PS.政府は31日、ウクライナの首都の読み方をロシア語のキエフ(Kiev)からウクライナ語のキーウ(Kyiv)に変更すると発表した。
ロシアの作曲家ムソルグスキーが友人の死を悼んで作った組曲『展覧会の絵』の最後に登場する「キエフの大門」もこれからは「キーウの大門」か。
名前が変わっても音楽に国境は無い。
《セルジュ・チェリビダッケ(1912-1996 ルーマニア)指揮/ミュンヘン・フィルハーモニー交響楽団 1989》
チェリビダッケは第2次世界大戦後のドイツで、フルトヴェングラーの後任として名門ベルリン・フィルハーモニー交響楽団を率いた。
その演奏は、極端に遅いテンポと厳しい練習によって生み出される荘厳で聖なる建築物のような音楽を特徴としていたという。
首席指揮者を務めたミュンヘン・フィルとの『展覧会の絵』は名演奏のひとつとのこと。
キーウは綺麗な街のようだ。ウクライナが破壊され尽くされないことを祈るばかりだ。
2018年4月17日
「国立故宮博物院(1965年開館)」と「台湾原住民族博物館」を見学した。
台湾はMRT(地下鉄)が便利良く走っていて、「国立故宮博物院」は淡水線の「士林」駅からバスで10分ほどで到着した。
さらに3分ほど歩くと「台湾原住民族博物館」があった。
「国立故宮博物院」は、宋、元、明、清王朝の歴代宮廷が所有した至宝を中心に約69万点 が収蔵されている。ルーブル、メトロポリタン、エルミタージュと並んで 世界四大博物館の1つに数えられ、全てを見るには10年以上かかるとか。
「故宮」とは宮殿のことで、北京の「紫禁城」を指すとのこと。
何故、台湾にあるのか・・・、年月を掛けた歴史があった。
中国最後の清王朝が崩壊後、北京の「紫禁城」に保管されていた歴代王朝の宝物は、中華民国に継承されたが、その後、日本軍の中国侵略が激化すると、上海、南京の奥地に分散して隠された。
その後、第二次世界大戦終結後に当時の中華民国首都である南京に戻ったが、1949年に国共内戦で国民党政府が敗北し、率いていた蒋介石が台湾へ逃亡する際に宝物も一緒に台湾に渡ったというわけだ。
《翠玉白菜》
清の時代に天然のヒスイを彫り上げて作られた白菜のオブジェ。二大名宝のひとつ で、皇帝の光緒帝の妃の嫁入り道具 だと考えられている。
サイズは、高さ18.7cmと実際の白菜よりもかなり小さく作られていて、緑の葉の部分には子孫繁栄の象徴であるキリギリスとイナゴが彫られている。
《毛公鼎》
鼎(かなえ、てい)は、なべ型の胴体に3本足がついている中国古代の青銅器。故宮博物院にある毛公鼎は、約2800年前に製造されたと伝えられている。内側には500文字あまりの銘文が刻まれ、 現存する青銅器の文章では最長の歴史的価値のある展示物。
《珊瑚と彫刻》
《鏤彫象牙雲龍紋套球》
精妙な彫刻が施された象牙の球体。 内部は24層に分かれており、彫刻が施されたそれぞれの層も回る仕組みになっている。一本の象牙から彫られている、120年かけて完成した、など諸説あり、制作方法や詳細は不明の不思議な秘宝!
故宮博物院敷地内に併設された広東料理のレストランで牛麺と春巻きの昼食。容器が宝物の「毛公鼎」と同じデザインだった。
《台湾原住民博物館》
台湾原住民博物館は台湾初の原住民をテーマにした博物館。駆け足だけれどアミ、タイヤル、パイワンなどの原住民族の歴史、生活、文化を知ることが出来た。
写真にアイヌのムックリにそっくりな楽器が写っていて驚いた。
台湾島が大陸と繋がっていた時代に先住民族が渡ってきて、その後、地殻変動で今のような島になったと推測されている。
その後は大陸と船で行き来をしていたらしい。
織物はどこかオロッコ、ギリヤークなどの北方民族の雰囲気を感じた。渦巻き状のアイヌ文様は無い。
一日いっばい、二つの歴史館を見学して暫くぶりに歩いた。
ホテルに戻り、晩飯は近くの食堂で本場の美味しい餃子を食べた。
台北も残り二泊になった。
(つづく)
日本では報道されていないような悲惨な状況がプーチン、ロシア国民に伝わって欲しいです。
楕円と円さんのウクライナへの思いや願いを込めた「展覧会の絵」を私も心して聴きました。
こうしている間も人命が失われていることを思うと・・・
一刻も早く停戦を・・と願わずにはいられません。
目覚めよプーチン、そして至急ウクライナ侵攻をやめよ・・