で前以てお茶の準備されていたとみえて、喫茶室からはすぐにウェイターがワゴンを転がして飛んで来た。

お疲れさまでございました…と有が声をかけるとお伽さまは軽く頷いた。

 「しばらくは…水天の御座にもお休み頂けることでしょうが…根本的な解決にはなりません…。
万が一…御座が災いの芽と呼んでいるものが覚醒し…人間が破滅の方向へと進んで行くようならば…御座は再び動きます。 
それも…それほど遠い話ではないように思われます…。 」

 運ばれてきたコーヒーで渇いた喉を潤しながら穏やかな口調でそう話した。
対策を急がねばなりませんね…。

 終わりのない戦い…西沢はHISTORIANの話を思い出していた。
ひとつ片付けばまたひとつ新たな課題が生まれてくる…。
次から次へと際限なく現れる問題…彼等は長い時の中でこの苛立つような思いにどう対応してきたのか…?

お伽さまは…何処か焦りの見える西沢の顔をじっと見つめていたが…ふと思い出したように言った。

 「八月…初旬になりそうですよ…。 」

 えっ…? 不思議そうな顔をして西沢はお伽さまを見つめた。
お伽さまは微笑みながら頷いた。

 「御大親の申されるところでは…それほど大事無い…とのことで。 
八月に入ったら…遠出は避けた方が宜しいかと…。 」

分かりました…有難うございます…と西沢は少しばかりほっとしたように答えた。

 「皆から聞いてはいたが…紫苑…あなたは本当に…宗主に似ている…。
同じ血のせいだろうか…顔立ちはまったく違うのに…錯覚してしまいそうだ…。 
本家に生まれていないのが不思議なくらい…。
 木之内…泣く泣く紫苑を手放したあなたの無念が思い遣られます…。 
だが…案ずることはありません…。 必ず良い時が来る…。 」

 お伽さまは有にそう声をかけた。 有は恐縮して少し頭を下げた。
どうやら祭祀の間に御大親は目的の亀石のこと以外にも、お伽さまにいろいろなお告げをされたようだ…。 

しばしの休息の後…目的の仕事を終えたお伽さまは、名残惜しげに西沢たちとの挨拶を済ますと、玲人に送られて機嫌よく帰途についた。


 
 いつも忙しくあちらこちらを飛び回っている有が今日は自宅に戻ると言うので、ノエルは久々に気分転換…有にくっついて亮のところへ泊まりに行った。 
 屈指の名治療師でもある有が傍に居れば、西沢も滝川も安心してノエルを遊びに出してやれる。
ここのところずっと調子が悪くて気が滅入っていたから、何の不安もなく亮の家へ行くことができてノエルはとても楽しそうだった。
  
 「美しい方だった…な。 」

西沢の部屋へ戻って一息ついていた時、滝川が不意にそんなことを呟いた。
お伽さまは少年のような笑顔の持ち主…日頃の精進のせいか…とても若く見える。
お兄さんと言った感じで…。

 居間のソファに寝転がっていた西沢も…ぼんやりとその姿を思い出していた。
そんなに…宗主に似ているかなぁ…みんなに言われるけど…。

 「宗主にも一度お会いしたが…あの方も秀麗な人だ。
ちょっとだけ有さんに似てるところがあって…やっぱり血が繋がってんだな…。
おまえの場合はカタリナお祖母ちゃんの血もかなり影響してるけどな…。 」

 濃い目に入れたコーヒーのカップを西沢に渡しながら滝川は言った。
西沢は半身起こしてひと口飲み、リビングテーブルの上にカップを置いて再び仰向けに転がった。

 「何だよ…元気ないなぁ…。 」

 そう言いながら滝川は西沢の転がっているソファを背もたれにして床の絨毯の上に直に腰を下ろした。

 「疲れた…。 もう…何もかんも放り出したいくらい…。
ぜいぜい言いながら一年以上も駆けずり回って…何の解決も見ないなんて…。
いったい…何やってんだろう…僕は…? 」

 壊れたな…と滝川は感じた。
西沢の方に向き直って膨れっ面した西沢の顔を覗き込んだ。

 「何の解決もしてないってわけじゃない…。 おまえはよくやってるよ…。
おまえが居なけりゃ…とっくに日本中に大騒動が起きているぜ…。 」

 西沢の中に積もり積もった疲れ…吐き出したくても吐き出せない思い…。
自分でもどうしようもなくなる時…滝川だけに見せる顔がある…。
それは…その時々でまるきり違うけれど…他の誰にも見せない顔…。

ノエルじゃないが…紫苑が自虐に走る前に何とかしてやらないと…。

 西沢が無力な自分自身に怒りを向け始めている…。
滝川は両手でそっと西沢の頬を包み込む。

 「罰ゲームしよう…紫苑…。 
おまえがおまえ自身を許せないのなら…ね。 」

滝川がそっと囁くように言った。

罰ゲーム…ねぇ…。 
滝川の唇が触れる…喉にではなく…西沢の唇に…。

悪ふざけ…すると…殺すよ…。

ゲームだよ…紫苑…。
怒ってもいい…泣いてもいい…何をしてもいいから…遊ぶんだ…。
赤ん坊になって甘えちゃってもいい…。

遊ぶ…?

そう…素のままで…馬鹿をしよう…。
誰も居ない…おまえと僕だけ…何したって叱られやしない…。
何でもできるぜ…好きなように…。

写真…撮らない…?

うふ…まだ覚えてたか…。
撮らねぇよ…。

それじゃ…恭介の好きそうな…対戦ゲームといきますか…?

おやぁ…随分と過激…!

 闇の帳の中で…ふたりきりのゲームが始まる…。
邪魔するものなんて何もない…。
その一瞬だけ…胸の中に詰ったごちゃごちゃのすべてを…きれいさっぱり忘れ去るために…。

 その瞬間さえあれば…いつものおまえに戻れる…。
紫苑…忘れてしまえ…嫌なこと…哀しいこと…すべてを…。









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続・現世太極伝(第五十四話 お伽さま)

2006-08-12 15:30:00 | 夢の中のお話 『続・現世太極伝』
 遅番の後輩にあれこれと仕事の引継ぎをして、亮は久々に早めの時間帯にロッカールームに引き上げた。
帰り支度をしていると不意に谷川店長が顔を覗かせた。

 「ノエルの調子はどうよ…? 変わりない…? 」

 梅雨に入る前に体調を崩しかけたノエルは大事をとって書店のバイトを辞め、今は父親の店だけを手伝っていた。

 「まあまあみたいですけど…滝川先生の話じゃ…やっぱり相当身体に負担がかかってるみたいで…かなり早産になるんじゃないかって…。 」

そうか…心配だな…。 

 この店でノエルの身体のことを知っているのは亮と同族の店長だけだったから、もうひとりの後輩が出勤してきたところでその話はおしまいになった。

 まだ日の沈む時間でもないのにあたりはまるで夕闇の中…。
止むことを知らないかのように降り続く雨…。 

 いつだってこの季節は気が滅入る…。
紫苑のマンションへ出入りするようになってからは少しはマシになったけれど…やっぱり食欲がわかないなぁ…。

 弁当の入ったコンビニの袋を片手に亮は家へ戻ってきた。
こういう日は紫苑のところで一緒に夕食を食べた方がいいのかもしれないけれど…気分的に落ち込んでいるとそれも何だか億劫で…ただ家に帰って寝たいだけ…。

 傘の雨を掃い、溜息を吐きながら郵便受けを覗くと厚めの封書が眼に留まった。何だろう…と思いながら手に取った。
 差出人のところに…俗に一流と言われる企業の名が書いてあり…亮にとっては父親の勤め先の系列企業ということ以外に何も思い当たることがなかった。

 封を開けてみて驚いた。
採用通知…手続き書類等が入っていた。

 なんだこれ…? 何の冗談…? まだ一社も受けてないよ…。
誰かの悪戯かなぁ…?

 亮は封筒のあちこちに眼をやった。
ひょっとしたら悪ふざけの跡があるかもしれないと思った。
…が書類は本物らしく内容は真面目そのもの…。

 きっと受験した何処かの学生の宛名と間違えているんだ…。
同姓同名とかで…さ…。
 なんで僕の住所を知ってるのか謎だけど…。
明日にでも会社に問い合わせてみよう…。
リビングテーブルに封書を置いたまま、亮はさっき買ってきた弁当を温め始めた。



 学校から戻ってきてからノエルはずっと横になっていた。
仕事に行くはずだったのだが駅に着いた途端、急に御腹が張り出してそのまま動けなくなった。
 張りが治まるまで動けないから遅刻する…と駅から連絡を入れた。
このところあまり調子が良くないことを知っている智哉が心配して、仕事はいいからそのまま家へ帰れ…と勧めた。

 学校と仕事の両方では身体がついていけなくなってきているようで…学校のある日は仕事を休ませた方がいいかもしれないなぁ…と西沢は思った。
智哉とも相談して学校のない日だけ店に行かせることにした。

 本当はずっと家に居させた方が安心なのだろうが…ノエルの場合じっとしているとフラストレーションが溜まってイライラのもと…ドクターストップはかかっていないから…まだ閉じ込めるわけにいかない。

 「早く出てこないかなぁ…御腹の内側から風船膨らまされてる感じで気分悪い。
胃もすっきりしないし…。 時々…蹴りが入るし…。 」

 ノエルは儘にならない身体に苛立ちを覚えている。
何しろ人一倍暴れたいタイプ…動けないのはつらい…。

 よっこらせ…ノエルはやっと起き上がった。
ちょっと楽になった…。
まだ少し…しんどいのかもしれないが…西沢には笑顔を見せた。

 「仕事の邪魔してご免ね…紫苑さん…。
僕…大丈夫だから…。 もう…仕事に戻って…急ぎでしょ…? 」

 何か…作るね…。
そう言ってノエルは御腹を擦りながら…キッチンの方へ向かった。

 「お晩で…。 」

ノエルの様子を気に掛けながら西沢が仕事部屋に戻ろうとした時、不意に玲人が姿を現した。 

 「珍しいことに…お伽さまから御文を預かってきました。
宗主ではなく…お伽さまから御使者に…というのは…前例がありませんな…。 
ひとつは先生に…ひとつはノエル坊やに…。 」

 僕に…? ノエルが怪訝そうな顔をした。
ノエルは自分が内室の一族の出だということを知らないから、御使者でもなんでもない自分が手紙を貰うだなんて信じられなかった。  
  
 西沢宛ての手紙には亀石の力のもとを調べて欲しいとの依頼になかなか応えられなくて申し訳なかったと詫びの言葉が最初に綴られていた。

 本来は現地に行って亀石の前で祭祀をするべきなのだが…観光地の上に人気のあるスポットでとても祭祀など行えるような場所ではないため…遠隔地からのアクセスになる。
 彼の地には力を持つ巨石や遺跡…霊廟などが点在するため邪魔も多い…。
ついては是非…奥方の力を拝借したい…。

 そんな内容の依頼の文章が丁寧に認められていた。
西沢は頭を抱えた。
お伽さまの依頼は宗主の依頼と同じ…命令されたのと変わりない…。

 なんてこと…ノエルを…媒介にするつもりなのか…?
今のノエルには…とても無理だ…。

 「お断りするしかない…。 この頃…ノエルの体調があまりよくないんだ。
媒介能力を使うのは普通の場合でも体力を消耗する。
今の健康状態ではとても…お受けできない…。 」

 断る…? 玲人が眉を顰めた。 お伽さまは残念に思われるだろう…。
坊やほどの媒介能力者は…そんじょ其処らには居ないからな…。

 無理なものは無理…御腹の子どもにどんな障りがあるか知れやしないし…ノエルの身体が心配だ…。
ノエルは初産だし…普通の女性の身体じゃない…何が起こるか…。

 「紫苑さん…。 大丈夫だから…。 心配しないで…。
玲人さん…。 お受けしますと…お伽さまにお伝えして…。 」

 ノエルが西沢の言葉を遮るように言った。
玲人の様子から…断れば西沢の立場がなくなる…そう気付いていた。

 「ノエル…僕のことはいいんだ…きみの身体が…。 」

ただいま…と背後から滝川の声が近付いてきた。
滝川はその場のみんなの雰囲気に何となくとげとげしたものを感じとった。

 「どうしたんだ…? 」

 西沢がどうにもやり切れぬという表情で手紙を渡した。
滝川はざっと手紙に目を通した。

 「う~ん…難しいところだなぁ…。 
お伽さまの家門の祭祀は一度も見た事がないのでどの程度のものかよく分からん。
産んでしまった後なら何の問題もないんだが…。

 紫苑…少しでも影響が感じられたら即…中止。
有さんと僕が同席して…勿論おまえも立ち合うってことでどうだ…?
もし…我儘言えるなら…場所を飯島病院の特別室にでもして貰うとか…。 」

飯島病院…特別室…? 三人が同時に聞き返した。

 「そうさ…あの部屋なら防音装置つきだし…広いし…何かあれば病院の中だから即応できるし…な。 」

滝川は以前西沢が入院していた部屋をよく覚えていた。

お伽さまがうんと言いなさるかどうかは別として…ノエルのためにはいい場所かも…。

 「ノエル…本当にいいのか…? 
今だって相当につらいのを我慢してることくらい僕にも分かる…。
前にHISTORIANの媒介をした時だって大変だったじゃないか…? 」

 西沢は不安げにノエルを見た。
ノエルはそれを払拭するように微笑んだ。

 「子ども産むのも紫苑さんのためだけど…このお務めも紫苑さんのため…。
目的は同じだから…それでいいんだ…。 」

 もし…赤ちゃん…だめになっちゃったら…紫苑さん…僕のこと嫌いになっちゃわないかなぁ…って…そのことが心配なだけ…。
笑顔を見せながら…胸のうちでそう呟いた。

 早速…条件付で承るとご返事申し上げよう…玲人は飛んで帰って行った。
相庭…そっくりだ…と西沢は思った。

 玲人がどのように伝えたかは分からないが…お伽さまからは快く条件を呑む…と返事が来た。
西沢は早速…飯島院長に特別室の使用を申し込んだ。
 先客が居なかったこともあって院長はあっさりと承諾してくれた。
勿論…特別室と名がつくくらいだから入院費も桁外れだが…それで安全にことが運べば安いもの…。
空いている部屋を貸すだけで特別料金が入るわけだから…病院側としても文句のつけようがなかった。



 夜が明けていないんじゃないかと思われるくらい…陰鬱な天気の中…玲人に案内されてお伽さまは現れた。
 宗主より少し若いという話だから40近いのだろうが…まるで少年のような笑顔が印象的で所作の美しい人だ。
宗主のいい人…と言うからにはもっと女っぽい人を想像していたのだが…凛として清々しい。

 有の話では重要な役職をいくつもこなしているスーパーマンだそうで…異なる家門の主流の出身者でありながら裁きの一族の長老格として他の長老衆からも認められたほどの実力者…単なる愛人さんではない。

 互いに型通りの挨拶を済ませると玲人がお伽さまの指示通り床に敷物を広げた。
対座の形をとるのだが、お伽さまはノエルの身体を気遣って、ノエルをソファに座らせたまま、自分だけが敷物の上に直に腰を下ろした。

ノエルの背後に椅子を並べた状態で西沢、滝川、有、玲人が並び侍る形をとった。
有は治療師としてというよりは御使者会議の総代表格として、祭祀の記録をとる手筈になっていた。
 
 「お伽さま…。 」

 祭祀を執り行います…とお伽さまが言いかけたその時…ノエルが恐る恐る声をかけた。
はい…何でしょう…? 
お伽さまは小首を傾げてノエルの顔を見た。 

 「僕の御腹に子どもが居ることは忘れてください…。
祭祀に支障をきたしては僕が媒介を受けることにした意味がない…。
どうか…御存分に…。 」

 ノエルはしっかりとした口調で言った。
お伽さまは穏やかに微笑んで…分かりました…と答えた。

 西沢の胸が痛んだ。
滝川も有も…玲人さえも…唇かみ締めた。
どうか…無事に…と誰もが思った。


皆の祈るような視線の中で…今…祭祀は始まった…。








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続・現世太極伝(第五十三話 性に合わない…。)

2006-08-10 23:02:00 | 夢の中のお話 『続・現世太極伝』
 奈良の御使者たちから上を通じて連絡を受けたのはそれから間もなくだった。
亀石を調べてみたが呪文使いの細工の後はない。何が人間に影響を及ぼしているのか見当もつかない…と。

そう…でもね…ベテランの御使者に分からないことは…僕にだって分からない…。
誰にともなく…そう呟いてみる。

 調べ始めてほぼ一年…潜在記憶保持者や発症者への対処方法を考え…遺跡にかかった呪文を解いて…それでこの件でのお役目は終わるはずだった。

 だって…あとは雲の上の人たちの話…議員も官僚も西沢の手の届かない存在…。
そこから先は公に携わっている御使者やエージェントにバトンタッチ…。
 彼等だって…他国のことまではどうしようもないから…我国のトップたちが妙な気を起こさないように見張っていることぐらいしかできないだろう。

 核のボタンを押さないように見張る役目は…核を保有している国の…HISTORIANのような国際的能力者集団…にお任せするしかない…。
運良く…そこにそういう人たちが居ればの話…だが…。

 インターネットで検索した亀石の画像を睨みつける…。
この亀さんができたのは…明日香村の他の石たちの年代から考えても…せいぜい1500~2000年くらい前…。
 三宅の呪文のかかった遺跡が一万年以上前に作られたというのが事実なら…巨石であるということの他には共通するものがない。

 う~ん…亀さんのようなカエルさんのような…不思議な顔だ…。
甲羅があるから…亀さんなんだろうなぁ…。

 世の中が悪くなると亀石が動いてだんだん西を向いていく…。
真西に向いたら大和が沈む…。 大和を日本と置き換えると…日本沈没…だ。
 最初が北で…今現在…南西を向いている…ってことは世の中が乱れるたびに少しずつ動いていく終末へのタイマー…或いは…環境や国内及び国際情勢悪化度を示すバロメーターなんだよな…多分…。
スイッチじゃなくて…さ。

 三宅が呪文をかけて他の巨石が目覚めた時に…こいつは敏感に感じ取った。
思い出せ…過去を…。

 えっ…。

 西沢の脳裏にチラッと閃くものが在った。
急いで奈良の御使者に連絡を取った…とは言っても直にはできないので上を通じて呼び出した。
急ぎの時に面倒くさい!…直でいけるように談判しよう…。

 「大ちゃんと呼ばれた人は…どちらの潜在記憶保持者だったか分かりますか…?
ほんの少しでもいいんです…彼の記憶を覚えていますか…? 」

西沢はそう訊ねた。

 『う~ん…僕はあまり読みは得意じゃないんですが…。
確か…造反…国を乱した…みたいなことを口走っていましたね…。 
あと…平和…安寧…ですか…。 』

 ワクチンだ…。
過激で目立った行動をとるオリジナル系に比べてワクチン系の潜在記憶保持者がいやに鳴りを潜めていると思ったんだ…。
亀さんがひとりで頑張ってたんだから…少ないはずだ…。

 三宅の呪文でオリジナルが目覚め…それに敏感に反応した亀石がワクチンを目覚めさせたんだ。
オリジナルを封じて…安寧を保つために…。
亀さん偉い…!って褒めてる場合じゃないぞ…。

どうやって自然に反応した亀さんにお休み頂くか…?
下手したら…亀さんは西を向いてしまう…。
こんな世の中だから…向きたくなる気持ちも分からないじゃないんだが…。

 

 この前と同じように会議室の末席に座って、西沢は騒然となっている代表格たちの様子をじっと見つめていた。
亀石が自分の意思で…というか亀石をこの世に生み出した者の意思でワクチン系を目覚めさせている…というところまでは良かったのだが…亀石の力を止める方法となると誰も心当たりがなかった。

 地元の御使者の調べで、この力は呪文使いの業ではないことは分かっている。
亀石が単なる記憶媒体であるならば…その記憶を消せばいいが、万が一、祈祷の力や霊力であるならば専門家に任せるしかない。

 裁きの一族は祖霊を敬い大切にはするが…どちらかと言えば宗教性の薄い家門なので封印はできても…鎮める…という行為は専門外である。
亀石にどういう祈りの力が込められているかも分からないまま封印して、逆に怒りを買って西を向かれちゃ堪らない。

 「お伽さまに調べて頂こうか…? 」

総代格のひとりが提案した。

 あ~ぁ…離れの大将なら何か分かるかもしれないね…。
そうそう…もともと御祭主だからな…。
代表格たちが口々に西沢の知らない人のことを話した。

お伽さま…離れの大将…御祭主…誰だ…そりゃ?
胸の中で呟いた。

 宗主のいい人だよ…。 他の一族から宗主の登録家族になった方でな…。
桁外れに凄い祭祀能力を持っているんだ。
性格も穏やかで優しい人で…あの人のことは誰も悪くは言わんよ…。
西沢の隣に座った有くらいの年恰好の代表格がそっと囁いた。

 ふうん…宗主にも内室の他にいい人が居たんだ…。
僕の浮気癖は…案外…宗主と同じ主流の血から来てるのかもね…。

 クスクスッとお隣さんは笑った。
読心力に優れているらしく…いとも簡単に西沢の心を読む。
西沢が別段…警戒していないからだが…。

 亀石のことは…結局…そのお伽さまの判断を待つことになった。
お伽さまは忙しい方らしく、即日というわけにはいかないので、後日、西沢にも結果を知らせてくれるということだった。

 会議の終わりがけに…庭田の動きについて御使者長から話が出た。
宗主の許へ協力の要請が来た…という内容だった。
庭田の言わんとするところも分からぬではないが…時期尚早…いま少し様子を見ようというのが宗主の見解だった。

 そう…麗香の考え方に異論を唱えるわけではないが…HISTORIANを完全に国内から追い出すには…相手がぐうの音も出ないような決定的とも言える理由がなくてはならない。
 今回の件だけを以って、出て行けと詰め寄り、悪戯に騒ぎ立てれば極端に排他的であると思われるだけで、こちらに何ら利はない。
 何しろ…すでに官僚の中にまで入り込んでいる組織である。
出て行く際にはできるだけ穏便に出て行って頂かないと…後々に響く…。
能力者同士で争っても得るものは何もないんだから…。
 
 

 会議なんてものはつくづく性に合わないと思う。
会社勤めでなくてよかった…。 3日ともたねぇな…。
全身の筋肉ががちがちに強張って自分の身体じゃないみたいだ…。

 そんなことを考えながら…まるで泥でも浴びてきたかのようにごしごしと全身を隈なく洗い流した。
湯船に浸かってやっと身体中のごわごわが溶けていくような気がした。

 タオルで頭を拭き拭き…そっと寝室を覗くとベッドのど真ん中でノエルが寝息を立てていた。
隣で滝川が添い寝をしていた。
西沢の顔を見ると、滝川はノエルを起こさないように静かに部屋の外へ出てきた。

 「今夜は少し御腹が張ったようで…しんどそうだった。
普通ならこの時期にはまだ…こんなに頻繁に張るようなことはないんだが…。
予定より出産が早いかも知れん…それもかなり…。 」

 滝川が心配げな顔をしてノエルの様子を報告した。
西沢は分かったというように頷いた。

 「亀さんの方はどうなった…? 」

 西沢は会議の様子を話して聞かせた。
普通なら他家の滝川に話すようなことではないが、滝川は宗主から認められて特別な扱いを受けている。
御使者である西沢と行動をともにするように要請されている。 

 「お伽さまか…僕もまだ…最近耳にしたばかりだが…。
宗主より少しだけ年下だ。
 評判は悪くないな…真面目で一途で…仕事もできる。
宗主夫妻が若い頃から眼をかけて可愛がって育ててきた男らしい。 」

 長老格になってから滝川の情報量がさらに増した。今まで知らされなかった情報まで入手できるようになったからだ。
西沢本家からは情報らしい情報を得ることができない西沢にとって滝川の存在は外に向かって開けられた窓と言ってもよかった。

 「とにかく…上から何か知らせが来るのを待つしかない…。
お伽さまの力だけが…今は頼りってことだ…。 」

 お伽さま…ねぇ…。
おまえがあっちこっち気が多いのは…やっぱりあの宗主と同じ血を引いてるってことかもな…。
滝川がニヤッと笑った。

 あ…おまえもそう思うか…?
さっき僕もそう思った…御使者仲間には笑われたけど…。
西沢は可笑しそうに言った。

自分で言ってりゃ世話ないぜ…と滝川は苦笑した。

 いつもと変わりないふたりの楽しげな会話に混じって窓の外でぽつぽつと雨の降り出す音が聞こえた。
やがて…それはザァザァと大きな音を立て始め…嫌な季節の到来を告げるようにどんどん勢いを増していった。

 朝から暗い雲に覆われた梅雨のある日…その知らせは突然届いた。
ひとつは亮の許に…。
そして今ひとつは西沢の許に…。








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続・現世太極伝(第五十二話 不思議な石)

2006-08-08 23:18:46 | 夢の中のお話 『続・現世太極伝』
 三宅が知る限りでは周りに他家の呪文使いは居なかったというから…亀石に細工した業使いが居るとしてもこの地区のスタッフではなかったのだろう。
 それにしても三宅にほとんどの遺跡を任せておきながら、亀石だけ他の呪文使いに担当させるというのも解せない話だった。
しかも…三宅が呪文を解いたということは計画の中止をも意味するのだろうに、今なお、亀石だけが放置してあるというのも頷けなかった。

 亀石近辺での異変は、まだ初期の頃に滝川が目撃しているから、他の遺跡の異変とほぼ時を同じくして始まったとみていい。
状況から判断すれば同一犯人の仕業と考えて間違いないのだが…。
 ただ…いくらHISTORIANが無責任でも自分たちの墓穴を掘りそうなものをいつまでもほかっておくだろうか…?

 いや…もう完璧にお手上げ状態…。
西沢は頭を抱えて突っ伏した。

 特使だなんて…やっぱり…向かない…。
位なんかいらないんだ…自由にさせてくれ…。
背中の翼が疼いて…どこかに飛んで行ってしまいたくなる…。

 解いて…封印を…。 

 突っ伏した西沢の首に不意に柔らかな唇が触れた。
くすぐったいよ…。

 「お帰り…恭介…。 いやに早いご帰還じゃない…? 
仕事じゃなかったんだ? 」

 滝川は答えない。
こういう時の滝川は壊れている証拠…。
好きなようにさせてやる。

…があんまり先に発展しそうな時はストップをかける。
場合によるけど…。

 「恭介…そこまで…。 何があった…? 」

和の…実家へ行ってきた…突然…連絡があってな…。
ストップかけられても一向に動きは止めないが口は開いた。

もう…供養には来ないで欲しいと言われた…。

 「来るなって…おまえ…和ちゃんの正式な夫だろうが…? 」

 実家は代替わりで…和の兄貴夫婦が後を継いだようだけど…兄貴と和とは血が繋がってないんだ。
和が早くに実家を出て僕と暮らし始めたのもそのせいだったんだが…お義母さんが兄貴に気を使って…もう…これきりにと…。

 位牌は僕が持ってる…供養もそれなりにしてる…。
けど…亡くなった時に分骨したから…実家でも供養してくれてるものと思ってた。
 だから…毎年…命日辺りに実家にも顔を出してたんだ。
それも…あちらにとっては迷惑だったようだ…。

 和の部屋はリホームされて無くなってて…和の写真だけが仏壇の隅っこで小さくなってた。
和の形見に…とお義母さんが実家においてあった金のブレスくれたけど…あまりに細くてな…僕が着けるには輝にでも頼んで継ぎ足して貰うしかない…。

 亡くなってからも…和がこんな扱いされているのを見ると…切なくて…。
生きてるうちに…うんと大切にしてやればよかった…僕がもっと早くに売れてたらなぁ…。

 もっと良い思いさせてやりたかった…。 
モデルだった女なんだから…服も靴も…いいものを使わせてやりたかった。
大好きだったアクセサリーだって…今なら…好きなもの買ってやれるのに…。

 「おまえは十分大切にしてたぜ…。 貧乏してたけど夫婦仲めちゃ良かったじゃないか…和ちゃんいつも幸せそうだったよ…。
 恭介がな…何でもしてくれる…有り難いわ…って嬉しそうに何度も何度も笑って言ってた…。
何から何まで世話をして…最後までちゃんと看取って…。 」

紫苑…墓に布団は着せられずって…本当だなぁ…。
滝川の頬を涙が伝った。 

 「それ…親孝行の話じゃないか…? まあ…いいけど…。 
ね…ちょっと…恭介って…おい…怒るよ…。 」

 怒れなかった…。 
今の恭介は…ばらばらになったブロックみたいなもの…。
組み立て直すのに少しだけ時間が必要…。
 仕方ねぇなぁ…しばらく付き合ってやるよ…。 
但し…妙なことしたら即絞め殺すからな…。



 もう一度…あの手紙を思い返してみる。
ポイントポイントにパズルの断片を嵌め込みながら…。

 「なぁ…恭介…亀石のところでおまえが目撃した時に…何か…他と変わったようなところはなかったか…? 」

 変わった…ところ? 
ようやく脳内ブロックの組み立ての完了した滝川が頭を掻きながら起き上がった。

 「変わったところねぇ…? 現象的にはさほど…。
敢えて言えば…あの亀の形が一番造形的な感じがするかなぁ…。
三宅が呪文を使った巨石の写真をいくつか見たんだが…亀石はそれらに比べると時代がずっと若そうに思えたな…。 」

形…時代ねぇ…そいつは問題にならんな…多分…。

紫苑…。
滝川の唇が再び西沢の喉を狙う…。
 
 はいはい…いい年して甘えん坊さん…そういうとこ子供だよな…おまえ…。
僕の方がずっと年下なんだってこと忘れてないかぁ…? 

 紫苑…おまえこそ感覚ずれてないか…? 甘えてんじゃなくて…愛してんの…。
紫苑が可愛くて堪んないわけ…特にその喉が…さ。

 あ…時間切れ…残念でした…。
愛の語らいはまた今度ということで…。 

 何だよ…それ…気い抜けちゃうなぁ…。
いいよ…どうせな…おまえはいつだって他所ばかり向いてんだから…。
だいたい僕を袖にしておいてからに…玲人に手を出すなんてのはだな…ん…?
他所を向く…ん~? 

突然…何かを思い出したように滝川は眉を顰めた。

 「…紫苑…。 ひとつあるぞ…。 」

何が…?
西沢は訝しげに滝川の顔を見た。

 「他の遺跡との違いだよ…。 動くんだよ…この亀…。 」

亀が…動く…?
あのでっかい石がぁ…?

 「そう…。 この亀…最初は北に向いていたんだそうだ。
いつだかの地震で東に向いて…その後…いつの間にか勝手に回転して南西に向いちゃったんだそうだ。 」

勝手に回転した…?
生きてんのかよ…あの亀…?

 「それもな…あの亀石がもし西を向くようなことがあれば…大和盆地に大洪水が起きるって言い伝えがあるそうなんだ…。 」

 大洪水…場所を限定してはいるが…確かに…洪水伝説だよな…。
しかも亀は徐々に西に向かって回転してる…。
つまり…滅びに向かって時を刻んでいるってことだ。

 「誰かが細工したのではなくて…亀石自体が力を持っているんだろうか…?
だとしたら…なぜ急に人間に力を及ぼし始めたんだろう…?
 なあ…恭介…? 
石は…話せると思うか…? 石同士…或いは何か他のものと…。 」

う~ん…と滝川は唸った。
話せるかどうかは…分からんが…。  

 「石には不思議な力があるという話はよく聞くな…。
最近でも…パワー・ストーンなんかがよく売れているそうじゃないか…。
 それに…呪いのかかった宝石を手にした者が次々不幸に追い込まれるって話は昔からあるぜ。
 業使いでも水晶を使う類の者も居るから…石というのは侮れん存在かもしれん。
特に水晶なんかは持ち主の心を記憶するっていうぜ…。 」

 記憶媒体…亀石が記憶媒体だとして…人々に滅びを知らせるために西を向くのか…それとも西を向くのは滅びを招くためのスイッチなのか…。
亀じゃないけど…どっちを向いても謎だらけだ…。
西沢の脳裏を目まぐるしく考えが巡った。


 
 スミレちゃんから貰ったサンドビーズのデカクッションを、楽しげにクニクニと玩んでいたノエルが突然…あっと声を上げた。
驚いたような顔をして御腹を押さえた。

 「動いたよ…。 紫苑さん…。 今…ぐにゅぐにゅって…。 」

 えぇっ…ほんとか…?
西沢が急いでノエルの傍へとやって来た。

 「うん…一瞬だったけど…。 
何かこう…ここんとこで僕じゃないものが動いたんだ…。 」

 それは…不思議な瞬間だった。 自分の中で自分じゃないものが動く…。
ノエルは前に気の赤ちゃんを生んでいるけれど…まったく違った感覚を覚える。
御腹の中で動くのはエナジーじゃなくてちゃんと身体を持った赤ちゃんなのだ。

 「ねぇ…本当に生きてるんだね…。 僕のここに居るんだね…? 」

 ノエルが信じられないといった表情でゆっくりと御腹を擦った。
そうだね…と西沢も嬉しそうに微笑んだ。
楽しみだなぁ…ノエルのプレゼント…待ち遠しいよ。

 それを聞いてノエルの顔がいっそうほころんだ。
そう…これは紫苑さんへの大切なプレゼントなんだ…。
紫苑さん…ずっと欲しがってたもんね…。

 待ってて…紫苑さん…もうすぐだから…。
もう少し…あと…ほんの少しだから…。








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続・現世太極伝(第五十一話 胸騒ぎ)

2006-08-06 23:32:55 | 夢の中のお話 『続・現世太極伝』
 先が決まらない不安というのはどんな場合にでも付いて回るものだが、初めて社会に出るとなるとやはりこれまでとは違い特別なような気もする。
 これといって目指すもののない亮にとって、進路を考えるのはひどく難しいことのように思えた。
仲間たちが積極的に訪問する会社を選んでいくのを見ていると、取り残されそうで焦りだけは増すのに、かと言って何をしたいという目標もなく手当たり次第訪問するのも躊躇われた。

 勿論…好きな仕事で食べていけるなんて人は、ほんの一握りに過ぎないことは分かっている。
生きて暮らしを立てていく為には、選り好みなんかしてられないんだから…何処かに就職しないとなぁ…。

 紫苑はいいなぁ…と亮は思った。 いろいろな天分に恵まれていて…さ。
同じ血を引くとは思えないくらいだ…。

 男性モデルは女性モデルほど注目されないし、どんなに見た目が良くっても向こうから仕事の依頼が転がり込んで来るほど美味しい世界じゃない。
まめに売り込んで採用されてなんぼだが…そんな中で引退した今でもなんだかんだ依頼が来るほど利用価値の高い容姿と独特の雰囲気を持ってるし…世界的な賞をいくつも受賞した天才イラストレーターだし…そこそこ人気のエッセイストだし…。

 亮も時々玲人の斡旋でモデルをするが、それを本職にできるほどではない。  
自分で仕事を取る必要が無いだけ恵まれてはいるが…それは自分がそれほどモデルという仕事に執着していない証拠なのだろう。
本気だったら自分から仕事を取りに出かけるはずだ…それも必死で…。

 新学期が始まってから…ずっとこんな調子で憂鬱な気分。
間もなくやってくるだろう大嫌いな雨の季節がさらに追い討ちをかけないようにと願っていた。

 「なに…それ…? あ…もしかして…腹帯ってやつ…? 
おまえがやってるとまるでその筋の方が腹に巻くさらしだね…。 」

亮はノエルの御腹に巻かれた白いさらしを見て笑った。

 ほっとけ! これしてないと…先生に叱られるんだから…。
最初…ベルト式のやつ買って貰ったんだけど…蒸れちゃってさぁ…気味悪いの。
これだったらさ…誰かに見られてもやくざ映画のファンって言っときゃいいし…。

 「但し…巻く場所が微妙に違うんだよなぁ…。 」

そう言ってノエルは溜息をついた。
夏は…堪んないよね…これ…暑くてさ…。

 「お母さんになるのも大変だね。 でも生まれたら仕事どうすんの? 」

 僕は仕事先が実家だからさ…母さんと紫苑さんの協力でなんとか続けられる…。
西沢家が随時ベビーシッターを派遣してくるらしいし…。
そう考えると恵まれてるね。 

 「跡取りだからなぁ…いつまでも女やってるわけにはいかないんだよ…。
おちびさんが出てきたらすぐに男に戻んないと…さ。 」

 そっかぁ…でもいいよ…仕事が決まってるんだからさ…。
いま…それが最大の悩みなんだ…。



 悩み…と言えば…このところスミレが時々メールをくれるのだが…ほとんど世間話に近いような内容ばかりで…愚痴ひとつ書いてないのがかえって痛々しくて気にかかる。
 大きな志を抱く姉を助けるためにどんなにか大変な思いをしているのだろうに…差し障りのない話で言葉を濁している。
それでもきっと話し相手が居るだけで気の晴れることもあるのだろう。
結構まめに送ってくる。
 
 まるで旅行先から絵葉書を送るかのように、その土地その土地で写した画像を入れて…何処其処の祭りが勇壮だったとか…何某の城が秀麗だったとか…そんな内容の話ばかりだが…西沢にはスミレちゃんがその土地の有力な家門と話し合いをするために出向いた報告だということが察せられる。  

 無論…スミレではなく天爵ばばさまの代理庭田智明として訪問するわけだから、門前払いを食わせるような一族はないだろうし、どの家門も表向き扱いは丁寧だろうが、歓迎はまったく期待できないと言っていい。

 ただ…スミレの折衝手腕には侮れないものがあり、完全協調とまではいかないものの一考には価するという判断を相手に抱かせることは想像に難くない。
 その上に何か強力に後押しする者があれば、さらに有利な展開を期待できるものを、それがないということが返す返すも残念だった。

 庭田は名門ではあるが、能力の特殊性から普段関わっている相手が能力者ではなく、普通の人たちであるがために横の繋がりにやや欠けるところがあり、同じように特殊性を持っていても、能力者相手の裁きの一族は縦横に巨大なネットワークを持っている。
庭田が裁きの一族の協力を得たいと考える理由はまず第一にそこにあった。

 さらに庭田には戦闘系の能力者がほとんど居ない。
この由緒正しいお告げ師の家系は護身には優れていても対戦には向いていないようで、三宅を誘ったように時々外部から新しい力を導入する。
以前の三宅なら役には立たないが、須藤から学んだ今は結構使えるかもしれない。
 力のある能力者が少なくなっているこの時代にあって、裁きの一族の能力者たちは粒揃いである。
三宅級の能力者ならごろごろ居る。
戦力不足の庭田にとって喉から手が得るほど欲しい人材を多数保有していた。 
 
 そうした中にあって、スミレはどちらの能力にも優れている数少ない族人で、備わっている能力からすれば姉の麗香をはるかに凌ぐものがあった。 
 スミレはゲイだけれど女になりたいわけではなく、自分は完全に男だけど男が好きというだけなので、あの大袈裟なオネエ言葉は半ば演技である。
 姉である麗香に気を使って、傍からスミレの方が天爵ばばさまに相応しいと思われないためにしていることだが…本人は周りを煙に巻いて結構面白がってるようなところがある。
 特に西沢に対しては、実に可愛いオネエ振りを見せてくれる。
かつての西沢にとってスミレは恋人麗香と切っても切り離せない存在で…心から可愛いと思える人だった。

 イラストボードに描かれた美しい薔薇の園…それは現在の庭園ではなく過去の幻影…。
最早…絵の中にしか存在しない永遠の時間…。

 数枚描いたイラストのうち、依頼の趣旨に最も合うと思われるものを二枚選んで西沢はカルトンの中に入れた。
間もなく玲人が取りに来るだろう…。

 

 それは…御使者のひとりが遭遇した不思議な出来事だった。
三宅が呪文を解いたことで、何か突発的なきっかけがなければ発症者が出ることはないと思われていた。
 
 その御使者はたまたま地元の商店街を歩いていた。
久々の休みを利用して遊びに出ていたのだが、お茶でも飲もうと入った喫茶店で妙な会話をしている三人連れの年配の客を見かけた。

 それがさぁ…ちょっと前にほら…みんなで奈良へ遊びに行っただろ?
そんで大ちゃんがでっかい亀の石の前で急にぼけぇっとなったもんだから、こりゃ頭の血管でも切れたんじゃないかって大騒ぎになったじゃないか…?

おお…そうだった。 そんで…その後大ちゃんはよ…?

 それが…しばらくはよかったんだが…この頃そのぼけぇがぶり返してよ。
奥さんが慌てて医者へ連れて行ったんだが…どこも悪くないんだってぇのよ。
 それでも…人が変わったみてぇにぼ~っとしてたかと思うと突然家を飛び出して行っちまうってから、絶対どこかおかしいに違いないわなぁ…。

やぁ…それは困ったもんだなぁ…。

 御使者はその話をしていた年配の客から情報を読み取ると、早速、大ちゃんと呼ばれている男の家へ行ってみた。
当然…普通の家へ正面切って入れるわけもないから…その男が飛び出してくる瞬間を辛抱強く待った。

 無論…ひとりでは見張りきれないので同じ地域の御使者に応援をたのんだが…男は3日目に飛び出した。
後をつけると塾帰りの少年に飛びかかろうとしていた。
御使者は男を抑えつけて指示通り潜在記憶の消去を行った。
 同時に少年からも恐怖の記憶を消した。
男は正常に戻り家へ帰って行った。

 御使者の調べでは、大ちゃんと呼ばれたその男が仲間と奈良へ出掛けたのは、三宅が呪文を解いてからのことで、すでに何処の遺跡でも発症者は出ていなかった。
 奇妙に思った御使者は上に報告し、この件は次回の御使者会議でも扱われることとなった。
即日…西沢の許には、この問題について調査されたし…という依頼が上から届けられた。

 西沢は久々に三宅に連絡を取った。
よほどのことがなければ、庭田の人となった三宅に直接会うわけにはいかないので電話をしたのだが…。

 「そう…奈良だよ。 
奈良の巨石…亀石だけ呪文を解き忘れてないか…確認したいんだ。 
もし…解き忘れなら…至急解いて貰いたいんだけれど…。 」

西沢がそう言うと電話の向うで三宅が言葉につまった。

 『奈良と言われても…西沢さん…僕は奈良の亀石には呪文をかけていないんですけど…。 』

今度は西沢が言葉を失いかけた。

 「何だって…? じゃあ…奈良の件はきみじゃないのかい…? 」

ええ…と三宅は言った。

 『亀石は作られた年代がはっきりしませんし…周りが指定より新しい遺跡ばかりなので…やめたんです。 
指定は一万年以上前の巨石と言われるもの…でしたから…。 』

西沢は絶句した。

三宅の他にも使われた呪文使いが居るのか…?
そいつは…まだ…HISTORIANと行動をともにしているんだろうか…?

予知の苦手な西沢だというのに急にざわざわと胸騒ぎを覚えた。
それは容易には治まらなかった。






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続・現世太極伝(第五十話 脅迫と嫌がらせ)

2006-08-04 21:47:00 | 夢の中のお話 『続・現世太極伝』
 かつて大予言が書店に並んだころ…二十世紀の終わりには世界が滅亡するようなとんでもない事が起きるのだと書物や雑誌やTV番組などで騒がれていた。
二十一世紀に入っても地球は変わらず回っている。
 あれはアメリカでのテロを示していたのだ…などと後からこじつけたようなことを主張する人もいるようだが…本当のところは書いた本人が生き返りでもしなければ分からない。

 そうした予言のブームは繰り返しやってくるようで、最近では麗香が話の中で触れていたフォトン・ベルトに関する書籍やネイティブ・アメリカンのホピ族などに伝わる人類への警告、国内の能力者が受けたというお告げなど、さまざまな予言書が書店の目立つところに並んでいる。
 
 西沢は予知が苦手だから、それらの予言が真実か否かについては分からない。
しかし…選ぶべき道を誤ると滅びに向かってまっしぐらだ…ということは太極や五行の気たちとの付き合いから確信している。

 その点からすれば…国内の能力者を統率して大事に備えようという麗香の考えはあながち間違っているとは言えない。
ただ…家門の壁を乗り越えてすべての能力者が協力し合うのは至難の業だ。
 友人関係とか仲間関係とか…そういった個人的な繋がりはあろうが…長い歴史の中でも…普段まったく付き合いのない族間の協力関係が曲がりなりにも成立したのは前回の事件が初めてだと言える。

 眼の前に人類滅亡が迫っている…危急存亡の秋(とき)というので、家門の長たちが裁きの一族の号令の下、迅速に動いた結果だが…今回の場合は勝手が違う。

 近い…と言ってもいつそうなるのか予測できないことのために備えようというのだから、長たちの間にはまるっきり危機感や緊迫感がない。
 無論…予知やリーディングの力を持つ能力者を抱える家門もあるが…たとえ…何分何秒というところまで分かっていたとしても、パニックを懼れて外部には情報を漏らさない。
 こうした状況では、必要とは分かっていても、人というのはなかなかすんなりとは動かないものだ。
もし…宗主が快く口を利いたとしても事はそう簡単には進むまい…。
麗香の苦労が眼に見えるようだった。



 長時間の作業で凝り固まった筋肉をほぐすかのように、西沢は天井に向けて指を組んで腕を伸ばし、腰掛けたままでう~んと背伸びをした。
 
 よっしゃ…終わり…やっと寝られるぞ。

そう言えば……天爵ばばさまの潜在記憶は綺麗さっぱり消されていたな…。
あれだけ完全に消すことができるのは…自分で意識して消した証拠だと思うが…。やはり…ふたつの魂を持つというのは本当の話なのかなぁ…?  

 大きな欠伸をしながら西沢は寝室へ向かった。
空気の入れ替えで開け放した窓から雪が振り込んでいた。
いつの間に降り出したのか…気付かぬうちに寝室は冷蔵庫なみに冷え切っていた。

 慌てて窓を閉めたがそのまま眠るには寒過ぎた。
暖房をつけたまま眠るのが嫌いな西沢は毛布を取って居間へ移った。
居間のソファに寝転がってうつらうつらし始めた。

暦の上ではとっくに春だってのに雪だなんて…ノエル…御腹冷えないかなぁ…。
滑らないと…いい…けど…。

そんなことを思っているうちに…ゆっくりと瞼が重くなっていった。

 どのくらい経ったのか…寝室の方でガラスの割れる大きな音がした。
西沢は飛び起きて寝室へ駆け込んだ。
ここは三階だというのに窓ガラスは外から何かの力を受けたに違いなく、部屋の中へと飛び散っていた。

 玄関のチャイムがけたたましく鳴った。 
どんどんと扉を叩く音がした。

急いで扉を開けるとマンションの管理人…花蓮おばさんが立っていた。

 「大丈夫? 西沢さん! 今ね。 外で掃除をしてたら車が停まってさ。 
車の窓が開いた途端に西沢さんとこの窓ガラスが飛んだのよ。
 どっかのその筋が部屋を間違えたんと違うかしら…。 
この辺り…何人か住んでるらしいから…勿論…ここには居ないわよ。
警察…呼んどいたからね…。 」

 えっ…警察…厄介だなぁ…と西沢は内心思ったが…ここは花蓮おばさんの親切に礼を言うしかない。
 
 警察が来る前にもう一度そっと寝室を覗いてみる。
外からガラスを砕いた物がなければ…この件は西沢の自作自演にされてしまう可能性がある。
能力者は普通…物なんか使わないから…。

 ふと振り返って天井を見ると小さな穴が空いている…。
何を使ったんだろうなぁ…? 

 警察が到着してからの調査で銃撃されたことが分かったが、その後の調べで使われた銃が何処だかのその筋の人を襲ったのと同じだったとかで、花蓮おばさんのご意見が正しかったことを裏付けた。

 花蓮おばさんが車種や車にあったへこみ傷を覚えていたため、犯人は即刻逮捕されたが、西沢の部屋の窓を銃撃したことなど全然覚えてなくて、警察は狙う場所を間違えたのだろうと判断した。

 何を…って人間を使ったわけね…。
やってくれるじゃないか…。
僕の貴重な睡眠時間を潰した罪は重いよ…。

 窓の修理代だって馬鹿にならないぜ…。
それに部屋中飛び散ったガラスの欠片…どうしてくれるわけ…。
倍にして返すから覚えとけ…。

 そう…西沢には真犯人に心当たりがないわけではなかった。
天爵ばばさまの元恋人…その誼で協力するなよ…という警告…。

馬鹿野郎…人を甘く見んなよ!

 花蓮おばさんが連絡したのかどうか…窓が粉砕されたことは立ち所に西沢本家に伝わり…西沢自身がまだ頼んでもいないというのに、本家から依頼された各方面の職人さんたちが飛んできて、何もかもがあっという間に新しくなった…ガラスの粉にまみれたベッドカバーまで…。 

 有り難いと言えば有り難いのだが…この齢になっても相変わらず監視が付けられているということの表れでもあった。



 桜の季節が終わる頃…やっと安定期に入ったノエルとまだ道を見つけられないままの亮はとうとう最終学年に突入した。
 胎児が小さいことと治療師である滝川がノエルの食事に留意してくれるのとで、外から見た限りではそれほど身体の変化は目立たない。
 構内での護衛役を仰せつかっている亮を除けば大学の友人たちは誰も気付いていなかった。

 三階の住人にお知らせを届けに来た管理人の花蓮おばさんは、西沢の部屋の前をウロウロしている妙な男に気付いて、さっきから様子を伺っていた。

 「どなたかに御用ですか…? 私はここの管理人ですけど…。 
部屋をお探しならお連れしますよ…。 」

 おばさんは男に声をかけた。
男は驚いたようにおばさんを見たがニタニタと笑いながら近付いてきた。

 「私はこういうもんですけど…。 」

おばさんに名刺を渡した。
聞いたことのない社名で何処だか分からないが特ダネ雑誌の記者のようだった。

 「管理人さんですよね…? いや…実はね…西沢紫苑がこの部屋に可愛い男の子飼ってるって噂がありましてね…。 」

はぁぁ…誰のこっちゃろ…? 
おばさんは首を傾げた。

 「なんかの間違いと違います? 西沢さんとこにはご本人と奥さん…時々ご兄弟やお友達たちが居なさるだけですよ。 」

奥さん…? 記者は怪訝そうな顔をした。
奥さんが居るんですかぁ…?

 「あ…丁度帰ってきたわ…。 ノエルくん…お帰り…順調…? 」

あ…花蓮さん…まあまあだよ…。
ノエルは御腹をさすって見せた。

 「え…この人は…? えぇ…? 」

記者がますます困惑げな顔をした。

 「西沢さんの奥さん…去年結婚しなさったばかり…この秋に二世誕生予定…。
どこでそんな話を聞いたのか知らないけど…通常は奥さんが居るか…お友だちの滝川先生が入り浸ってるだけだわね…。 」

何の話…?
ノエルが戸惑ったように訊いた。

 「きみ…本当に女の子…? 西沢に飼われてる男の子ってきみじゃないの? 」

男はねめつけるような眼でノエルを見た。

飼われてる…どういう意味だよ?
ノエルは無性に腹が立ってきた。

 「失敬な…飼われてるわけじゃないよ。 猫じゃ在るまいし! 
何…この人は…? うちに何の用なわけ…? 」

大声出した途端…御腹に異常が起きた。
 あ…あっ…花蓮さん…紫苑さん呼んで…御腹が…変…。
御腹を押さえて蹲った。ぎゅうっと締め付けられるような感じがした。
管理人のおばさんは慌ててチャイムを鳴らした。

 「大変よ! 西沢さん…ノエルくんが…。 」

西沢が血相変えて玄関から飛び出してきた。
蹲ってるノエルに駆け寄り、そっとノエルの御腹に触れた。

 「あの男がね…ノエルくんがあなたんちに飼われてるなんて言うもんだから…。怒って興奮しちゃって…。 」

おばさんが早口で説明した。
西沢はノエルをそっと抱き上げ、男の方に怒りの顔を向けた。

 「妻に何を言ったか知らないが…大事な時なんだ。
話があるならアポをとって僕に直接言ってくれ。  」

身体の大きな西沢に上から睨みつけられて男はたじたじになった。

西沢は花蓮おばさんに礼を言うとノエルを連れて部屋に戻った。

 「あんたね…。 万が一流産なんてことになったらただじゃ済まないからね。
早くここから出てってちょうだいな…。 」

おばさんは男を追い立てるように言った。

 ノエルはしばらく居間のソファに横になっていた。
ぎゅうっと絞られるような感覚は少しずつ治まってきた。
 305号に居た滝川が急ぎ戻って来て、ノエルの様子を診たが、安定期から先にはよくある収縮で、安静にしていれば大事無いことが分かった。

 「学校では寝転がれないけど…できるだけじっと安静にしてるんだよ。
ひどくなったり、全然治まらなかったり、出血したりなんてことが起きたらすぐにでも飯島先生のところへ行くんだ…。 」

 滝川は不安そうな顔をしているノエルにそう指示した。
部屋に来る途中で滝川がおばさんからさっきの男の名刺を受け取ってきた。
渡されたその名刺を西沢はじっと見ていた。

 「こいつは…多分誰かにガセ掴まされて…特ダネ拾いに来たんだろう。
こいつ自身に他意はない。

 これは僕に対する嫌がらせだ…。
この前が脅迫で…今度が嫌がらせ…三宅が天爵ばばさまについたのは僕の差し金だとでも思っているんだろうよ…。 」

西沢は苛立たしげに言った。

なるほどね…あいつらか…。
あんまり紫苑を刺激しないで欲しいんだけどな…と滝川は思った。
本気で怒ったら止められないんで…。

 「ノエル…ごめんな…とばっちり受けたな…。
奴等…何を仕掛けてくるか分からないから…これから先も十分気をつけて…。 」

 西沢はそっとノエルの髪を撫でた。
大丈夫だから…と西沢を安心させるためにノエルは笑って見せた。
胸の内は不安でいっぱいだったけれど…。








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続・現世太極伝(第四十九話 残り香)

2006-08-03 10:43:00 | 夢の中のお話 『続・現世太極伝』
 家門に属する特殊能力者にとって従うべき最高の権威は家長・族長である。
生まれながらに族人である西沢は、特使として許されているお務めの範囲外では、直に他家の家長からの依頼を受けるわけにはいかない。
 如何に元恋人の頼みであっても、それはそれ、これはこれ…。
宗主の命令なしには独断では動けない。

 西沢の場合は事情がかなり複雑である。
西沢家の養子だから本来は西沢家の養父に従うべきなのだが、西沢家よりもはるかに家格が上の裁きの一族の本流の血を引くことから西沢の方が養父よりも格が上になり、宗主に直属することになる。
 特使となった今では養父の方が西沢に従わざるを得ない立場だが…西沢は黙したままでこれまでと変わらない待遇と生活に甘んじている。

 庭田家は裁きの一族に負けず劣らず名門ではあるが、それだけに宗主の一族とは微妙な関係にある。
西沢の返答ひとつでとんでもない事態に発展しかねない。

 「それには…答えられない。 答える権限がない…。 」

ひとつ大きな溜息をついてから西沢はそう言った。

 そうよ…ね…麗香の表情が落胆に曇った。
気安く…声をかけた私が悪かったわ…。
麗香は非礼を詫びた。

 壁ができていた。とてつもなく大きな壁が…。
最早…あの頃の西沢とは違う。
 内面に秘められた無垢な魂…もう麗香には垣間見ることすらできない…。
長年の間に幾重にも施錠された心の奥底に仕舞われたまま…。

 閉じ込められた籠の鳥は…いつの間にか鋭い嘴と爪を身につけて…いまや能力者として顕要な位置にあり…そのひと言が大きな意味を持つ…。
ただ…飛び立つための翼だけが未だ封印されたままで…。

 誰も望まないんだわ…この男が翼を広げることを…。
それはおそらく…誰にとっても脅威だから…。

 「悪いことを言ったわ…。 私事ですべき話じゃなかった。
つい懐かしくて身内のように思ってしまった…。

 今は…忘れてちょうだい…。
縁があれば…そのうち上から何か知らせが行くわ…。 」

 寂しげに微笑みながら麗香は言った。
西沢も頷いた。

 お互い胸の中に残る火は消えてはいない…それは感じられる。
だからと言ってもう過去には戻れない…。

 「あ…ねぇ…紫苑ちゃん…泊まっていけるわよね…? 
紫苑ちゃんの好きだったもの…全部覚えてるんだから…私…。
今頃…家の料理人が腕によりをかけて奮闘してるはずよ。
 話したいことがたくさんあるんだもん…。
ゆっくりしてって…。 」

 智明…スミレがその場の空気を取り繕うように明るく言った。
西沢は切なく微笑み…首を振った。

 「せっかくだけど…帰るよ…。 仕事があるんだ…。
ふたりに会えて嬉しかった。 もう会うこともない…と思っていたからね…。 」

西沢は立ち上がると麗香に向かって深々とお辞儀をした。

 「お邪魔致しました。 天爵ばばさま…どうか御身お大切に…。 」

あなたもね…と麗香も軽く頭を下げた。

西沢はちょっとだけ智明に笑顔を向けると静かに部屋を出て行った。

 「お姉ちゃま…いいの? 行ってしまうわよ…紫苑が…。 
あんなに待ってたんじゃないの…? 」

いいのよ…と麗香は背中を向けた。今にも泣き出しそうに肩震わせて…。

ん…もう…意地っ張り! 
智明は西沢の姿を追うように部屋を後にした。

 馬鹿だったわ…久々に会えたのに…あんな話するなんて…。 
恋人との再会には…向かなかったわねぇ…。



 薔薇の園の真ん中をゆっくりと西沢は歩いていた。
決別した過去とは再会するもんじゃない…な。
懐かしいだけで終わりゃしない。

 「待って…紫苑ちゃん…。 」

スミレが後を追ってきた。

 「もう…せっかちね。 食事だけでもしていってくれればいいのに…。
お姉ちゃま…そわそわしながら朝からずっと待ってたんだから…。 」

そう言って唇を尖らせた。

ごめん…と西沢は呟いた。

 「…いろいろ相談したいこともあったのよ…。
お姉ちゃまは若くして天爵ばばさまになってしまったから…心開いて話ができるのは私だけなのね…。
 そりゃあばばさまに仕える人たちは頼りになる良い人ばかりよ。
でも…それはお仕事上のことで私的に付き合えるってわけじゃないの。
個人的な話ができないっていうのは…寂しいものよ…。

 私だって…ひとりで支え続けるのがつらい時も在るわ…。
こんな時…紫苑ちゃんが居てくれたらって何度思ったか知れやしない…。 」

 スミレはちょっと洟を啜った。
何処の誰に何を相談することもできず…まだ学校を卒業したての頃からずっと麗香を支えてきたスミレの心の中には相当に鬱積したものがあるに違いない。

 「ねえ…スミレちゃん…。 気付いただろう…?
麗香さんはもう…天爵ばばさまとしてしか僕に接してこられないんだよ。
僕も同じだけど…。
 この長い年月の間に…僕等…そういう鎧で身を固めてしまったんだ。
悲しいことだけど…どうしようもない…。 」

それは…分かるけど…。

 花園の終わりを告げるゲートが見えてきた…。
西沢はそっとスミレの手を取った。

 「あの日もこうやって見送ってくれたよね…。
ねえ…スミレちゃん…西沢紫苑としては多分…二度とここには来ないだろうけれど…スミレちゃんは時々…愚痴を言いに来ればいいよ…。

 メールでも電話でも…直接…訪ねてくれてもかまわないけどさ…。
僕にできる…精一杯の協力…。 」

そう言って西沢はスミレの手を軽くとんとんと叩いて笑顔で頷いてみせた。

 スミレは涙を浮かべながらも少しだけ嬉しそうに微笑んだ。 
ありがとう…元気でね…紫苑ちゃん…ここでお別れ…。
でも…きっとまた…すぐに会えるわ…。



 マンションの地下の駐車場に車を入れて、エレベーターで三階へ…往復2時間あまり運転したとは言え…堪えるほどでもないだろうにやたら疲れていた。

 玄関に入った途端に思わず上がり框に腰を下ろした。
俯いてふ~っと大きく溜息をついた。

 驚いたノエルが飛んできた。
心配そうな声が頭の上から響いた。

 「紫苑さん…大丈夫…? 気分悪いの…? 」

 大丈夫…心配ないよ…。 ちょっと疲れちゃって…。
西沢はノエルに微笑みかけた…つもりだった。
ノエルはじっと西沢を見つめながら、そっと指で西沢の頬を拭った。

 悲しいことが…あったんだ…?

かもな…西沢は軽く頷いた。

 呼び出しを受けて…懐かしい人に会いに行ったんだ。 
9年も前に付き合いのあった人で…今更どうこうって気持ちはなかったけど…思い出話のひとつもしたかった…。

 だけど…僕等は最初からお役目の話しかできなかった。
どうしようもないくらい…お互いに…自分の話をしなかった。
 聞きたいのはそんな話じゃない…言いたいのはそんなことじゃない…。
あなた自身のこと…僕自身のこと…。

何を期待していたんだろうね…。

 そうなることは…百も承知のはずだったんだ…。
お役目の話だって…分かっていたのに…。
スミレちゃんがばばさまから直接に聞けと言ってたんだから…。

 ノエル…過去なんか振り返るもんじゃないなぁ…。
時を越えたい…ほんの一瞬でいいから…と愚かにも望んでしまった…。

 ノエルはそっと西沢の肩を抱いた。少しだけ薔薇の香りがした。
好きだったんだね…その人のこと…。 

 「ねぇ紫苑さん…お風呂沸いてるよ…。 ゆっくり浸かっておいでよ…。
きっと…楽になるから…。 」

 そう…洗い流して消してしまえばいい…。
その人の香りともども…過去の思い出なんか…綺麗さっぱり…。

 「御腹空いてる? お雑炊作ってあげようか…? 」

そうだな…忘れてた…。 

じゃあ…お風呂の間に作っとく…ゆっくりね…。

 西沢がバスルームに行ってしまうとノエルはキッチンで野菜を刻み始めた。
西沢の心の奥底にノエルの知らない女が居て、別れて9年も経っているのに未だにしつこく西沢を呪縛している。

気に入らない…。

 御腹に胎児が居るせいかノエルの感情が少し女性的になっている。
普段なら輝と西沢の濡れ場を見たって嫉妬の気持ちも湧いてこないのに…。

馬鹿みたい…女に嫉妬するなんて…。
それも…大昔の…さ。

自分でも儘ならない感情に苛立つ…。 
理由もなく不快…。

これも…赤ちゃんのせいかなぁ…? 

 飯島院長には毎回いろいろな注意点を聞かされているが、普段が男のノエルには他人事のようで…自分にそれが当て嵌まるなんて思ってもみなかった。
まだ御腹も小さいし実感がわかない…。悪阻がなかったら自分が妊婦だとは絶対思えないほど。

 その苛々はベッドに入ってからも治まらなかった。
溜息と寝返りの繰り返し…。
疲れの慢性化している西沢はすぐにうとうとし始めたから…なるべく邪魔しないように少し離れた。

もう…どうしよう…? あいつ等が出ると面倒だから散歩も行けないし…。

背を向けて…ひと際大きく溜息を吐いた時、ふいに西沢の手が御腹に触れた。 

 「起きてたの? 」

振り返って西沢を見た。 
窓から射す月明かりで西沢が笑っているのが見えた。

 「今ね…ここに居るよ…。 あ…逃げちゃった…。 」

西沢は子宮の羊水の揺り籠に浮かぶ胎児の位置を感じ取っていた。

 「なんて名前…付けようかなぁ…。 」

きみと僕の血を引いているんだから…間違いなく暴れるな…。
龍…とか…拳とか…?

 クスッとノエルが笑った。 カンフー映画のキャラじゃないんだから…。
気が早過ぎるよ…紫苑さん…。 それに…女の子だったらどうすんの…?

う~ん…それは考えてなかった。 僕の兄弟は男ばかりだから…なぁ。

じゃあ…考えといて…僕…寝るから…宿題だよ…。

 ノエルはそっと西沢に寄り添った。西沢が優しくノエルの髪を撫でた。
心臓の音が聞こえる…。
眠りを誘う命のリズム…温かい身体…。

もう…あの香りはしない…。

 終わったことなんかどうでもいいじゃない…?
紫苑さんは今…確かに僕の傍にいる…僕を見ている…。

過去より今…そして未来…。









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続・現世太極伝(第四十八話 過去との再会 )

2006-08-01 17:09:00 | 夢の中のお話 『続・現世太極伝』
 薔薇の香る庭園の中を西沢は玄関を目指して歩いた。
車寄せに乗り付ければ使用人が車を駐車場に運んでくれるが…昔のように…駐車場から続く見事に手入れされた庭園を眺めて歩いてみたかった。

 冬というのに乱れ咲く薔薇の香りが…遠い思い出に向かって再び戻ってきた西沢を温かく迎えてくれるようでもある。

 玄関のチャイムを鳴らすや否や扉が開かれ…顔見知りのメイドが懐かしげに微笑んだ。
変わらないな…まるで時間が止まっていたかのような気分になる。
時と共に多少は模様替えされたところがあっても…流れる空気は同じ…。

 「紫苑ちゃん…お帰りなさい! 」

 スミレの大きな声が響いた。嬉しそうに階段を駆け下りてくる。
西沢は笑いながらスミレに手土産を渡した。

 「やだ…気い使わせちゃったわね…。 
まあ…これお姉ちゃまのお好きな銘柄のワイン…覚えててくれたのねぇ…。
ひと昔近くにもなるのに…。 」

 感激したスミレは大はしゃぎで西沢の腕を引っ張った。
お姉ちゃまが首を長くして待っていらっしゃるわ…。

 スミレが連絡してきたのは夕べのことだった。
急で申し訳ないんだけれど…お姉ちゃまの都合がついたので明日来てくれない…?
そんな内容だった。
 ばばさまの突然の呼び出しは今に始まったことではなく…あの頃も同じだった。
ばばさまは我儘を言っているわけではなく…こちらの都合が悪ければ断ればいいだけのこと…後から別の日を指定してくる。
仕事の切りもよく急ぎの予定もなかったから西沢はすぐに了解した。

 この薔薇の洋館はプライベートな場所で、お告げ師の仕事をするのは別の場所にある本宅の方…。
仕事のない時はここでのんびりと過ごすのがばばさまの習慣だった。 

 その部屋はプライベート中のプライベート…家族でもばばさまの許可がなければ入れない場所…7~8年…いや9年ぶりか…。

 扉の向こうで薔薇の君は艶然と微笑んでいた。
西沢の姿を見ると立ち上がって両腕を広げた。 

 「紫苑…ちょっと見ない内にずいぶんと磨きがかかったじゃないの…?
惜しいわ…モデル辞めちゃったんでしょう…? まだまだこれからなのに…。 」

 相変わらず輝いてるね…麗香さん…眩しいくらいだ。 
西沢の言葉に満更でもなさそうに満面の笑みを浮かべる。
長い間の空白などなかったかのようにふたりはキスを交わした。

 「困った坊やだわ…ふらっと居なくなったりして…。
後悔してるのよ…ここで暮らしなさいなんて…言わなきゃよかった…。
あなたは…閉じ込められることに…心からうんざりしてたのよね…。 」

 うんざりしながら…それでも僕は…今でも西沢の鳥籠の中だよ…。
もし…麗香さんの傍に居たとしても…鳥籠の種類が変わるだけ…他は何も変わらない…。
 変わらなければ…あなたを恨んでしまう…。
恨むよりは…どうせなら…ずっと好きでいた方がいいじゃない…だから…さ。

 「それだけじゃない…私のため…庭田のために身を引いてくれたわ…。 」

 くすっと西沢は笑った。 そんな御大層なことじゃないよ。
あなたが僕に近付けば…得をするのは縁も所縁もない西沢家…それじゃぁ…名門庭田家としては周りに示しが付かないでしょ…。
今のあなたなら問題にもならないけど…あの頃はまだばばさまになったばかりだったからね…。

 「どちらにしても…終わったこと…古い話さ…。 」

 お姉ちゃま…お茶をお持ちしたわよ…。
扉の向こうからスミレの声がした。

 使用人を近づけないようにしている…と西沢は察した。
よほど重要な話か…。

 スミレが部屋の中へとワゴンを押してきた。
英国風に並べられたサンドウィッチやケーキ類…濃い目のミルクティ…。

 「紫苑ちゃんは…コーヒーの方がよかったのよね。 」

そう言いながらスミレは小さめのポットからコーヒーを注いだ。

 「スミレちゃんもよく覚えてるじゃない…。 」

当たり前でしょ…私がお給仕なんかするのは後にも先にも紫苑ちゃんだけなのよ。
誰が他の人にお茶淹れてあげるもんですか…。
  
 「そりゃぁ光栄だ…。 僕…ちょっと幸せかも…。 」

あら~嬉しいこと言っちゃって…。

 「スミレ…あなたもここへお掛けなさいな…。 」

まあ…お邪魔じゃなくて…?

 「大事な話なのよ…しばらくは…智明に戻りなさいね…。 」

はい…心得ました。
スミレ…智明は言われたとおりソファに腰を下ろした。



 何から話すべきか…迷うところだけれど…最近世界的に異常な現象が起きていることは周知の通り…。
預言者の中にはこれをフォトン・ベルト(光子の帯)のせいと言って憚らない人たちもいる。
 彼等は…2012年に太陽系がこのフォトン・ベルトの中にすっぽり入ってしまう為にアトランティス大陸やムー大陸が沈んだのと同じくらいの大災害が起きると考えているわ。

 書店へ足を運んで御覧なさい…いっぱい本が並んでるから。
どなたかの予言だとか…お告げだとか…。

 科学的には何の根拠もないことだし、フォトン・ベルトなどというものの存在さえ否定されている。
 けれども…フォトンがどうのこうのという以前に、過去から現代に至る幾人もの預言者が、近いうちに世界的にとんでもない大災害が起きるということを予知していることだけは確かなの。

 お告げ師である天爵ばばとしてではなく…私的見解を述べておくと、なんだかんだ言っても…すべては人間が引き起こしたことよ。
後に起こることは、破壊し尽くされた天地の怒りと考えた方が当たってるわ。 
予知・予言の類から宗教的な部分をすべて取り除いたとしても…人間は遣り過ぎた…そういうこと。

 できる限り被害を防ぐために世界中が眼を向けなければならないのは、大災害が起こる前に少しでもこの星の病気を回復させておくことだったのに、今の状況では病気はますますひどくなっていくばかりだわ。
あらゆる場所で火種が熾っている。 あらゆる場所で破壊が続いている。

 それを防ぐという目的で…火をつけようとする連中を抑えこむためにHISTORIANが世界中を監視している。
あの手紙から察するにそういうことが言いたかったのよね…。
だから…この国の力ある者は手を貸してくれと…。

 でも…彼等のやり方は納得できない。
私から見れば…もともと他国から来た連中が、この国の中枢部の人間を操って、世界を護ることを建前に、自分たちと意見の異なる者たちを潰していってるように思えて仕方ないの…。

 彼等が三宅にしたことを見たでしょう?
世界平和大義名分の下に恋人の死を尊い犠牲として正当化させたのよ…。
おまけに自分たちがその発症のきっかけを作ったくせに、発症者たちを見捨てて助けようとさえしなかった。

 あなたみたいな…ちょい抜けのお人好しが居なかったら、事態は悪化、大混乱が起きていたかもしれないわ。
HISTORIANの失敗の後始末にいいように利用されたってわけね…紫苑。

 この国を護ってやるだなんて綺麗ごとを述べても…彼等は自分たちの考えを押し付けて好きなように動かそうっていうだけのことよ。
その上…結果的に何が起きても彼等は責任を取らないわ…。

 こういう世の中だから…これが悪だなんて言い切ることは難しいけれど…悪は悪の顔を持っているとは限らない。
いい顔している連中は疑ってかかった方がいいのよ。

 彼等だけに任せておいてはいけないわ…。
この国に危機が訪れているなら…私たち自身が動かなければ…。
 これまで我国の能力者はほとんどがそれぞれ独自に行動してきたわ。
最近になって裁きの一族がやっと重い腰を上げたけれど…統率者として動くならもっとはっきり主張すべきだわね。

 「裁きの一族は…統率者ではない…。
あくまで…裁定人の分を超えてはならない…それが宗主の考え方だ。
裁定人と統率者が同じであることの危険性を思えば…当然のこと。 」

 それまで黙って麗香の話を聞いていた西沢が突然口を開いた。
これまで聞いたことのない厳しい口調に麗香も智明きも少なからず驚いた。

 「私的見解とあなたは言った。
ならば…僕も私的立場として答えることにする。

 僕はHISTORIANに助力も協力もした覚えはない。
彼等とは会って話もした。 確かに…助力してくれとは頼まれた。
事の成り行きで僕の身内が彼等を助けたこともある。

 けれども、この騒ぎの原因をつきとめて解決を図ろうとしたのは、彼等の依頼を受けたからではない。
僕の命を救ってくれた大勢の人々…自分がいつどうなるか分からないような状況に置かれている人々のためだ…。
もし…彼等の依頼がなくても僕はその人たちのために動いただろう。

結果的にHISTORIANの思惑通りになったからと言って、彼等のために尽力したと思われるのは心外だ。 」

まるで…別人…。 ふたりは瞬時…呆然と西沢の顔を見つめた。

 「やだ…紫苑ちゃん…そんなにマジにならないでちょうだいな…。
お姉ちゃまは裁きの一族や紫苑ちゃんの悪口を言ったんじゃないのよ…。 」

 智明…言葉! 
あ…はい…気をつけます…。 

 「怒ってるわけじゃないよ…。 麗香さんが言いたいことも分かるんだ。
誰かが主になって国内の特殊能力者たちをまとめ、外来の勢力に対抗していかないと、いざという時に自分たちが本当に護りたいものを護れなくなってしまうということだろう…? 」

 そうよ…だって御覧なさい…。
あいつらのお蔭でこの国では人々がワクチンとオリジナルに分かれて戦う羽目に陥るとこだったのよ。
お互い協力すべき時に…分裂させるだなんて…とんでもない行為よ。

 「それには僕も同感だ…。 」

 だからね…紫苑…私はこの国の特殊能力者をまとめて、この国のことはこの国の者で護ると言えるくらいの強力な組織を結成しようと思うの…。

 それには裁きの一族の協力が必要なのよ。
彼等がうんと言わなければ…能力者は誰も賛同しないわ。
それにもうひとり…すべての能力者たちから絶大な信頼を得ている特殊能力者…その人の支持も重要なの…。

あなたも…協力してくれない…?
英雄さん…。








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