パリ・オリンピックが開幕した。開会式の映像を見ていて、初めてエッフェル塔を見た時の鉄骨の幾何学模様の美しさに感動したことを想い出す。
凱旋門前ではツール・ド・フランス閉幕のパレード走行の映像と重なった。半月間に亘って、およそ3,000Kmを3,000m級の山々を越えながら走り抜いた色とりどりのジャージーがシャンゼリゼ通りに凱旋する姿は誇りに満ちている。
最も短いタイムで走った選手はマイヨ・ジョーヌと呼ばれる黄色いジャージーを纏い、チームメートとシャンペングラスをかざす。日本ではまず無理なフランス人の洒落た感覚だと思う。
頭の中でパリオリンピックがツール・ド・フランスにすっかり置き換わっている。
今年のツールはオリンピック開催の関係で6月27日にイタリアのフィレンツェをスタートし、最終日の21日はパリへのパレードではなくモナコからニースへの個人タイムトライアルだった。
パリでのオリンピック開催は100年ぶり。ツールのスタートがイタリア、閉幕がパリ・シャンゼリゼでなかったのは121年(111回)の歴史で初めてのことだという。
はて、100年前はどうだったのだろうと調べてみた。
1924年のパリオリンピックは、5月4日から7月27日まで開催され、1924年ツール・ド・フランスは7月1日から7月19日までの全6ステージ、総距離2,428kmで行われている。
何とツールはオリンピック開催中にパリにゴールしていたのだ。今回、伝統に終止符を打ち、2つの世界規模のイベントの衝突を避けたということだろうが、IOCの〝ぼったくり男爵〟の「オリンピックが全てに優先する。」という傲慢な姿勢が浮かぶ。
東京大会で提起された様々なオリンピックの課題は無かったかのように日本の報道はいつものように「国別金メダル獲得競争」に集中している。
今年のツールは記録的なことの多い大会だった。総合優勝はスロベニアのタデイ・ポガチャルだったが、イタリア一周のジロ・デ・イタリアも優勝しており、1998年のマルコ・パンターニ(イタリア)以来の史上8人目のダブルツール達成の快挙だった。
マルコ・パンターニの名前が懐かしい。山岳を得意とし、スキンヘッドとバンダナ姿から〝海賊〟と呼ばれ愛され、好きな選手だった。
酸素を運ぶ血中ヘモグロビン濃度が体質的に高いことからドーピングの疑いがかけられ、潔白を訴えるが力尽き、疑惑が晴れないままイタリアの山奥のホテルで34才の生涯を閉じた。
オリンピックは選手個人のものであって国のものでもましてや組織や企業のものでもないという原点が大事にされる大会であって欲しい。